俺の幼馴染
俺にはとある幼馴染がいる。見た目はごくごく普通のやつなのだが、中身はかなりの破天荒だ。破天荒というか、ぶっちゃけもはや唯一無二レベルだ。
そいつのおかげで、俺の人生は普通や一般といったものから大きく外れてしまった。まあ、楽しいからそれはそれでいいんだけどなー。
そんな俺の、というか俺の幼馴染の話を聞いてほしい。
俺が生まれたのは、少子高齢化が進み過疎化の始まった町だった。若者は隣町に出てしまい、子どもの数は減る一方。俺が入学した時の新入生は俺と幼馴染だけだったし、俺の後の新入生も一つ下に男が一人、もう二つ下に女が一人、といった感じだった。
そんなんだから俺が四年生になった年に、次年度の統廃合が決まった。まあ、六年生二人が卒業して全校生徒が四人になったから仕方ないと言えば仕方なかったのかもしれない。
「五年になったら、隣町の学校かぁー」
「……おともだちできるかなぁ」
俺と二つ年下の愛莉が給食中に、この話題を持ち出すのももう何度目だろうか。別に俺は愛莉の様に友だちができるかどうかなんていう、小さなことを心配しているわけではない。俺が心配なのは、俺の幼馴染だ。
「先のことを心配しても仕方ないのではないですか」
「そうだけどさー」
「敦君、食べながら話しちゃ駄目よ」
もぐもぐと食べながら話すのは行儀が悪いって先生と一つ下の遼に注意されるけど、話すのは止められない。だって俺は本当に心配なのだ。
「だって、先生。浩一郎があっち行ってちゃんとやれるか心配じゃねーの?」
「そ、それは…」
先生さえ即答できず口ごもってしまう幼馴染。名前は横地浩一郎。俺と同じ小学校四年生。すげぇ頭が良くて、すげぇ運動ができる、何ていうかすげぇ奴なんだ。今は自分の話題だというのに特に気にせず、静かに給食を食べている。
見てもらって分かるように、浩一郎はぱっと見普通だ。別にイケメンじゃねーし、何かオーラがあるとかでもねーし。でも浩一郎はかなりすげぇ奴なんだ。
そんな俺の心配が移ってしまったのか、先生はごくりと唾を飲み込みつつ、俺の隣に座る話題の人物、浩一郎に不安そうに尋ねた。
「大丈夫よね、浩一郎君?」
「はい、大丈夫です」
はい、信じられませーん。浩一郎は基本は良い子ちゃんだから、先生の言うことに逆らったりはしない。別に俺みたいにいたずらして怒られることも無いし、愛莉みたいにすぐ泣くわけでも無いし、遼みたいに天邪鬼でも無い。
この話題は、いつも浩一郎が「大丈夫」と答えて終わるという流れになっている。でもみんな知っているんだ。浩一郎ならばやるだろうということを。浩一郎の言うことを鵜呑みにしては駄目なのだ。
浩一郎のヤバさを知らない奴ならば、何を大げさなと思うかもしれない。だけど、浩一郎はすごい奴なのだ。子どもはおろか、大人だって到底敵わない。それが浩一郎なのだ。将来、総理大臣になろうが世界大統領になろうが、浩一郎ならば俺は驚かない自信がある。それはきっと遼も愛莉も同じ意見だと思う。
そして俺たちが五年生になった春。中学生になったら隣町まで自転車通学になるが、小学生の内は近所のおっちゃんたちが交代で隣町まで送ってくれることになっている。
おっちゃんの運転する車に揺られて、俺たちは思う。新しい学校の奴らが、どうか浩一郎を怒らせませんように、と。
「これからお前の担任になる、北島だ。よろしくな、敦!」
「よろしくお願いします」
「私は伊藤さおりよ。よろしくね、横地君」
「よろしくお願いします」
担任の先生たちとあいさつをする。俺の担任の北島先生は若い男の先生で、浩一郎の担任の伊藤先生は優しそうなおばちゃん先生だった。
どうやら、俺と浩一郎のクラスは別々のようだ。できることなら同じクラスが良かったな…って、別に寂しいとか不安とかじゃねーから!浩一郎がやらかさないか心配なだけだから!
