第一話 『おいおい……まじ、かよ。冗談じゃねぇぞ……』
さーて、真夏なのに春休み編とか始まっちゃいますよー(笑
強気な目付き、茶色に染めパーマを当てたミディアムショートの髪、起伏の少ない小柄な体格。
「……うへへへ。マイは可愛いなぁ」
「げぇッ!? き、キモッ……ちょっ、変な目でアタシを見んなよッ! おかーさんにチクんぞ変態ッ! つかぶっ殺すぞッ!」
——おっとっとっと。
俺は一緒に朝食を食べていた妹の——マイの姿を知らず知らずの内にガン見していただけでなく、五年前……じゃない昨日までなら到底考えられない発言をしていた事に気付き口を噤む。
が、俺主観としてはこれは仕方ない事だと言わざるを得ない。ずっと会いたくて、会えなかった家族なのだ。以前は最悪という程に仲が悪かった妹が、今では愛おしくてたまらない。
——不思議なもんだ……。
妹の言葉は昔と何も変わっていない。どころか、昨日俺が感極まって妹の眠る布団にダイブしてしまった所為でかつてなく悪い。なのに、その発言にちっとも腹が立たない。前だったら間違いなく殴り合いの喧嘩に発展していたはずだ。
そんな事を思いながら、妹をガン見するのをやめて、朝食を玩味する。
「……ちょ、超うめぇッ……なんだこれッ!?」
と、そのあまりの味の多彩さに度肝を抜かれてしまう……あ、ヤバい。涙出そう。
メニューは単純なハムとスクランブルエッグ、ご飯に味噌汁という和洋折衷。それがなぜここまで美味しいのか……あるいは我が家で食べるからこそここまで美味しく感じるのか。
流石に感動し過ぎたのか、妹が訝し気な視線を向けて来た。
「アニキさぁ、もしかしてなんかヤバい薬物とかキメタっしょ? 昨日なんてアタシをレイプしようとしてきたし。そういうのさぁ、マジで勘弁だから。アニキ自体はどうでもいいけど、アタシらに迷惑がかかるって事、ちゃんと考えてよね」
「いやいや……んなことしねーよ。旨かったから旨かったっつっただけだ。つか、レイプしようとしたわけじゃねぇ——まあ、驚かせちまったのは悪かったけどよ」
「……」
ジトーっとますます訝し気な目になる。嫌これはもはや、犯罪者を見極めようとするかに近い。
「もしかして……既に本当に誰かをレイプして……たりしない、よね? それで、『男になったぞー』とかって調子乗ってる……わけじゃない、よね?」
「いやいやいや……だから何もしてないっつの……」
流石にここまで疑われると俺も戸惑う、というか呆れる。確かに以前の俺は妹に対して相当酷い態度を取っていたが(それは妹もおあいこだが)、ここまで信用がないと流石にちょっと……。
「ふーん……ま、いいや。アタシ等には迷惑掛けないでよ。絶対。死んでも」
「りょーかい」
「あと、お母さん達がもう仕事行ったからって、アタシの事襲おうとしたら今度こそ殺すから」
「……りょ、りょーかい」
苦笑してそう返したのを最後に、妹は「ごちそうさまぁー」とおざなりに言って、食器もそのままに居間を出て階段を上がっていった。逃げるようなそのあっという間の去りっぷりにさらに苦笑。
「うーん……せっかく帰って来たんだし、仲直りしたいんだけどなぁ」
でもお互いの感覚のズレをいきなり無くす、なんてことは到底出来ないだろう。これから徐々に仲を修復していくしかない。今まで気付かずドブに捨て続けてきた宝物を、少しずつでもいいから取り戻していきたい。
「はぁー……」
リラックスして息を吐き、天井を見つめる。自分が意外とその天井を知らない事に気付く。食事中にせよ何にせよ普通は下を向いてやるが……長い間住んでいた、住んでいる家の事すらほとんど見えていなかった自分を自覚する。
安心してゆっくりと食べられるご飯。屋根のある暮らし。綺麗な服を身につけられる幸せ。それもこれも今までちぃーっとも自覚せずに受けていた恩恵。
——帰って来たら、たまには『ありがとう』くらい言ってみるかなぁ。
なんて少し小っ恥ずかしい想像をして……。
「今日は一日、この幸せを噛み締めてごろごろするかな。久々に娯楽も楽しみたいし」
俺はそう呟きながら、また一口、食事を口へと運んだ。
「……うん、やっぱうめぇ。ウチの母さんは料理の天才だなこりゃ。ほんと、超うめぇ……」
また漏れてきそうになる嗚咽と共に、ご飯を飲み込んだ。
ただ簡単に調理したはずの料理達からも敏感に感じ取れてしまうお袋の味。それはまさに、至高の美味しさだった——……
* * *
「……いやほんと、癖って怖い」
今日一日はごろごろ過ごす——そう宣言したはずの俺は……なぜか、ランニングをしていた。向こうにいたときは身体の調子を整える事は生死に直結していた。また、一カ所に留まっているなんて敵に殺してくれと言っているようなもの。
……つまりは、じっとしていられなくなったのだ。
——実は俺、これって結構ヤバいんじゃね……?
脳裏を過ったのは、心的外傷後ストレス障害——PTSDと呼ばれる、それ。戦争から帰って来た軍人が、平和な町中で敵の姿を幻視して友人や家族を殺してしまったり、銃を手放せなくなったりする話。
「てか、俺……なんてもの持ってランニングしてんだ」
自身の腹を服の上から擦る。そこにあったのは、ベルトで腹に巻き付けられた——
——包丁だった。
「おいおい……まじ、かよ。冗談じゃねぇぞ……」
全身を怖気に覆われた。俺は、その考えを振り払うかのように速度を上げてランニングを続けた。……しかしそれは、包丁を手放すという選択肢を帰宅するまで全く思いつけなかった、というさらなるショックを生み出しただった——……