と思ったけど
小気味いい音を立ててキーボードを叩いていた手を止めた。作成していた書類をパソコン上にタイプし終えるまであと少し。一気に書ききりたい所だったが、窓際の机に座る部長の自分を呼ぶ声に仕方なく作業を一旦休止した。
「なんでしょう?」
この部長の事だから、ろくな用事ではないだろう。早く作業に戻りたい旨をめいいっぱい怪訝そうな表情に込めて部長に訪ねた。
「何じゃないよ君!例のプロジェクトの事だ!今日の十一時、向こうの専務と会議だと言っていただろう!」
激しくまくしたてる部長。どうやら今日の午前、大事な会議があって、自分はそれをすっぽかしてしまったらしい。
だが、そんな話は聞いていない。今日の午前に会議があったなど今初めて知った。目の前で怒鳴り散らす部長だが、本当はこの部長が自分に連絡するのを忘れていたんじゃないのか?いや、この部長の事だからきっとそうだ。
「どうして会議に行かなかった?まさか忘れていたとは言わせんぞ!」
「いえ、忘れていたどころか今知りましたよ。」
…と思ったけど口には出さない。ここで反論しても火に油を注ぐだけだという事は過去の経験で痛いほどわかっている。どっちみち向こうの企業からしたらこちら側の過失なのだから、大した変わりは無い。
「どうやったらこんな大事な会議を忘れられるんだね!」
「どうやったらこんな大事な会議の連絡を忘れられるんですか?」
…と思ったけど口には出さない。今は我慢だ、我慢。
「君だけの責任では無いんだぞ!私の管理責任も問われる事になる!」
「そりゃああなたの管理責任ですから。」
…と思ったけど口には出さない。心の中では部長をロープでぐるぐる巻きにして散々罵倒した上に社屋の屋上から吊るしてやりたい程腹が立っているが、表面上は申し訳なさそうな顔を作って平謝りする。
「向こうの専務はひどくお怒りのようだ!どう謝ればいいんだね!」
「俺に聞くな、あんたが一人で出向いて謝ってこいよ。部下に連絡を忘れたのはこの私です。あと会社のカーペットを切り刻んで白ご飯の上にかけて食べたのと、入口のドアの上部に黒板消しと大量のもずくを挟んだのも私です。って。」
…と思ったけど口には出さない。
「とにかくこれから私は向こうに出向いて謝ってくる。君も来るんだ!」
「俺は行かねーよ。代わりにこの前暇つぶしにウルトラマンのソフビ人形の下半身四つを繋げて作ったカニみたいな形のやつと一緒に行くか?十七匹までなら俺の机の中に入ってるぞ?」
…と思ったけど口には出さない。
「早く準備をするんだ!時間が無い!」
「高原のコスモスは美しい。全ての花びらをむしってやると、先端をぐるんぐるん回しながらキエエエエエエと泣き叫び、遠くまで走り去って行くのもいとをかし。」
…と思ったけど口には出さない。
「何故もっと急げないのだね!君のミスなんだぞ!」
「ミス→砂まみれ新生児→蛇腹式うんち→地下から沸き上がるぬるぬる脚立→ツナまみれトンボ→ボ…ボ…ボーーーーーーン!」
…と思ったけど口には出さない。
「じゃあ行くぞ!いいか、とにかく謝るんだ、謝って済む話じゃないんだが、何度でも頭を下げるんだぞ!」
「全身うなぎパイコーティング力士 れんこん丸(富山県出身 ふかし芋部屋)」
…と思ったけど口には出さない。
「さあ、行くぞ!」
次の瞬間、俺の持て余していた左右の二本ずつの腕が部長をぐるぐる巻きにした。悲鳴を上げる部長の口を一番大きな吸盤が塞いでしゃべれなくする。
「噛んでみい、噛んでみい、磯のいい香りがするぜよ。」
…と思ったけど口には出し、部長を驚かせた後、切り離した一本の腕でぐるぐる巻きにした部長をオフィスの窓から吊り下げ、俺は雲の切れ目からのぞく太陽の光の下へ。大空へと飛び立った。