なんて心の中でぐちゃぐちゃと思いつつ、期待と不安を胸に新しい教室へと俺たちは向かった。
「緑ヶ丘小学校から来た、吉野敦です。よろしくお願いします」
転校生である俺が来たことでざわついている教室で、俺ははっきりとした声であいさつする。すげぇ、めっちゃ人数が多い。何人友だち出来るかな、楽しみだな、何て。その時の俺はこの後の展開を全く想像できずに、能天気にそう思っていたんだ。
俺たちが新しい学校に転校して、一ヶ月が過ぎた。なんて言うか、俺達はほとほと疲れ切っていた。……たかだか隣の街なのになー。今までいた学校と全く違うんだ。何が違うかって?愚痴になっちゃうけど、ちょっと聞いてほしい。
まず人が多い。一学年三クラスもあるし、同じクラスの奴が三十人以上いるんだ。やばくね?俺未だクラスの奴らの名前あいまいだわー。人の多さに慣れないのは他の奴らも同じらしいけど。
次に、なんていうか性格の嫌な奴が多い気がする。元々俺たちのいた学校では、それぞれが得意なことを生かして互いに褒め合ってたし、認め合ってた。それが当たり前で、自分より相手ができなくても見下したりしないし、自分よりできる相手に怒ったりなんてしなかった。なのにこの学校の奴らは違うんだ。俺が新しい学校のやり方に馴染めないと、何か嫌な顔して笑うんだ。すっきりしねーし、気持ち悪いよなー。
そんな感じで、まあ遊ぶ友だちはできたけど馴染めてない俺を筆頭に、他の二人もかなりお疲れモードだった。
愛莉は心配していた通り、友達が全くできなかった。愛莉はもともと大人しいし、人の後からついて行くタイプだから、すでに関係できてるクラスの中に上手く入れなかった。それにちょっとゆったりとした奴だから、今までの学校よりも速いペースの新しい学校に馴染めていないようだ。
遼は唯我独尊のようでいて人見知りするタイプだから、馴れ馴れしく話しかけてきた奴らをうざがり、最初からクラスの奴らを遠巻きにしてしまったらしい。それに自分のペースで物事を進められない状況に慣れないらしく、イライラしている。今までは、遼の様子を見て先生たちも俺たちも構ってたからなー。
そんな中でもやっぱり変わらないのは浩一郎だけだ。浩一郎は特に友人は出来ていないようだが、クラスに馴染めていないわけでも無く。一年の時からこの学校にいたかのように、当たり前にそこにいる感じだ。たまに学年で何かやる時に浩一郎のことを見かけるが、特に今までと変わらない様子だったし、周りの奴らは浩一郎に一目置いてるみたいだったし。
それでも俺たちは俺たちなりに慣れようと努力した。愛莉は、頑張って自分から話しかけたりもしたそうだ。それを俺たちは褒めたけど、中々実を結んでいないようだった。遼も、自分のペースで動くだけでは面倒なことになると思ったのか、多少は周りに合わせようとしていた。俺自身もクラスの奴らに笑顔で話しかけたり、なるべく他の奴らの手助けしてやったりして、クラスの奴らと距離を少しでも縮めようと努力してみた。
さてさて、そんな日々の中で一番に追い詰められたのは、泣き虫の愛莉でも、ひねくれてる遼でもなく、俺だった。なんでか知らないけど。いや、理由は分かってるけど信じられないっていうか。こんなことで?って感じなのだが、俺はクラスの中でハブられるようになってしまったのだった。
きっかけはちょっとしたことだ。クラスの奴が、他のクラスの奴らにからかわれていた。そのからかいがしつこかったし、見ていて気分の良いもんじゃなかったから、それを俺が止めた。ただそれだけだ。ただそれだけなんだけど、俺はクラスの中でハブられるようになった。
