第六話 『自分以上に、自分の子供を愛してやれよォッ!』
その後、やって来た救急車にあの男は運ばれて行った。マイは俺と共に、パトカーで警察署まで行く事となった。特に怪我も暴行の後もなかったため、そういう運びとなった。……加えて言えば、彼女は受け答えも問題がなく、なによりも俺とは離れたがらなかった。
両親にも当然ながら連絡が行っていたらしく、俺達家族四人は丁度、警察署内のホール(待合室?)で鉢合わせた。その両親の反応は対照的。母は異様な程に……わざとらしい程に取り乱し、涙を流し。反対に、父は無表情……どころか不機嫌を堪え切れずに漏れているような、そんな表情をしていた。
母はマイにすごい勢いで迫ってくると、大声で喚き始めた。
「マイッ! なんで言わなかったの! お母さんがどれだけ心配したかわかる!? 無事なのよね!? 大丈夫なのね!? 男に誘拐されたって聞いたけど、変な事はされてないのね!?」
ギョッと、俺達に付き添ってくれた警察の人達が目を見開く。周囲の、別の用事で警察署に来ていた人達の目線も一気にこちらへ——マイへと集中した。彼女の顔が一瞬で青褪める。
母を制止しようとした警察——だがそれよりも早く父が言葉を放っていた。
「マイ、あまり私に心配を掛けるな。私は今日、大事な会議を抜けてここへ駆けつけたんだぞ」
自分の娘の心配よりも、自分が被った迷惑を娘に伝える事を優先する、あまりにも身勝手な言葉。パトカーの中でもずっと離さず握り続けていたマイの右手が、俺の左手を強く握りしめていた——震えが、伝わってくる。
冷静を失えばその瞬間、死ぬ——そう精神に刻み込んだはずが、俺は気付くと熱くなった頭のままに……その熱を叫んでいた。
「——あんたら、いい加減にしろッ!」
その声は、警察署中に届いてしまったのではないか、という程に響いた。だが今更、言葉を止める事なんてできない——先程の母の発言以上に視線が集まっているのを感じながら、俺は言葉を吐き出す。
「アンタはマイのなんだ!?」
母さんに向き合い、問う。
「な、何よ。母親に決まって——」
「そうだ、アンタは母親だ! だったらなんでもっと子供の事を見てやらない!? アンタが見てるのは子供じゃない——アンタ自身だけだ! アンタは、子供を心配する母親という自分自身に酔っているだけだ! 本当に子供を思うなら、問いただすより前にやることがあるだろう!? 同じ女にしか——いや、母にできない事が! 『恐かったね』と言って、抱きしめてやれよ! マイは今、自分を包み込み、守ってくれる存在を求めてるんだよ! わかれよそれくらいッ!」
母は言葉を失い、マイへと視線を注いでいた。
俺の視線は父へと移る。
「アンタもだ! アンタはマイのなんだ!? 答えてみろッ!」
「わ、私も当然、父——」
「違うッ! アンタは父親ですらないッ! アンタはさっき、一体マイに何を言った!? マイはアンタにとって装飾品か何かなのか!? 父親なら、自分の事情を押し付けるより先に、話を聞いてやれよッ! 『もう大丈夫だ』って、言ってやれよッ! マイは今、自分の支えとなる、頼ってもいい存在を求めてるんだよ! アンタは今まで子供に無関心でい続けた——父親ですらない赤の他人だ。だからこそ、今からでも言ってやれよ——『頼れ』って!」
父もまた言葉を失い、マイへと視線を注いでいた。
「どういつもこいつも、どいつもこいつもどいつもこいつもォッ……! アンタ等は親だろうがぁッ! だったら、子供を愛してやれ——自分以上に、自分の子供を愛してやれよォッ! マイはずっと悩んでた。でも決してアンタ達に助けを求めなかった——助けを求められなかった! その意味に気付けよッ! アンタ等は、親なんだろうがよォッ!」
俺は全てを出し終え、荒い息を吐いた。署内は完全に、静寂に包まれていた。
——ぽつり、と言葉が落ちた。
「——ごめん、なさいね」
それは母の言葉だった。彼女はその頬から、今まで見た事がない程に透き通った涙を流していた。ふらりとその身体が揺れ、崩れ落ちそうになる——だがそれは、誰よりも早く伸ばされた父の腕で支えられていた。父もまた、その表情を今まで見た事がない程に歪めていた。
「——すまな、かったな」
それは、俺が初めて聞いた父の本心に思えた。
母さんが栓を切ったように言葉を溢れ出させた。
「わたしが……お母さんが間違ってた。最初はただ、マイとキョウヤを立派に育てなきゃって、ただそれだけで……でもいつの間にか、誰からも褒められないこの仕事に意味が見いだせなくなって……だからこそ、もっと褒めて欲しい、頑張ってるわたしの姿を見て欲しいって……そんな風に、手段と目的が、入れ変わってて……ごめん、なさい。ごめんなさい……」
