知らない場所
「捕まってはいけない。なんとしてでもあなたは逃げないといけないの」
姉は一人、そう言っていた。
霧が晴れると、私はいつもの通学路に立っていた。神社につながる階段は跡形もなく、目の前はコンクリートで固められた壁しかない。
さっきまでの熱気が嘘のように、冷たい空気が体を癒してくれる。暑さと緊張で流れていた汗が、冷えてとても冷たい。
今のは、何だったのだろうか。白昼夢だったのかもしれないが、私はたしかに神社に続く階段の前にいたはずだ。それは夢ではない。
何が起きているのかわからない。何が起きようとしているのかわからない。
でも、姉は確実に『何か』に巻き込まれている。私もその『何か』に巻き込まれようとしている。……いや、すでに巻き込まれているのだろう。
「ってことがあったんだ」
「お前馬鹿でしょう」
絵空島は白い紙を墨で埋めながらそう言った。
「はぁ、やっぱりろくなことがない」
「でも、」
「でもじゃあないよ。なんかよくわからないけど危ない目にあってるじゃあないか」
ぐぅの音も出ない。
「それに、手がかりがどうのとか言ってるけど本当に剣稲荷に行ったの」
「そうだよ。と言っても神社に続く階段までしか行ってないから鳥居の前までだけど」
思い返せばまだ境内のほうには行っていないな。昨日もなんだかんだあって結局行けなかった。教は行きたくはないけれど、明日なら行ってもいいかもしれない。
「それ、おかしくないか」
絵空島は訝しげに私を見た。何か、おかしな所でもあっただろうか。
「それ、本当に剣稲荷神社だったのか」
「……どういうこと」
「お前、本当に大丈夫? だって剣稲荷神社って言っても、今は跡地だろう」
「えっ」
こいつは何を言っているのだ。たしかにあそこは剣稲荷神社だ。階段の前に『剣稲荷神社』と書かれた看板があったのを私はきちんと見たはずだ。
「取り壊したのだって十年前だぞ。あの時、変な事件とか、殺傷事件が多かったろう。神社の管理人とかお坊さんとか相談して取り壊しになったの、学校とか新聞でちょっと話題になったじゃん」
「なに、それ」
「水沢、本当に覚えてないのか? お前のお姉さんが行方不明になる直前の話しだぞ」
「うそ、」
「本当だよ。あれから鳥居もなくなって、神社に続く階段も取り壊して今はコンクリートの壁になってるはずだよ」
「うそ。だって私行ったもん」
「水沢」
「嘘、知らない。そんなの知らない」
そんな話し、聞いたこと無い。剣稲荷神社が取り壊されたなんて一回も聞いたことがない。だって、姉がいなくなる前の日も行ったじゃあないか。なんで。どうして。意味が分からない。理解できない。
「なあ水沢、お前はどこに行ったんだ」
知らない。