次に、俺の持ち物が消えるようになった。鉛筆とか消しゴムとかの小さいもんばっかりだったけど。まあ、それは俺自身も失くし物とか忘れ物とか多い奴だったから、あんまり気にしてなかった。
だけど、俺のそんな態度がクラスの奴らをエスカレートさせてしまったんだと、今になって思う。
仲間外れや物隠しでは、俺にダメージが無いことに気がついたクラスの奴らは、もっと過激な攻撃に出てしまった。もしかしたら、この時くらいで俺が他の誰かに相談していれば、この後の悲劇は防げたのかもしれない。
「どうした、愛莉?」
「! あつしくん」
登校中の通学路で俺が小声で愛莉に声をかけると、愛莉はハッとした様に俺を見た。自分が酷い顔をしていることに気がついていないようだった。
愛莉の笑顔が減った。それまでも、新しい学校に馴染めてなかった愛莉は前の学校の時よりは笑顔が減っていた。それでも、俺らと一緒に登下校している時には楽しそうに笑っていたのだ。なのに、朝の車の中で愛莉はとてもとても苦しそうにしていた。それでも愛莉は俺たちに心配をかけないようにと、にこりと笑った。
「……んーん、なんでもないよ」
「そうか?」
次に、遼が怪我をすることが増えた。遼はいつでも要領が良くて、俺がバカやって怪我しても愛莉が転んで膝をすりむいても、遼が怪我をしたところなど見たことが無いくらいだったのだ。なのにある時を境に明らかに、腕や足に擦り傷を作ることが増えたのだ。
「遼。最近、怪我すること多くね?」
「何でもないですよ、このくらい。……貴方に比べればね」
そう、遼に指摘された通り俺は全身生傷だらけだった。まあ、元々ちょっと危ない遊びやちょっとやり過ぎなくらいの遊びの方が好きだった俺は、いつも保健室のお世話になってたんだけどな。だけどいつも以上に多い擦り傷やら切り傷に、遼を心配させてしまったようだ。
「俺のは大したことないし、いつものことじゃん?」
「……そうですね」
「だろー?」
「……僕はそうやって誤魔化されてあげますが……浩一郎さんには通じないですからね」
遼はなんだかんだ言って、今の状況を正しく理解できているのだろう。俺や愛莉の我慢が限界に近くならない限りは、浩一郎に言う気は無いのだろう。まあ、それはお互い様だしな。
ちらりと浩一郎を見るが、俺たちの話が聞こえているのかいないのか。ぼんやりと俺たちの後を歩いていた。まだ大丈夫、俺はそう自分に言い聞かせ、また長い一日を始めるために校門をくぐったのだ。
「っ!」
「あ? 何ぶつかってんだよ!痛いなぁっ!!」
「大丈夫かよ、隆! おい、ちゃんと謝れよ!転校生!!」
「あー、ごめん」
「ちっ! 行こうぜ、隆!」
はー、やれやれ。わざとぶつかってくるとか子どもっぽいよなー。とかなんとか思いながら、落ちてしまった教科書を拾う。教室移動の時とかだけは勘弁してほしいんだけどなー。
そもそも今日の体育は面倒だったなー。今日の体育はタグラグビーだったんだけど、まずチーム決めでもめた。どこのチームも俺を入れたがらなかったからだ。担任の北島先生は、よく言えば子どもを信頼しているのだが、悪く言えば放任主義だ。チーム決めの時は一切口を出さず見ているだけ。クラスの奴らが俺を押し付け合うじゃんけんをしていても「早く決めろよー!」としか言わない。そんで試合時間が短くなったと文句を言うので、クラスの奴らに「お前のせいで」と俺が睨まれる、というおまけ付きだ。理不尽だなー。
試合中も散々だった。敵も味方も関係なく、みんなが俺を転ばせよう突き飛ばそうと仕掛けてくる。いや、そこは俺もすんなりとはやられてやらねーけどな?
