第五話 『見つけた……王子様ぁっ!』
「——化、物……ひ、ひぃイイイイイイッ!?」
男が悲鳴を上げて、暴れ始める。必死に俺の拘束から逃れようと腕を引くが、姿勢の影響でほとんど抵抗として成り立っていない。にしても——
——化物、か。
ちらりと、窓に映った己の姿を見る。その頬は限界まで頬の釣り上がった狂気的な笑みを浮かべており、目の瞳孔も完全に開いていた。整髪料を付けて全力ダッシュをした所為か、髪は逆立ったまま固定されてしまっている——文字通り、怒髪天を衝いている。
「お、オレを殺しに来たのかッ! オレが何を悪い事したっていうんだよォ!? オレぁなにも間違っちゃいなイッ! 間違ってるのはマイちゃんの方ダッ! オレぁそれを正そうとしただ、け——」
「——黙れ」
「ひ、ひィッ……!?」
オレは喚くその男——いや、その”敵”へと視線を戻し、殺気をぶつけた。それだけで男は言葉を失った。それにどうやら、男は俺がキョウヤである事にさえ気付けていないらしい。……ほんと、笑ってしまう。
——この程度で、化物か。
「いつまで、そこに座ってやがる」
俺は掴んだ男の腕を引きながら身体を反転させ、背負い投げに近い要領で男を投げ飛ばす——マイの上からどかせる。堅いコンクリート質の地面に背中を激しくぶつけた男は呻き、だが悶えながらも立ち上がってこちらを睨みつけてくる——ドライバーを構える。
——笑えて笑えて、仕方がない。
つくづく思い知らされてしまう。自分はなんて平和な世界で暮らしていたのだろうか、と。まさか俺がその言葉を——『化物』という言葉を向けられる日が来るなんて、思いもしなかった。なにせ俺は——
——『無能者』、だったんだから。
異世界に召喚された『勇者』は一人ではなかった。様々な世界、様々な星、様々な国から、呼び出した側の世界で『人間』と定義される存在が、無作為に抽出された。そして、召喚された勇者は大きく二つに分けられた。それこそが——
——『勇能者』と、『無能者』。
勇能者とは、召喚される過程で身体に特殊な能力を宿した人間——戦略兵器の事。そして無能者とは、何も力を持たないただの人間——捨て駒の事だった。
化物と呼ばれるのは”彼等”であり、俺達は雑兵でしかなかった。彼等の命は敵兵の100に相当し、俺達は1どころか0.1にさえ届かない。それが、現実だった。
誰もが、特別になれるわけではなかったのだ。
「——ま、マイちゃんを返せェエエエエエッ!」
男がこちらへと駆け寄り、手に持ったドライバーを突き出してくる。俺はそれを半身になって躱し、腕を掴み、引く。そのまま軸足を中心に身体を回転させ、相手の勢い——その方向を曲げる。足を引っかけてバランスを崩し、軽く背を押した。すると、相手は工具が散らばっていた地面へと頭から突っ込んだ。
「が、ふッ……ぃ、がァアアアアアアッ!? い、いだ……いだいいだいいだいいだいいだいィイイイイイッ!? 目が……目が、オレの、目がァアアアアアアッ!」
左目に手を当てて、男が悶え苦しむ。その指の隙間からは血が溢れ出していた。地面に転がった工具の一つが、血に濡れていた。
ふと怒りが沸き起こる。それはマイが襲われた事とは別の理由を根源としていた。つまりは——
「——たかがその程度の傷で、喚くな」
冷たく低い声が響いた。
——たかが、その程度の傷。
俺が向こうで最期の戦いを終えた時、身体は既に破壊し尽くされていた。
片腕は『空気砲』を受けて粉砕しており。もう片手は『水流断』にて断ち切られ。右足は『炎槍』を掠めた影響でほぼ全てが炭化しており。残った左足は『岩牙』にて地面の中でぺしゃんこになっている。
脇腹からも臓物が零れ出しており、肋骨もそのほとんどが折れ、口からは止めどなく吐瀉物と血が混じり合った物が溢れだしている。目も潰れ、鼓膜も破れ、喉も焼け……だが、それでも——
——それでも、戦わないわけにはいかなかった。戦うという意思を失うわけにはいかなかった。
失ってしまえばその時点で『隷属首輪』が俺へと激痛を与え、改心がなければ殺そうとする。それが、当たり前だった。
