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約束

 明希はベッドの上で、天井をぼんやり見つめながら呟やいた。

「賢太、居る?」

「ん?ああ」

 三面鏡から声が返る。

 目をつむってしまえば、何も見えず何も感じない室内。自分の存在すら薄く感じるこの部屋で、明希は自分以外のもう一人の存在を確認した。

「なんだよ?まさかもう居なくなったと思った?」

 軽く笑ったような声色に、明希はむすりと答える。

「うん。あんたが静かになるなんてあり得ないから」

 実際にそうだ。彼はいつ消えても間違いのない存在。

 だって、実際にはもう消えている存在だから。

「は?…あ!もしかして沈黙が寂しいのか?じゃあ俺が子守歌でも、」

「うっさい!」

「まだ歌ってねーよ!」

 明希が三面鏡を見ると、賢太が唇を尖らせて笑っていた。

 目が合い、明希からそらす。

「心配すんなって。俺はまだまだここに居るって」

 お前をからかってやんないといけないんだからさ、という言葉に、明希は顔を上げないまま「ばか」と呟く。

 言わなければ。

 言わないといけない。

(…言わなきゃ)

 何かが明希の心を揺さぶっていた。なにか。あの明ける空を目にしてから、あの充ち溢れてゆく光の波を肌で感じてから、なにかがずっと、彼女をせかしていた。

 はやく。ハヤク。速く。早く・・・


「カメラマン」

 時間にするとほんの少しでしかない。賢太が唇を尖らせて、笑って、それからほんの数秒の沈黙だ。その数秒の沈黙に、沈黙と呼ぶにも時間的に「沈黙」という言葉が当てはまらないのではないかと思う少ない時間の幅に、部屋へずけずけと放たれたのは明希のむすっとした声だった。

「は?」

 賢太はあまりに突然すぎる単語に目を丸くした。

 明希は変わらず、天井を見つめる。

「カメラマンになりたい」

 そう言うと、天井に向けられた視線が一瞬賢太へと向けられ、眼があったかと思うとサッと反対側の壁へ顔をそむけた。

 賢太からは彼女の表情が見えなくなってしまったが、だが確かに彼女の今の心境がわかった。それはもう確実に。子供のようにわかりやすい彼女のその動作から。

 察するに、彼女はいま、恥ずかしがっているのだ。

 今まで自分の夢を他人に話したことはなかっただろうから。どちらかというと、汗を流して必死に働いてる人間を指差し、「なんであんなに頑張ってるのか」と、訊く様な人間だったから。

 そういえば、彼女から将来についての話を聞くのは初めてかもしれない。それもカメラマンだなんて、こんなあからさまに「夢」という単語がお似合いな言葉を彼女の口から聞いたのは本当に初めてだ。

 恥ずかしさを隠した正直なその言い方に賢太は笑った。

「俺と一緒だな」

「…うん」

 明希は気まずそうに頷く。

「良いんじゃねーの」

 鏡の中の彼は、いつもになくやわらかい声音だった。

「その代わり今から死ぬ程がんばらねーと。絶対難しいよな」

 絶対なれるよ、とか無責任な事は言わない。今の彼女の状況から、正直な意見を正直に述べる。「死ぬ程」という言葉を強調し、今までの時間のロスを相手の耳へ、頭へ、刻みつけて。

 明希はそんな賢太の対応に感謝した。

「ありがとう」

 照れながらも、賢太の目を見て。

「照れんなって」

 賢太はそんな明希をからかう。

 ぼふっ

 枕が飛んだ。もちろん明希から放たれたものだ。

 そして鏡のなか賢太は笑う。

 明日は仕事行かなきゃな。と明希が呟き、お前って意外に真面目だよな。と賢太が言った気がした。賢太が子守歌を歌い出して、明希は初めて聞く賢太の歌にくすぐったくなり、うるさいと言った気がした。賢太はそんな明希を鏡の中からからかって、明希はもちろん反論して…