でも人数が多すぎて全部は避けられないし、あんまり避けてばかりだと敵チームの奴が「せんせー!吉野君がちゃんとやってくれませーん」だの、「せんせー!吉野がぶつかってきました!!」だの適当なことを言い始めるからだ。
そうすると先生は俺の話も聞かず、「敦! ちゃんとみんなと仲良くやれよ!」だの、「敦! お前、今日これで何回注意されたと思ってるんだ?!」だの言ってくるからだ。いやいや、せめて俺の話を聞いてから注意してくれないかなー。
「敦」
「ひいっ!」
そんなことをぼんやりと思っていると、音も気配もなく、俺の後ろから浩一郎が声をかけてきた。その声がいつにも増して平坦で、俺はついビビって拾った教科書をまた落としてしまった。
そんな俺にお構いなく、驚いた拍子にまた落としてしまった教科書を拾いながら浩一郎は言う。
「敦、何やってるの」
「え?あ、いや、……これ落としたのお前が驚かしたからだからな?」
「……」
敦が冷たい冷たい目で、俺を見る。いや、本当にその目止めろ。マジ怖いから。それ以上浩一郎に話しかけられない内に、拾ってくれてサンキュー!!とか何とか言いながら、俺はその場を急いで後にする。浩一郎に追及されたら、全部しゃべってしまうことになるだろうからなー。それはマジ勘弁だ。
だから俺は気が付けなかった。そもそも浩一郎が、俺に学校内で声をかけてきたのはこの時が初めてで。それは浩一郎の許容範囲を超えたからで。浩一郎が動き始める合図だったのだということに。
『こんにちは、お昼の放送の時間です。静かにお聞きください』
ある日のこと、給食時間にそれは始まった。俺のクラスでは特にみんな放送には耳を傾けていないのか、ざわざわとしている中の放送だった。
その日も俺は安定のぼっちで、給食当番にはきちんとよそってもらえないわ、同じ班の奴らからは机を離されるわ、運んでいる時に足を引っかけられそうになるわで、面倒だなーと思いながら給食を食べ始めようとしていた。
そう、まだまだこの時点ではみんな他人事だったのだ。ただ一人、俺を除いて。
だって、その放送の声は。
『静かに放送を聞いていないクラスがあるようですね。北島教諭クラス五年一組』
そう、いつも以上に感情の無い声で放送をしていたのは。誰であろう、俺の幼馴染だったのだから。
急に名指しで自分たちのクラスが挙げられ、教室は一瞬にして静まり返る。それはそうだろう。放送室からこの教室は階数も違えば校舎も違う。教室がいくら騒がしくても、放送室にいる人間が分かるわけがないのだから。
『同じく、間島教諭クラス四年三組、後藤教諭クラス二年二組。給食中は静かにするというルールを守れないのでしょうか。まあ、教諭方に力も権威も無いクラスでは仕方のないことなのでしょうけど』
すらすらと、浩一郎の声がスピーカーから聞こえる。きっとこの頃には、学校中がこの放送のおかしさに気がついていたのではないかと思う。廊下からも他のクラスのざわめきは、一切聞こえなくなっていた。
『今挙げた三クラスは、僕の逆鱗に触れました。なのでこれからそれを粛清していきたいと思います。ですが……僕の言葉だけでは信憑性が無いと思いますので、こちらをご覧いただこうと思います』
そう、浩一郎が言うなり教室のテレビが突然ついた。クラスの全員がそちらに視線を向ける。どこから撮影されたのだろうか、この学校の情景が映されていた。内容はというと。
『五年一組、篠原悠馬君。自分の意に従わないからと、同級生を殴る蹴るの暴行。加えて同級生を恐喝し、家から現金を持ってこさせる。五年一組、鈴木大翔君。書店での万引きを繰り返し、それを古本屋に売ることで自らのお小遣いとしている。五年一組、佐々木さくらさん。嘘の噂をばらまき、自分に賛同しない者にはあること無いことを担任に告げ口し、注意することを促している。四年三組、田中大和君。受験勉強のストレスから自分より勉強ができる者を追い落とすことを息抜きとし、自らの罪を擦り付けることでストレス解消している。四年三組、高橋雄太君。田中君が言ったことを鵜呑みにして、何も考えず他者に暴力をふるうことを楽しんでいる。二年二組、鈴木大也君。兄がいじめろ仲間外れにしろと言った子を、理由もなく嬉々としていじめる。二年二組佐々木あかりさん。鈴木君と同じく姉にそそのかされ、理由もなく同じクラスの子を仲間外れにする。さらにその子の失敗を笑い馬鹿にし、それをクラス中に強要した』
何やっちゃってんの! 浩一郎!!
