茨城説話 ばらき土蜘蛛の伝承
筆者が幼少のおり、古老に口伝えされた地方民話を、解釈を交えて紹介する。
民話を語り継ぐ語り部のひとりとして、読んでくださったかたに、なんらかの発想を兆していただければ幸せである。
昔は、茨城県のあるあたりゃ常陸とか北下総とか言ったんだけんど、いま「ひたち」っつったら、日立製作所のほうの漢字で子どもらは思うかしんねぇな。
まあ、それはともかくよ、茨城ってのもちゃんと伝説に基づいたれっきとした名前だかんよ。
茨城の土蜘蛛の話をしてやっかんな。
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※筆者注
茨城を茨城弁で発音すると、正確には「いばらぎ」である。ただし、発音のみが「ぎ」と濁り、振り仮名は「いばらき」と振るし、それが正解である。なお、茨城県民は「いばらき」と言っているつもりでいる。他県民に「いばらぎ」と言われると憤慨する茨城県民は多い。
本稿では、振り仮名をふる際、できうるかぎり発音どおりの表記としたいが、本来は濁らないことをここに明文化する。
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茨城には、茨城台ってトコがあってよ、これが茨城県のもとの名前だわ。
昔、茨城台のふもとあたりは、でっけえ集落があったんだわ。
常陸の国の国分寺が見下ろせる台地でよ、霞ヶ浦もちけえ、筑波山もちけえ、物がいったりきたりすんのには、いい土地だったんだっぺな。
んでも、困ったことだ、あるとき茨城台にでっけえ穴っぽこ空いてるっつって、集落のわけえ連中が見に行ってみっぺってなったんだと。したらば、誰ひとりとして帰ってこねえ。
なんかあったにちげえねえ。
国分寺と国分尼寺をつくんのに、ずいぶん樹をきったからよ、山の神が怒ったんだっぺという話になったんだわなあ。
んだけんと、おんなしように樹を切った、筑波の山の神さまは怒ってねえんだわ。国分寺のはしらにする分だけじゃなくってよ、筑波山のほうは、瓦を焼くための木も切ったのに、特に怒ってる気配もねえ。
したら、おかしい話だってなったっぺなあ。
なにか居んだっぺ、おっかねえ獣がいんだっぺ、つって噂になって誰もちかよらねえようにしたんだぁ。
んだども、だめだ。
今度は、集落のわけえのが、どんどん攫われるようさなっちまった。
わけえのだけでねえくて、どうも子どもも多く攫われたようだったんだ。
また噂んなってよ、夜さなったら茨城台のほうから脚のたくさんあるのが這い駆けしてきた、穴ぽこから黒いけむくじゃらが出てきて攫っていった、つって、集落は、ほとほと困りはてたんだわ。
んでは、しかたあんめ。腕っ節の強いのに退治してもらうしかねえわ。
山で鹿を獲る狩人と、湖で魚を捕る猟師と、国分寺の衛兵と、この三人に、村長は嘆いて頼んだんだ。
んで、弓もち、銛もち、剣もち、三人は台地の穴っぽこ目指していったど。
薄暗い穴んなか、じっと目をこらして様子をみたんだぁ。
したらば、それみたことか、でっけえ蜘蛛が何匹もいて、肝がちゃぶれる心地がしたんだわ。
暗くてよくは見えねえど? けんど、よくよく見たら、人の骨が転がっててよ、人を食ってたんだってのが分かったんだっぺ。
なるほど敵の正体が分かった、つって、三人は集落にもどって、やっつける方法を考えたんだ。
集落の堀や柵が役にたたねえからよ、猟師は網でとらえっぺと言い出して、狩人は目を遠くから狙い打つんだと言い張った。
んで、その夜。
腹をすかした大蜘蛛が集落の堀を駆けて、柵をよじ登ってきた音がした。
それっ、と、猟師が網を放って、狩人が矢を放って、んだけんとが、相手は脚がたくさんあっぺ?
