アシュリー1
アシュリーが駅で待っていて、もうすぐくるすみれを待っていた。
改札を抜けてきたすみれは、不満そうだった。
「柴研のアシュリーさんが気に入った?」と小声で僕にささやいた。
「そういうわけじゃないよ」
「いいの、私だって気にしてないから」確実に顔に私は気にしてます、と書いてあるようなものだったけれど、こうなった彼女をどうすればいいのかよくわからない。
ただ、すみれの好きなチョコレートパフェをおごると比較的機嫌はなおりやすい。
3人でアシュリーの家に向かう途中で、アシュリーはこれまでのことをすみれに話していた。
…全て英語で。
「話は聞いたわ。たしかにうかつだった。最後の部分だけがパリンプセストだと思い込んでた」
「でも、アシュリーは本文の方は20世紀以降の偽物だったって」
「全くありえない話ではないの。15世紀のパリンプセストを見つけて、後世の人が綴じ込んでおいたという形でね。でも、納得のいかないことの方が多い。だったらどうしてラエマ冬の書にいれこむ必要があったの?
冬の書の最初、読めるように書いてあるそうね。この本を読める人へ、と。私は断然特殊なガラスの製法を15世紀に見つけて隠していたと考えたいわ」
すみれはかなり早口でまくしたてた。
「文献研究の難しいところは、科学と違って再現実験ができないことだよなぁ」
「あら科学者みたいなこといって。それに、再現なら考えてあるわ。私の考えが正しければうまくいくと思う。ラエマは愚かな人ではなかったはずだから」
すみれは謎めいた笑みを浮かべた。
間もなくアシュリーの家についた。簡単な門のついた庭のある一軒家で、少しだけツタが家にはっている。小さな庭にはナスやシソ、それにバジルが植わっていた。
「いらっしゃい。アシュリーの友達ね。私はマーサ」鼻の高い白髪のおばさんだった。しわくちゃの魔女の老婆という感じではなかった。そしてアシュリーよりも日本語が上手だ。アシュリーがおばさんを紹介してくれたのも納得できた。
一軒家はもう夕暮れどきだったからか、外からの風が涼しかった。
マーサおばさんはハーブティーとクッキーを作ってくれた。
「カップがウェッジウッドですね。これ、とってもいいものなんですよね」すみれはカップが気に入ったようだった。
「だから大切に使っているわ。アシュリー、ジャムをとってきてね」
「さぁ準備ができたわ。
私もまだイギリスからやってきてジェットラグがあって、まだ夜の方が目が冴えてしまうの。
順番に話をしていきたいと思うけれど、途中で質問があったらすぐにしてくださいね。待っていると忘れてしまうから。
最初に、魔女とウイッカの違いについて説明しないといけないと思うの。
魔女というイメージは昔から悪魔と結託したものだというイメージは、ずっと昔からあったものではありませんでした。昔から、薬草や毒草を見分ける能力を持った女性がいたけれど、それは誰かに迫害されるということはなかったそうです。
その魔女は、キリスト教がやってきたときでさえ、必要以上の迫害はされてきませんでした。
ただ、一冊の本、「魔女へあたえる槌、マレウス=マレフィカルム」が出版されてからは、キリスト教の聖書に書いてさえいない魔女への急激な迫害が始まりました。
魔女とは、もともとどんな存在だったのか。それをたどると、15世紀ごろ免罪符を売って利権に目がくらんだ当時のキリスト教に密かに対抗する別の教典を作る人たちが現れました。
その人たちは、主に清貧を説いて説教をしてまわったそうです。「外典」といってキリスト教の教義ではないものと認定されたもののいくつかは、このときのキリスト教に対して、より聖書に忠実になろうとした人たちが書いた物も含まれていたそうです。当時のキリスト教の一般的な教徒が説得をしにいっても、議論をして勝てることはほとんどなかったそうです。
ある街がそういった新しい形のキリスト教を受け入れるようになって、その街ではかなり公にその思想が取り入れられたそうです。その街はかなり富裕層が多く、自由な思想が認められていたのです」
「プロテスタントのルターですか?」すみれが口を挟んだ。
「いい質問だわ。ルターはその当時の人だからそう思うのも当然。ルターは免罪符を認めなかった。そしてイコンも認めなかった。聖書にたちもどれ、というのが彼の主張だった。でも、ルターは外典を許しはしなかったの」
マーサおばさんはカップを置いた。
「その街は、キリスト教による「十字軍」に襲撃されました。カトリックの法王は、キリスト教の分裂を避けたかった。そしてもう1つは、十字軍は異教の討伐をする際に、財産の没収権を持っていたの」
「街は蹂躙されたわ。今、その頃の魔女とすら呼ばれていない人たちが、何を信じていたのか私はわかりません。そして、その街の財産はキリスト教に認められた形で教会に没収されたのです。そのあとしばらくして、マレウスマレフィカルムが、魔女の判別方法と、予想された通り魔女の財産を奪っていいと正式に認められたて出版されました」
「ここではどんなことが行われたのかはいえません。ただ、そこから約300年にわたって魔女狩りが続きました。そして、当時魔女が何を信じていたのか、何を目指していたのかということは文書の形ではほとんど残りませんでした」
「ウイッカは、その魔女の行いをできるかぎり継承しようとしておこった一種の宗教運動でした。知りうる限りの知識を集めて、再構成したのがウイッカです。
ただウイッカが、キリスト教と大きく違うのは女性の側にたった宗教という事になるでしょう。女性が行う生理、セックスや出産などについても知識を与えるようになりました。崇める対象は、女性をモチーフにした月になりました。また、古代宗教から独自の暦の感覚を築き上げました。それがサバトです。日本でも秋祭りや夏祭り、田植えの祭りをするでしょう?魔女のサバトは、季節の祭りなんです」
僕はサバトという言葉に反応した。
「でも、魔女のサバトは夜にやりますよね?」
「昼にやることだってあるんですが、月を信仰する魔女たちは夜、月が出ているときにやることもありますから。ウイッカとしての魔女の求めるところは、他人に迷惑のかからない範囲で、好きな事をしなさい、という点につきます」
アシュリーが、ラエマ冬の書のことを話して、プリントアウトしたものをみせると、マーサおばさんは息を飲んだ。
「これが冬の書?魔女の中で、ヒイラギとツタのコンテストについて聞いた事があるわね」