浩一郎は淡々と、感情を込めずに名前を呼び、それぞれの悪事を暴露していく。しかもそれぞれの犯行現場を映像付きで、だ。インパクト強すぎだろう!?
その隠し撮りされた映像は、名前を呼ばれた奴らの醜悪な顔は映しつつも、撮影者の情報は一切なく、ただ淡々と映像が流れていくだけだ。
その頃には俺のクラスの名前を呼ばれた奴らは「ふざけんな!」だの、「誰よ!この放送委員!!」だの大騒ぎだし、そいつらの取り巻きたちも次は自分の番じゃないかと顔を青ざめさせながらテレビを見つめていた。北島先生は他人事だと思っているのか何なのか、「お前たち、今の放送は本当なのか?」とか間抜け面で聞いている。まあ、三人とも先生の前では良い子ぶってたからな。信じられないのも無理はない。
浩一郎の演説は止まらない。しかしその時、スピーカーからガンガンっ!!という音と、誰かが何かを叫んでいる声らしきものが聞こえた。多分、誰か先生が放送室に駆け付けたんだろう。
『……続けます。五年二組、山下大夢君。鈴木大翔君と一緒になって万引き。その合計額は鈴木君を大きく上回り、既に六桁。五年一組、武村藍さん。佐々木さんと一緒に出会い系アプリに登録。適当な人を釣ってからかっては、その時の様子をSNSに挙げている。五年一組、長谷川加奈子さん。佐々木さん、武村さんと一緒に繁華街に行ってナンパ待ち。ナンパ相手の高校生とお付き合いしている。五年一組、新藤翔太君。中学生のパシリをしていることを笠に着て、同級生や下級生を脅している。四年三組、佐藤琢磨君。近所の女性を盗撮。四年三組、高橋小夏さん。田中君や高橋君のいじめを見て写真撮影……』
浩一郎が切れている。それだけははっきりと分かった。原因はやはり俺たちだろう。俺や遼や愛莉。浩一郎の身内である俺達。それが蔑ろにされ、傷つけられた。だから浩一郎は切れた。
そもそも後で聞いたところ、浩一郎は猶予を与えていたらしい。俺と同じクラスの奴らに、俺の担任。遼や愛莉のクラスの奴ら、担任。そういった奴に、クラスの様子をしっかりと見るようにと進言したと言っていた。
それにもかかわらず、俺たちの状況は好転するどころか悪化した。それまでは北島先生は特に俺を目の敵にしていたわけではなかった。自分のクラスに蔓延している悪意に、ただただ気がついてくれなかっただけなのだ。しかしある日を境に、俺に対する注意や嫌みがきつくなった。クラスの奴らの悪ふざけに対しても、笑って見ていたり囃し立てたりするようになった。それは愛莉や遼も同じだったらしく、愛莉は「もっとみんなと仲良くしなくちゃ駄目じゃない」と言われ、遼は「お前がそんな態度だから、他の奴らがお前と友だちになってくれないんだぞ」と言われたそうだ。
それらは、浩一郎にとって落胆程度のものだったようだ。だから浩一郎は、自分で動いた。浩一郎が自分で動くという最悪の状況を作ったのは自分たちなのだと、はっきりと分からせる形で。
『五年一組担任、北島力也さん。未成年者との買春行為、及び同僚教師との不倫。四年二組担任、三枝達臣さん。諸経費の横領、及び取引業者に対する接待の強要。二年二組担任、田口舞さん。既婚者との不倫、及び痴漢冤罪、被害者への金銭強要』
そう、浩一郎が言った時。ざわざわと騒いでいた教室が、静まり返った。そして一人の男にみんなの視線が集まる。まさか、という思いがあったのだろう。これまで浩一郎が名前を挙げていたのは子どもだけで。
そう思っていたのは、俺たち子どもだけではなかったようで。それまではだらしなく座っていた椅子から、ガタンっ!と耳障りな音を立てて、北島先生が立ち上がり真剣な顔でテレビを見つめていた。
そこには、北島先生が女子高生らしき女の人とどこかの建物から出てきている映像が映し出されていた。
『……外が静かになったようですね。まさか、とでも思っているのでしょうか。ですが「まさか」というのはこちらのセリフです。僕は注意喚起をしました。猶予を与えました。しかし変わらなかったのは。見て見ぬふりをしたのは。誰でしょうか。僕は僕のものに手を出されるのを、心底嫌悪しているのです』