 *



 目を覚ました。

 ベッドの上。

 見慣れた天井。

 静かな室内。


「―――」

 私はがばりと身を起こし、三面鏡に目をやった。

 それは、なぜか、いつの間にか癖となっていた朝の日課。朝起きたら、まずはじめに三面鏡を見て、おはようと言っていた。今思えばとても不自然な日課。

(なんでだろう)

 あんな不自然な日課を、自分は疑問も持たず受け入れていた。

 それが当たり前だと思っていたからこそ気付かなかった非現実的な現実。

 私がそこに見たのはいつもの三面鏡だった。

 そう。ちゃんと自分が映る三面鏡だ。

 そこには自分以外なにも存在しないし、誰もいない。

 別に、これは普通のことじゃないか。私は自分にそう言い聞かせ、ベッドから立上がり洗面台へ向かった。

 寝不足なのか、どことなくかさついた顔。それに思いっきり水をかけてやり、視線を上げれば鏡。

 そこには自分がいた。

 もちろん当り前な事だ。

 何も変わっていない。そう。なにも。

 これが現実。


 そこにはもう、自分しか居ない。どの鏡にも。

 当り前の常識。


 明希は、昨日テーブルの上に置きっ放しにした100均の手鏡に手を伸ばした。

 バックに入れておかなければ、仕事に行く時忘れてしまいそうだ。

 仕事。

 そういえばもう昼ではないか。明希は壁に掛けてある時計をみて、頭をがっと抱え込んだ。手に握ったままの手鏡が、頭に当たってごりっと言ったが、そんな事は関係ない。

(連絡してない)

 電話しなければ。咄嗟にそう思った。

 菅原さんに電話しなきゃ。

 あと、今日はもう休もうか。何でだか気が乗らない。何もする気にならない。

(なんでだろう)

 切ない。

 当たり前のはずの日常が、切ない。

 明希は電話へ手を伸ばしながら、ちらりと視線を流した。静かな部屋の中、動こうとも喋ろうともしない三面鏡を見つめ続けた。


 これが、『現実』。


 頭に浮かんだ一つの言葉。その言葉を、突然電話の電子音がかき消した。

「もしもし」

『もしもし。菅原です』

 菅原さんか、と明希は壁にもたれる。

 今日は仕事を休もうか。今から行く気にはなれない。しかもこんな寝起きの顔で。

 行きたくない。

 明希は手の中の鏡を見た。ずっとこうして、あの鏡を眺めていたい。

 行きたくない。

 カタン

 ゆるんだ手の力。そこから見慣れた手鏡が滑り落ちた。

 

「あ―――」

『もしもし、山田さん?』

「あ、はい。すいません」

『今日は休む?今から来るのもなんでしょ?』

「い、いえ、あの、」

『山田さん?』

「行きます!今からでも、行きます。大丈夫です。」

『そう。…無理しないでね。待ってるから』

「はい。わざわざありがとうございました。ではまた後程」

 ガチャ・・・ツー、ツー、ツー・・・・・・

 部屋はまた静かになった。

 明希はたった一人の、当たり前の部屋の中。電話を切ると、滑り落ちた手鏡を拾い上げ、そっとその表面を指でなぞった。


 現実。


(まったくあいつは)

 自然と笑みがこぼれる。それは少し泣きそうにも見える、今までにない微笑みだった。誰にも頼ろうとせず、心を預けようとしなかった明希には、はじめてのそのほほ笑み。

「『ん』だけ逆だっての。ばか…」

 鏡の中から、鏡文字で書かれた字。こちらから見て読みやすいようにという、亡き友からの気遣。

 そう。

 鏡の中には明るい色の口紅。

 二人で買いに行った、あの―――


 『がんばれ』


 今は亡き友。

 だけど確かにここにいた。


 今日も、明日も、仕事に行こう。勉強しよう。



 私も少し、夢を追ってみようか。

 あいつを見習って―――


 

2006年10月頃作 そのうちちまちま直す予定。

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