三面鏡
最後までお付き合い頂けるとうれしいです。
「うわっ、ぶっさいくな顔!」
そう鏡に言われたのは今朝の話だ。
朝、三面鏡にいつも通り向かい、いつも通りのしてるかしてないか判りずらい、曖昧な化粧をしようと、腰を下ろした時。三面鏡の真ん中の鏡にそいつは居た。
鏡の中、本来なら第二の私が座っているはずの場所にそいつが座っていたのだ。
茫然とする私を尻目に、起きたばかりの私の顔を、特等席でじっくり見て居た。
私は始め、寝ぼけているのだろうと思った。なにしろ、半年位前に死んだはずの友人が鏡の中で自分を見つめていたのだから。こんなこと、常識的には絶対にない事だと知っている。
なのにそいつと来たら、私の開ききって無いどこか虚ろな目と会うと、「うわっ、ぶっさいく!」などと、驚いたアクションをオーバーに取り言うのだ。
「・・・。」
「ん?どうしたんだ?」
不思議そうな賢太の声。それを無視して私は立ち上がる。視線はまっすぐ前を見たまま、固まっていて動かない。現実を受け止められていない私はまっすぐに洗面台へと向かった。というより、これを“現実”という言葉で表してはいけないと、私の中の私が強く訴えかけていた。
冷たい水が私の顔を叩き叱咤する。「何をしてるの、早く起きなさい!」と、言葉にするならそんな感じだろう。ばしゃばしゃと大ざっぱに顔を洗ったあとは、ついでに歯を磨き、改めて三面鏡と向かい合う。
もうそこには自分の写った姿しかいないはずだ。私は鏡に向かいあう前、瞼をゆっくりと閉じた。そして、鏡の前に置かれた座敷に腰を下ろし、正面に自分の座る姿をイメージすると、ゆっくりと瞼を持ち上げる。
(大丈夫。もう目は醒めた。頭も冷めた。なにもなかった。なにもいなかった・・・)
「お、覚めた?」
そいつはまだ居た。
鏡の中で三面鏡の台に肘をつき、ひらひらとこちらに手まで振っていた。
「な゛っ、」
「オハヨ」
私の顔から血の気が引いた。
「何であんたがここにいんのよ!?」
「ハハハ、びっくりしてる」
腹を抱えて笑う姿は生前のままだった。そんな姿は余計に私の頭を混乱させた。
「いや、意味が判んない!あたしまだ寝てる!絶対そう!これは夢!!夢なんだから!!」
私は頭を抱えながら、ぶんぶんと首を振った。そんな姿を、鏡の中のそいつは楽しそうに眺めて居た。まるで悪戯に成功した悪ガキのようだ。
「首落ちちゃうよー」
呑気に顎を台の上に乗せ、まるで人事のように混乱する私を笑う。
「あんた解ってんの!?こんな事絶対あっちゃいけないんだから!!」
「良いよ、俺楽しいし」
知るか!と、私の中で私が叫んだ。
おかしいのだ。なぜこいつがここにいるのか。幽霊という存在を今なら信じられるのかもしれないが、こいつを見ているとそれとも何か違う気がする。そして、こいつが、もし、万が一、“幽霊”という存在だとしても、私の前に現れた理由がわからない。心当たりがないと言えばうそになる。葬式にはいかなかったし、一度も線香をあげた事もなかった。こいつのために涙を流した覚えもない。借りた320円も返さずじまいだったし、高校時代に流行った懐かしいCDも、借りたままいつの間にか私のものになっていた。思い出してみれば、あれもこれも、“恨み”や“未練”というものを十分に引き出させるような軽罪が私にはあった。
そうか、こいつはそれらもろもろの仕返しをしに現れたのか。と、どこか納得しかけものの、やはり、私の中にある冷静な何かが、「そんなはずがないだろう」と、軽くお咎めをくれてくれる。
納得できる理由が今の私に見つけられるはずもなかったのだ。
私はどうしたらいいかわからないまま、寝ぐせでどんちゃん騒ぎの髪の毛を、更に両手でぐしゃぐしゃとかき乱した。
「もう!わけがわからない!!」
きっ、と鏡をにらみつけ、説明を問い詰める私へ、健太は今の私では決して頭が回らないであろう素晴らしい一言を暮れてくれたのだ。
「そんな事より、大丈夫か?」
私の時間が一瞬静止した。だが、鏡の中の賢太が指差す方を見て、即座に現実に戻されたのだった。
「は!?」
指差されたのは壁時計。見慣れたその丸い枠の中には7:45の時を刻む針が二本、止まることを知らずチクタクと時を刻んでいた。
やばい。あと15分しかない。
私の頭からはさらに血の気が引き、きっと鏡の中のやつからは真っ青な私の顔が見えた事だろうと思う。
電車に乗り遅れる。咄嗟にそうおもった私は即座にはね上がり、ばたばたと、中断となっていた朝の支度を再開し始めたのだった。
「もっと早く言いなさいよ!」
慌てあがらも責める私に、健太は親指を立ててニッと笑った。
「大丈夫!お前なら行ける!!」
お前はどこまで能天気なんだ!
この時ばかりは、いくら大切な三面鏡とはいえ叩き割ってやろうかと本気で思った。