なんで?
「寺島さんよね?」
明希が踊り場から声をかける。階段に足を踏みかけ、止まる。
寺島が涙目で振り向いたのだ。
泣きたいのはあたしだ!
明希は相手を刺激しないよう、慎重に言葉を発しようとした。
「どうし…」
「なんで!」
明希の言葉は遮られる。
目の前の少女からは涙が流れている。
明希はためらった。 相手は自分を狙った犯人なのだ。涙なんて気にする必要無い。
だが
「なんで私ばっかり!」
少女の悲しそうな表情。悔しそうな表情。
「おかしい!あなたみたいに、夢なんてなさそうな、ただ生きてるだけの人間が、いるのに!なんで私が!!」
寺島の涙混じりの声。
「あなたみたいに、いてもいなくてもいいような、…そんな人間がいるのに!」
ひどい言われようだな。
明希はそう思ったが、返せる言葉がない。
「あなたなんて、きっと死んでも、だれも、悲しまないのに!…なんで、…なんで」
明希はもう何がなんだか判らなかった。
自分の適当な生き方が責められている。だから自分が嫌がらせを受けたとでも言うのだろうか。
「知ってる」
賢太の声に明希は振り向く。
踊り場の鏡の中の賢太は、鏡の中の自分の場所から少女を見ていた。
「俺、明希が仕事してる時とか暇でさ。店の中とか、うろうろしてたんだ。その時、この子のロッカーの中。扉裏に付いた鏡を通った気がする。」
賢太は同情するようなめで寺島を見た。
「ロッカーの中がぐしゃぐしゃになってて、『汚い奴だなー』って呆れた。でも、違ったんだ」
寺島には賢太の声が聞えない。ただ俯いて涙を流す。
「あなたみたいな人がいるのに………あなたがやられればよかったのに…………」
と、言葉を漏らしている。
「あの子のスクールバックが開けられてて、ノートとか、筆箱とか見えたんだ。死ねとか、ぶすとか。この子も明希みたいに苛められてるのかーって。そのまま通り過ぎたんだ」
明希は賢太を見て、寺島を見た。
少女は泣きながらうっぷんを明希に投げつけていた。
明希は階段を一歩上がる。
「寺島さん。バイトで苛められてたの?」
少女はびくりと肩を震わす。
明希はまた一段階段を上がる。
「だから、いてもいなくても同じ様なあたしに、八当たりしたかったの?」
少女を責める言葉ではない。自分が苛められても良い位置に居るのは、明希も判ってる。
「だけど、人を殺すのはいけないと思う」
また一段。
「来るな!」
少女は泣きながら叫んだ。
「うるさい!あんたなんかに言われたくない!今まで頑張った事なんて無いくせに!!私は、私はずっと耐えてきたんだ!なのに!」
また一段。
明希は黙って上がる。頑張った事がないと言う言葉に、何も返せないから。
「私は頑張ったんだ!あいつらにも、学校の奴等にも!はっきり自分の意思を言ってやったのに!」
学校でも。
明希は心が痛くなった。
また一段、上がる。
「ずっと、ずっと耐えて、なのに、…なのに、」
明希は思う。
誰か一人でも助けてくれる人は居なかったのだろうか。
「親は?先生は?友達は?」
何もしてくれなかったのか。
この質問に、少女の肩が震えた。
俯いて。喚き散らすとは違う、抑えた声を出す。
「あいつら、…いたんだ…私にだって、…ずっと、ずっと。」
少女は俯いたまま涙を流す。乾いたビルの床。むき出しのコンクリートに、黒い染みができる。
「だから、親にも心配かけないよう、…耐えてこれた。なのに…よくも…、あいつら…よくも……」
ひくひくと肩を震わす少女。
明希は一段一段少女に近付き、手を伸ばした。
「ぁき…だ!」
賢太の声が階段下の踊り場から聞こえた。だが何と言ってるのか判らなかった。
明希は手を伸ばす。
少女は顔を上げた。涙でぐしょぐしょに濡れた顔。赤くなった目が、自分をかたきのように睨みつけた。
(え?)
「よくも…あいつら……裏切りやがって!!!!」
どんっ
少女の両手が明希を押した。
明希の少女へ伸ばした手は空を掻く。
足が階段から離れた。
スローモーションで身体が傾く。
「明希!」
賢太の声。
視界にあるのは何も掴めなかった自分の手。
(ほらね)
やっぱりだ。
自分もつまらない死に方をする。
『あなたなんて、きっと死んでも、だれも、悲しまない』
甦る少女の声。
なぜか切ない。
何も出来なかった自分が、悔しい。
出来なかった。
違う。
しなかったのだ。
私が見たのは近付いて来るコンクリート。
それはとても暗くて、冷たそうで、悲しい悲しい灰色―――