浩一郎の言葉を聞き、北島先生がすごい勢いで走って行った。放送室に殴り込みでもかける気だろうか。しかし浩一郎が逃げ道を用意していないわけが無いし、自分が不利になるようなことをするわけが無い。
『さて。これまで私は、直接私のものに手を出した者の名前を挙げました。しかしこれで終わりではありません。間接的に、今回のことを見逃していた者も同罪なのです。お分かりですよね』
きっと浩一郎は、全校生徒どころかこの学校すべての人間の弱みを証拠も併せて握っているのだろう。そう思わせるだけの力が、浩一郎の声には込められていた。
ここまでやるとは思わなかったが、浩一郎がここまでやっても俺は何ら不思議に思わなかった。浩一郎は、自分のものに手を出す奴らに容赦しない。それが大人だろうと子供だろうと全く関係ないのだ。罪は罪、罰は罰。猶予を与えても改心しない者は、自分の犯した罪を浩一郎自らが自覚させるのだ。
浩一郎は今までもそうだった。初めは自分の親。次は自分の親戚。俺も遼も、愛莉だって。自分たちの罪に見合うだけの罰を浩一郎から受けたことがある。
それでも浩一郎は身内には優しいから、俺たちが泣いて心底謝れば許してくれた。まあそれも、浩一郎が許せるくらいの罪だったから、というのもあるんだろうけど。俺たちの街では、浩一郎の親に関することはタブーとなっているくらいだからな。
昔のことを思い出していると、浩一郎が俺たちに呼びかける声がした。
『敦、遼、愛莉』
その声を聴いて、俺は教室を飛び出した。途中で遼と。放送室の前で愛莉と合流する。放送室の前には校長先生や教頭先生、その他名前も知らない先生たちが何人もいた。北島先生は狂ったように放送室の扉をたたき、愛莉の担任の先生は真っ青な顔をして座り込んでいた。
『これで、本日の放送を終わります。担当は五年三組、横地浩一郎でした』
浩一郎がそう言い残し、放送室から出てくる。先生たちは、ほんの少し距離を置いている。だけど、出てきた浩一郎は、いつもとどこも変わらないいつもの浩一郎で。俺が一番信頼してて、一番頼りにしている幼馴染だった。
「よ、横地君」
「……」
「はな、話したいことが「校長先生」
浩一郎が、校長先生の話を遮る。その目は全く校長先生には向けられておらず、校長先生などに話しかけたくないのだということを雄弁に物語っていた。絶対的な強者に話しかけられ、自分の遮られた校長先生は、ビクッと肩を震わせる。そこには集会で見る時のような威厳は全く感じられず、ただのしょぼくれたおじいさんがいるだけだった。
「今日は僕たち、これで早退させていただきます。よろしいですよね?」
浩一郎はにこりともせず、校長先生に告げる。疑問形だったけど、全然相手の意思など無視しているということが分かるものだった。それに丁寧な言葉遣いだったけど、俺には聞こえた。「もしこのことで自分たちに何らかの罰を与えたら、お前にも罰を与えてやるぞ」と。
校長先生も、その場にいた先生たちも、みんな壊れた機械の様に頷いていた。北島先生だけは「このクソガキがっっ!!!」と浩一郎に飛び掛からんばかりにしていたが、浩一郎の担任の伊藤先生に取り押さえられていた。……伊藤先生すげえ!
「三人とも、行こう」
俺たちは、浩一郎の家来の様に浩一郎の後ろについて行く。遼はどことなく誇らしげだし、愛莉も久しぶりに笑顔だ。俺はどうなんだろう。笑ってんのかな?
なんて。ニヤニヤとしていた俺たちに、浩一郎がそういえばとでも言わんばかりに軽く話しかける。
「敦」
ビクっ
「遼」
ビクっ
「愛莉」
ぶるぶるぶる
「分かっていると思うけど、君たちも悪いところがあったよね?」
浩一郎が、笑いながらそう言う。あ、やっぱり。ですよねー。俺たち浩一郎に頼らないで、ボロボロになってましたもんねー。俺たちが悪かったのは重々承知だよ?だからさ、その笑顔止めてくんない? 愛莉と遼が怖がって涙目になってんぞー?まあ、ぶっちゃけ俺も怖いけどね!!