母は謝罪を繰り返しながら、嗚咽する。
「私も……始めはただ、愛する妻と一緒に、愛する妻との間にもうけた子供と一緒に生活する事が楽しくて……なにより、その生活を支えるために働く事が楽しかったんだ。だがあるとき、少し仕事が辛くなった時に気付いてしまった。家族の誰もが、私がお金を稼いでくるのを当然だと思っている事に。……本当は全部、私が自由にして良いはずなんだ。時間ももっと、自由に使えるはずなんだ。そう思い始めた時にはもう、家族のいる意味がわからなくなっていた。ステイタスの一部としてくらいにしか、見なくなっていた……疎ましくさえ、思ってしまっていた。こんなにも、大切な存在だったのに……すま、ない。すまない……」
父の目からも、一筋の涙が溢れていた。
肩を抱き合い、涙を流す二人は——酷く小さく見えた。俺達はこんなにも小さい人達に頼ろうとしていたのかと、戸惑ってしまう程に。……いや違う。俺達はもう、それだけ成長していたのだ。
俺の左手から、震えが消え——その熱が離れていった。
「——もう、いいから……アタシも、悪かった、から」
そう言い、マイは二人を抱きしめていた。
両親の嗚咽はもはや収まらず、マイにしがみ付くようにして泣き喚いた。『ごめん』と『ありがとう』を繰り返しながら。——初心を、取り戻したらしい。
——知らなかった。
両親がそんな思いを持っていた事を。そしてなにより、両親もまた苦しんでいた——悩んでいたという事を。決して俺やマイだけでは、なかった事を。
そんな家族の様子に感情を揺さぶられてか、署内のどこかで手が鳴った。それはあっという間に伝播し、爆発のような拍手となっていた。あちこちから鼻水を啜る音や、嗚咽が聞こえる。何人もの人が携帯を取り出し、署から出て行った——家族へ電話を掛けるのかもしれない。
やがてそれも収まり、父と母と、そしてマイは俺を向いた。
俺もまた、その輪に加わろうと一歩を踏み出し——その問いかけに、硬直した。
「——あなたのお名前を、お聞かせ頂いてもよろしいでしょうか?」
「——は?」
俺は頭の中が、一瞬真っ白に染まった。
——え、なにこれ? これからは本当の両親として頑張って行きますアピールの一環として、ギャグをお見舞いして来た……とか? ……いやいやいや、それはない。この状況でまさかそんな事言うか普通? 卒業式で校長が一発芸を披露するか? しないだろう? 例えウケたとしてもやっちゃいけねえだろ……?
かといって、本気で俺が誰だかわからない、なんてことはないだろう。まさか実の息子の顔がわからないなんて……それこそ悪い冗談が過ぎる。
と、そこで一つの結論に至る——じゃあ話は簡単だ、と。つまりは、聞き間違い——
「——私からも頼む、名前を聞かせてもらっても良いだろうか?」
——父さんまで!?
俺は視線を慌ててマイへと向けた。マイならわかってくれるだろう。なにせ命を助けた恩人——
「——アタシもお願い、王子様っ! アナタのお名前をお教えてっ……!」
マイは俺に急接近して来、俺の左手を包む込むように両手で持ち上げると、上目遣いにこちらを見上げて来た。
俺はショックのあまり、ふらふらと平衡感覚を失い——もういいや、と投げやりに答えた。
「キョウヤだ……」
「……う、ん?」
マイが首を傾げる。
「だから——」
「——俺は戒起キョウヤ! お前のアニキだよ阿呆ッ!」
俺が両親へ叫んだあとよりもずっと深い沈黙が辺りに満ちた。マイは「う、ん……?」と理解が追いついていない表情で首を傾げながら、俺を上から下まで眺め、そして俺の顔で停止する。
ビクッと身体が跳ね、その顔から大量の汗が流れ始め、百面相し……。
「あ、ああああ、ああああああああああ——」
「——アニキぃいいいいいいッ!?」
マイは自身が抱きしめている左手を慌てて手放し、頭を抱えて悶え始めた。視線をその背後——両親へと向けると、二人は回復した家族の絆か、全く同じタイミングで視線を逸らした。
——ああ、そういえばこの格好を家族に見せるのは初めてだったな。
購入したばかり——今までオシャレなんてものにはとんと意識を裂いて来なかった俺からはとても想像できないだろう、店員さんに選んでもらった抜群のセンスによる洋服と靴。そして、整髪料の用いられた髪。確かに、今までの俺とはひと味もふた味も違う——さらに言えば五年分の経験によって気配すら異なっているかもしれない。
——だったら、仕方ないかもしれないな……。
俺は心の涙を流して、言った。
「……そう、だな。これにて、一件落着——なワケあるかあああああッ! お前等三人、そこォ座れぇえええッ!」
俺のお説教は、その直前に為された家族に愛を問う叫びよりも、ずっと強くその場に居合わせた者達の記憶に残った、とか残ってないとか——……