……こんな”常識”を押し付けるのが間違っているのはわかる。だが、だとしても許せなかった。遠くからも聞こえていた、マイに対する絶対的な崇拝——願い。それが、その程度の痛みであっさりと意識の外へと追いやられてしまうという事が、どうしても我慢ならなかった。蹲り、「イタイ、イタイ」と泣き喚くその姿に——自分の身の心配しかできなくなってしまった姿に、激しい苛立ちを覚えていた。
「——おい」
「ィタイ、イタ——ひ、ギッ——!?」
俺は男の髪を掴み強引に立ち上がらせると、その横っ面を——その怪我した眼球を狙い思い拳を振り抜いていた。男が「ぎィイイイイアアアアアアアッ!?」と絶叫を上げながら転がり、「目ェ……目ェエエエエエエエエエッ!?」と地面でのたうち回る。
俺は歩いて近付くと、その脇腹を蹴り上げ仰向けに寝転ばせた。そして馬乗りになると、地面に転がっていたプラスドライバーを掴み、思い切り振り下ろす。俺は男に、恐怖に目を塞ぐ時間さえも、悲鳴を上げる時間も与えなかった。
——ドライバーが、男の頬を掠め、コンクリートの床に突き刺さっていた。
「……ぁ、ひ」
そう男が言葉を漏らしたのと同時に俺は立ち上がっていた。男を跨いで見下ろした姿勢で、告げた。
「——二度とマイに近付くな。でなければ、殺す」
男は数秒間、俺を見上げたまま硬直し——ふと、その無事な方の眼球がぐるりと白目を向いた。『殺す』——俺はその言葉を、一切の齟齬も誇張もなく告げた。それを視線でも伝えた——どうやら男はその殺気に耐え切れず、意識を失ったらしい。身体が弛緩してしまったのか、男の下半身で染みが広がり始めた。
俺は完全に、その男を敵というカテゴリから除外していた——これはもはや、ただのゴミだった。敵意どころか興味も完全に失せ、俺は男から離れ、携帯を取り出して淡々と警察へ連絡を入れた。
——危な、かった。
俺は僅かに安堵を漏らした——俺はドライバーを振り上げた瞬間、男を本気で殺すつもりだった。眼孔を突き抜け脳を抉ってやるつもりだった。ほんの、数瞬の差だった。ここで殺せば、妹達ともう一緒にいれなくなってしまうかもしれない、という思考がギリギリで過り——狙いがズレたのだ。
——と、今更気付く。
「っ……!」
マイが、ゴミに押さえつけられていた体勢のまま、じっとこちらを見ていた。幸いにも服などに乱れも見当たらない。……が、あの男は俺を見て『化物』と呼んだ。ならば例え妹であれ……いや、身近な人間だからこそ余計に、マイもまた恐怖を感じていたとしてもおかしくはない。彼女に関して言えばさらに、俺がゴミを殺そうとした所まで目撃している。
——なに、やってんだ俺は……妹を助けに来て、余計に恐がらせてどうする。
俺は、もう遅いかもしれないが、安全が確保された事だけは伝えようと思い彼女と目線の高さを合わせた。なるべく優しく見えるだろう表情を作って、手を差し伸べる。
「もう……大丈夫だ」
彼女はぼうとした表情で俺の顔と手を交互に見比べて——次の瞬間。
「——見つけた……王子様ぁっ!」
マイは俺へと、抱きついていた。
——え?
「王子様……王子様、王子様ぁ……!」
彼女は何度もその言葉を繰り返しながら、頭を俺の胸へと擦り付ける。その肩は震えている——彼女が嗚咽し、涙を流していることが伝わってくる。恐怖から解放された事を理解したのだろう——緊張が途切れ、感情が溢れ出してしまったのだろう。寧ろここまで泣かずに耐えて来た事を褒めるべきだ。
が。
——王子、様……? なぜ? 王子様? 俺が? 何を言っている?
言葉が同時に口から溢れようとし、しかし一つしかない喉は混線した脳からの命令をきちんと処理できず「ぁ、へ……?」と意味のない音を零すだけ。
そして俺は思考の中で、最悪の可能性に気付いた。
「まさか——恐怖のあまり、精神が壊れた……?」
しかしその可能性は、当の本人によって否定された。
「ぢ、ぢがいまずぅ〜ッ! あ、アダジば、ずっど、アナダみだいな運命のひどをざがじでたんでずぅ〜ッ! あ、アダジば……あ、うわぁあああああああああんぅっ! う、うわぁああああああんっ!」
「も、もういいから……今は好きなだけ泣け、な? 話は後で聞くから……」
俺は話しながら一つの確信を得ていた……得て、しまっていた。マイは間違いなく——
——精神をやってしまったのだ、と。
俺はその事に、深い後悔を覚え……だが今は、彼女の為すがままである事を決めた。遠くから、サイレンの音が聞こえて始めていた——……