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剣稲荷神社



「狐には用心しなさい。あれは人を惑わせて連れて行ってしまうよ」



 姉は狐が嫌いだった。





「やあ、今日はずいぶん遅かったんじゃあない」


 美術室にはすでに部長が到着していた。


「ごめん、ちょっと寝坊しちゃってさ。今鍵開けるね」


 いつもなら機嫌が悪くなってせかしてくる部長だったけれど、なぜか今日は大変機嫌が良いみたいだ。鼻歌交じりに手元のクロッキー帳にデッサンをしているくらいに機嫌が良い。きっと何かよっぽど良いことでもあったのだろう。でなければこの気分屋の部長がここまで上機嫌になっている理由が見当たらない。


「ずいぶんご機嫌みたいじゃあない、絵空島」

「ふふん、まあね。今日の僕は大変機嫌がよろしいのだ。なんて言ったって留学が決まったんだからね」


 いつものように半紙と墨を用意する彼――いつも見るときはジャージだからか、本来の性別がわからないので利便上彼と呼んでいる――は本当に機嫌が良いようだ。普段だったらこんな簡単に教えてくれるはずがない。彼はそういう人なのだから。


「留学って、前から言ってた中国に?」

「そうだよ。高校を卒業したらそのまま向こうに行くんだ。本場の水墨画が学べるんだよ。こんなに嬉しいことはない」

「ははっ、絵空島は本当に水墨画好きだよね。それじゃあ留学決定記念にパーティーでもする? 部員たちも先生もきっと喜ぶだろうしね」

「おっ、それ良いかも。たまにはみんなで駄弁って騒ぎたいしね」


 絵空島祐希(えそらじまゆうき)。この美術部の部長で私の友人だ。油絵、水彩、木炭から彫刻、粘土まで芸術方面に多彩な彼が一番得意にしているのが「水墨画」らしい。こうして留学して本場の水墨画を学びたいほどに好きなのだそうだ。

 きっと将来は大物、と言うか超有名な水墨画家として名を馳せる日も遠くはないだろう。

 そのぐらいすごいやつなのだ、彼は。


 私がそんなことを考えているだろうとは思わず、彼はご機嫌に半紙の中を埋めていく。

 このは虫類好きさえなければもっと良いと思うんだけどとは、墨で描かれたイグアナを量産する彼には言えない。言ったらきっと不機嫌になることは間違いないだろう。



 私たち美術部は基本的に朝練というものは無い。自主的に来て描くのは歓迎されているが、好んで来るような人は少ない。それこそ物好きの絵空島とか展覧会の作品にまだまだ時間がかかりそうな私ぐらいしか朝はいない。

 静かでゆったりとした時間を流れるこの空間はとても心地が良い。学校は好きではないが、美術室は例外だなと思える。


「そういえばさ、絵空島は知ってる?」

「何が?」

「剣稲荷神社」

「剣稲荷……? ああ、知ってるよ。あの変な噂がいっぱいの」


 今朝、あの変な男に会う前からずっと気になっていたのだ、あの神社を。


 姉が行方不明になってから一度も行っていなかったあの場所。正確には『行かなかった』ではなく、『行けなかった』が正しい表現だろう。


 姉が行方不明になってすぐ、私は剣稲荷神社へ向かった。幼い私なりに考えた結果、その場所がすぐに思い浮かんだからだ。

 でも、行けなかった。何回も、何回も、姉と往復した道なのになぜかその場所にたどり着けなかった。道は合っていたはずなのに、どうしてもその場所に行けなかった。一回だけではない。何回もその神社に行こうとした。でも、やっぱりたどり着けなかった。


 姉が行方不明になってから、今日、初めてあの神社に行けたのだ。


 不思議でしょうがない。

 それにあの変な男。姉が生きていたら、同い年ぐらいなんじゃあないかなって思う。それになぜだろうか。あの男を見ていると何か忘れているものがある気がするのだ。

 私は何か忘れているのだろうか。


「変な噂って? 絵空島、何か知ってるの?」

「まあ……うん。水沢にっとてはあんまり良い噂じゃあないかも」

「なんで?」

「……十年前、君のお姉さんが失踪した事件のことだから」


 姉が行方不明になった事件について?

 なんのことだろうか。そんな噂、聞いたことないのに。いったい何なんだろうか。


「あの神社さ、明治ぐらいまでは『狐の嫁入り』ってのがあったらしいんだ」

「『狐の嫁入り』? 天気雨、じゃあないよね」

「うん。まあ簡単に言ってしまえば『生け贄』だね」


 『生け贄』……。


「約百年に一回、天剣神(あまのつるぎかみ)って言う狐の神様の所に嫁を送ることで災害から村を守って貰うっていう風習みたいなやつさ」

「それが『狐の嫁入り』……」

「それでさ、前にあったのが戦前、つまりだいたい百年ぐらい前だったらしいんだ。だから――」

「姉は神様のお嫁さんになったってこと?」

「――まあ、あくまで噂だよ。ただの噂」

「誰か、『狐の嫁入り』について知ってた人がいて、生け贄にするためにってことも考えられるわよね」

「もしそうなら、とっくに何かしら見つかってるよ。それに、」

「それに?」

「『生け贄』を選ぶのはずっと村の人じゃあなくて、その神様自身が選んでたって聞いたよ」


 なんて非科学的な話しなんだろう。確かに当時は今ほど技術が発達してなかったから、そういうふうに思っていたかもしれない。でも、現代でそんなことありえるのだろうか。

 仮に、噂が本当だとしたら、姉が選ばれた理由は? 本当に姉はもう死んでしまったの?


「深く考えない方が良いよ。ただの噂だしね」

「火の気がないところに煙はたたないって言うじゃあない」

「最後の目撃場所がたまたまそこだったからっていうのもあるでしょう」

「偶然の一致かもしれないってこと? まあそれもあるわよね……。噂の出所ってどこかわかる? 私、調べたいの」

「本気で言ってるの? やめておきなよ、あの神社本当にやばいんだって」

「大丈夫よ。何とかなるってば。ねぇ、その噂の出所ってどこなの?」

「噂の出所? ……あれ。どこからだろう」

「え? だって誰かから聞いたんでしょう?」

「聞いたはずなんだけどなあ……クラスメイトから聞いたんだけど、いつからとかどこからって何にも知らないんだよね」

「……はぁ。つまり根も葉もない噂ってことじゃない」


 しきりに首をかしげる絵空島に私は落胆した。わらにもすがる思いだったのに。なぁんだ、ただの噂だったんじゃあない。


「水沢が聞いたことなかったのはみんな君のことを考えてだったんだよ」

「わかるわよ。こんな噂、堂々とされてたら今頃顔面殴ってたわ」

「あーそうじゃあなくて、そのもう一つの噂のこともあるんだって」

「まだあるの?」

「……うん。お姉さんが行方不明になってすぐ、あの神社から声がしたんだって」


『かおり、かおり、これで君は俺のお嫁さんだね。ずっと一緒だね』


「……なんで『かおり』なの?姉の名前は『ゆずか』よ」

「おかしいでしょう。だからみんな君に言わなかったんだ」


 気持ちが悪い。本当に気持ちが悪い。まるでメンヘラ妄想ストーカー男じゃあないか。でもなんで『かおり』なの? 『かおり』は私なのに、姉は『ゆずか』なのに。


「だからさ、水沢。あまりあの神社には関わらない方が良い。すごく、嫌な予感がするんだ」

「ありがとう。肝に銘じておくわ」



 姉の手がかりが欲しかったのに、結局謎が増えただけだった。

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