俺たちが理解できたことを見て取ってか、浩一郎は少しばかり眉間にしわを寄せ、俺たちに言い聞かせるように言った。
「……君たち自身が君たち自身を傷つけるのも、許せないんだよ。本当はね」
だから次に困ったことや悩んでいることがあったら、僕にすぐに言ってね。……次は無いからね、と浩一郎は良い笑顔でそう言った。
かしこまりました、俺たちの王様。お前を困らせるのは、俺たちだってしたいわけじゃない。今回のことだって、お前を悲しませたかったわけじゃない。自分たちで何とか乗り切れると思ってたんだ。本当だぞ?
俺たちは勝利した軍隊が凱旋するように、獲物を屠った狩人のように、堂々と正門を出た。そこにはあらかじめこうなることが分かっていたかのように、町のおっちゃんの車が停められていた。
『浩一郎の放送室ジャック』から、俺たちは以前とは違う意味で浮いていた。腫れものであるかのように、傷つけてはいけない国賓であるかのように。クラスの奴らはもちろんのこと、他学年の奴だって俺たちの姿を見ただけで、ビクッと肩を震わせて後ずさりするようになった。
まあ、俺としてはあんまり気にならなかったんだけどね。放課後は以前と同じく浩一郎と遼がいたし、学校では五年三組の奴らが遊びに誘ってくれていたし。
後で浩一郎に聞いたところによると、五年三組の全員がグルだったそうだ。そりゃそうだよな。いくら浩一郎が凄い奴だからと言って、たったの一ヶ月でこれだけの情報を一人で的確に集められるわけない。情報を流してくれる仲間がいたからこそ、だよなー。
「私たちは横地君の部下ですから」
そう言ってニッコリ笑った隣のクラスの委員長(結構可愛い)の言葉に、どんなルビがふってあったかなんて俺は気にしないぞ!絶対にだ!!……しかもそれが複数形だったことだって、気にしちゃいけないんだ!
浩一郎は相変わらずだ。放送前と今とで、全く変わりがない。あれ程のことをしでかしたのに、本当にただの五年生にしか見えないような、普通の小学校生活を送っている。
だけど浩一郎は、このまま突き進んでいくんだと思う。自分の王国を築き上げ、自分の所有物にケチをつける奴らを蹴散らし、その屍を肥やしにしてさらに王国を強固なものにしていくんだろう。
その時横にいるのは、きっと俺たちで。「やっぱり浩一郎だな」なんて、それを当たり前のように受け入れていくんだと思う。
「敦」
そうやって浩一郎が俺の名前を呼んで、横を歩かせてくれる限りは。
「なんて、殊勝に思った時期が俺にもありましたーってか」
「どうしたんですか、急に。何か拾い食いでもしましたか」
「……遼の中での俺のイメージに物申すぞ!!」
「敦君、落ち着いて! もうすぐ浩一郎君の演説が始まるよ! 静かにしてないとまた怒られるよ!」
「あ、それは勘弁!!」
俺たちは今も、浩一郎の横に当たり前にいて。とても平凡とは言えないような人生を歩んでいる。
『只今より。我らが偉大なる王、横地浩一郎様よりお言葉を賜ります。国民一同、心して聞くように』
スピーカーから、そんな案内の声が流れる。浩一郎は自室の椅子にゆったりと腰かけながら、目の前のマイクに向かって語り掛ける。何の気負いもなく、何の興奮もなく。ただ静かに、あの日の様に冷めた瞳で。浩一郎の配下たる者たちに、宣言した。
『私のものに手を出したことを、後悔させましょう』
たったのその一言で、事態は簡単に動き出す。そしてその結果は、言わなくても分かるだろう。全く、何で人間は理解しないのか。この世には怒らせてはいけない者、手を出してはいけない者が存在するのに。
浩一郎を、怒らせるな。
その代償は、お前らの人生なのだから。
……なんて、な。