ぜんぶ避けられっちまう。
おかげでその日は誰も攫われねがったんだけんと、追い払っただけで、三人は負けたような気分だったんだわなあ。
国分寺の衛兵が、これではダメだと頭をひねったんだわ。
んだってよ、巣穴にはうじゃこらいたんだっぺ?
一匹しかこねえもの、一匹だけ退治したって、また次のが来たら、ずっと戦い続けなきゃなんねえ。
そこで名案が閃いたんだぁ。
猟師は、なんとかかんとか次の日の夕暮れまでに間に合わせて、三人一緒に、またあの薄気味悪い穴っぽこさやってきた。
その穴っぽこの入り口さ、茨で編んだチクチクする柵をおいて封じ込めちまったんだ。
んで、国分寺の衛兵は火をたいてよ、蜘蛛どもを煙でいぶして穴から誘い出すわな。
そこへ、真っ赤な目をした蜘蛛が殺到すると、目ん玉を繰り抜くように狩人の矢があられと降ってくるわけだ。
茨城ってのは、この茨で編んだ柵のことだぁ。
最後に、剣で蜘蛛の頭を切り落とした時に使った剣を、天にも届く「雲霧のつるぎ」と呼んで集落の宝物になったんだっつう話だわ。
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【筆者解説】
人食い蜘蛛、大蜘蛛。ファンタジーの世界にはありがちな強敵と言えるが、あえて土に穴をほって暮らす蜘蛛であるところにこの話の絶妙さがある。この蜘蛛は、網を張って待ち構えるのではなく、むしろ逆に、網にとらわれる存在なのである。しかも、これまたファンタジックなキーワードであるが、わざわざイバラをもって網にしているあたり、相手が巣穴住まいでなければ使えない策略であるあたり、民話の構成として巧妙である。
大昔のことであるから、解釈は想像によるしかない。しかし、節足動物は、陸上で生活できる大きさは限られており「肝をちゃぶす(肝をつぶす)」ような大きな人食い蜘蛛は、気圧のある陸上では存在しえない。当然的に、人間であると推測することとなる。
たとえば、ヤマトタケルはクマソタケルを退治するところからヤマトタケルと名乗るようになるという話がある。完全に動物寓話にしてしまえば、これは熊退治で描くことができるというものだ。
このクモ退治も、なんらかの旧部族と新政権を意味していると考えられる。茨城県であるから、その時代は蝦夷が原住民としていただろう。
やまと言葉の「ク」の音は、たいがい「暗い」と意味のつながりを示している。新政権側が「クモ」と呼んだのであれば、暗愚たる原住民がいたということである。クマも、本来は「熊」というよりは「隈」であろうし、やまと言葉で考えると、クモも「蜘蛛」そのものよりもむしろ「曇り」のほうが連想される。集落に暗い影を落とすクモである。
何かのきっかけで、人肉を食らうことを覚えた洞窟式住居の原住民と思うと、毛むくじゃらであったのは獣の皮を衣服としたからだろうと、さらに想像がつながっていく。茨城県以北は、それほど隆盛な文化現象ではないものの、古代には貧しくなれば人肉を食うことがあったし、伝統として、敵対する者の肉を食うことは己を強めることとなるという呪術的な雰囲気ももっている。
ところで、筑波山の狩人、霞ヶ浦の猟師、国分寺の衛視、というパーティの組み方も、地域に根ざしていて独特であるし、なお、それぞれにそれなりの活躍の機会が与えられているのが痛快である。
誰かひとりでも欠けたら、このストーリーは成立したかどうか。それは、しただろう。
しかし、たったひとりの英雄でことを解決するのではなく、失敗をしながらもそこから考えて課題を突破しようと言う意思があるように思える。
それぞれの特性を生かす強みを、ばらき伝承はほんのりと伝えているように感じられる。