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天使のあなたは夢の中

作者: 秋絽
掲載日:2026/10/11

———ガチャ


 マンションの自室の扉を開けると、内装が一切見えない程に暗い部屋が俺を出迎えてくれた。


「バイト疲れた〜……」


 学校の帰りに、7時間にわたる接客をこなしてきた俺は、玄関の横にあるスイッチを押す。

 タン、タン、タンとリズムを刻むように明かりがついていく。この、夜に帰ってきたときにしか見られない光景が、家に帰ってきたんだと思わせてくれる。


「も、もう動けない……」


 時計は2時を指していた。

 まだ慣れない大学生活に、深夜まで入れられるシフト。バイトを始めてまだ1ヶ月なのに、ちょっとあんまりだ。

 ふらつく足で、寝室まで歩く。シャワーを浴びたかったけれど、睡眠欲のほうが強かった。


「ぉやすみ〜」


 ベッドは最高だ。疲労がたまった俺の体を優しく抱きとめて………く…………れる………。


■


 目を開けると、俺はどこの家にでもありそうなリビングにいた。机や椅子、テレビなどの家電が置かれており、ソファも置かれている、ごく普通の空間。ごく普通なのだけれど、変わったことが一つだけあった。それは、椅子に座っている、俺の視線をくぎ付けにする女の子。


(かわいい……)


 椅子に座って机に向かう女の子の顔はぼやけていて、よく見えなかった。だが、綺麗な白のワンピースを着ている彼女が今にも消えてしまいそうな程に儚く感じられて、その清楚な見た目も相まって、心の底から可愛いと感じる。

 ドク、ドク、ドクと鳴る心臓の鼓動は心地よくて、まるで温泉に入っているときのように体は温かい。

 俺が見惚れている中、なぜかスマホをズボンのポケットから取り出す。ピロン♪ と、通知音は鳴っていないハズなのに。

 スマホには、LOINの何もないまっさらな状態のトーク画面が表示されている。


『ねぇ、あなたは誰?』


 メッセージが1つ送られて来た。メッセージの上にあるはずのユーザー名は無くて、誰から送られたものかは分からなかった。しかし、俺と知らない女の子がいるリビングで、メッセージを送ってくる人なんて1人しかいなかった。


『俺は月森(つきもり) 叶(かなう)だ

 よろしくな!』


 メッセージを送った後に、女の子に向かって元気よく右手の親指を立てる。


(……あれ?)


 俺に興味があって聞いてきたかと思ったが、肝心の彼女は俺を見ていなかった。

 返事は、待てども待てども、帰ってくる気配がなく、彼女が何を考えているのか分からなかった。


(こうなったら)


 しびれを切らして、直接彼女に話しかけようと口を開く。


「———」


 声が出なかった。腹から出そうとしても、喉が震えている感覚さえない。

 声が出せないならと、彼女に近づいて、机を指でトントンとつついても反応は無い。彼女の顔の前で手を振るが、顔を逸らされる。


(嫌われてる?)


 まだ決まったわけじゃないが、なんとなく避けられている気がする。


『君の名前は?』


『私は天道(てんどう) ユメ』


 ダメもとで、俺が質問をLOINに送ると、返信が今まで無反応だったのが嘘みたいに早く来た。


『オムライス作ってよ』


 唐突にメッセージが送られて来た。お互いほぼ初めましてなのに料理を作ってくれとねだる厚かましさ、清楚な雰囲気がどこへやらだ。でも、そこもまた可愛いと思えた。


(ユメさんのために作ってあげたい)


 1人暮らしを始めてから、自炊はあまりしていないけれど、彼女が喜ぶなら料理の1つや2つ、作ってあげたい。

 そう思った瞬間、俺はキッチンに立っていた。

 作り方とかろくに知らなかったけれど、身体が覚えていると言わんばかりに動いていく。

 野菜や鶏肉を切って、ご飯と一緒に炒める。卵は、ふわふわになるように火を入れていく。


(やっべ、焼きすぎた)


 身体が動いても、卵はふわふわにできなかった。


『どうぞ召し上がれ』


 初めてにしてはかなり上手くいったオムライスをユメの前に置く。


『ありがとう』


 彼女は初めて俺に顔を向けて、微笑むのだった。彼女の今までぼやけていた顔がハッキリと見えた。

 直後、白い光が俺の視界を覆っていく。


(眩し……!)


 ユメと別れそうな気がして、まだ仲良くなりたかった俺は抗おうと目をこするが、光は取れない。


■


———ピピピピピピピ……


「ユメ!」


 君とまだ一緒にいたくて、知りたくて、手を突き出しながら駆けだすと、見知った空間が俺の視界に飛び込んでくる。

 朝から俺の頭に響くアラームを止める。


「夢だったかぁ……」


 冷静に考えれば夢だとすぐに気づけた。声が出なかったり、突然キッチンに立っていたり、焼いているのに美味そうな匂いのしない鶏肉だったり、現実だったら不可解な点がいくつもあった。

 それでも、あの夢は妙に現実味があった。夢で体験したこと———特に、ユメの微笑む顔が、俺の脳裏にハッキリと焼き付いている。


「夢なのかぁ……」


 ユメに届く気配すらなかった手を握って、開いて、また握って、


「はぁ。今日も今日とて頑張りますか」


 俺は現実に向き合うのだった。

 今日は金曜日。大学の講義がいつも通りあるのだ。

 時計の指し示す時間は10時を少し過ぎたあたり。


「やっべ」


 講義があるのは2限目、始まるまであと30分くらいしかなかった。


「やばいやばいやばい……遅れる!」


 今日の講義の先生は、訳が分からないくらい厳しい。第1回の講義で遅れた生徒を問答無用に欠席させた先生なのだ。

 俺は急いで仕度した。シャワーを爆速で浴びて、着る服はタンスの中で最初に目に入ったものを着た。


———バタン! カチャ


 必要最低限のことを済ませて、俺はアパートを出る。


「いそげいそげいそげ」


 とにかく全力で走る。風だと思ってしまうほどに早く、いつもの通学路を駆け抜ける。


「ハァ……ハァ……ハァ……」


 大学生になってからろくに運動をしていなかったせいで、体力の限界がすぐに来た。

 今いる場所は大学の正門近く、講義室まではまだ少し距離がある。スマホは10時25分を示していて、もう本当にやばい。


「ゼェ……ゼェ……」


「よぉ、今日はやけに遅かったな」


 講義室の時計は28分を指している。


「ね、寝坊しちまった……」


 肩で息をしながら、友達の隣に座る。


「珍しいな、お前が寝坊なんて」


「昨日、バイトが2時まであって……寝るのが遅くなっちまった」


「熱心だね~。俺はゲームしてて……ふぁ~」


 よっぽど眠いのか、あくびをかいている。


「時間だから始めます」


 友達のあくびと同時に、講義が始まった。


(ユメさん、可愛かったな〜。まだドキドキしている。夢の中で出会った人に、こんなに熱くなるのはおかしいかも知れないけど)


「今回の課題は章末問題をやってください。では終わります」


 今日の講義はいつの間にか終わっていた。

 いつもは夢で見た出来事なんてすぐ忘れてしまうが、今日の夢は脳裏に焼き付いたままで、妄想が止まらなかった。


「飯食いに行こうぜ〜」


「ごめん! 今月は厳しくて……!」


「じゃぁ仕方ないか。今度一緒に飯食おうな!」


 腹ペコな友人はそう言い残して、1人学食へ馳せ参じるのだった。

 一方の俺は、1人で帰っていた。


———ガチャ


 大学から歩いて20分。ようやくアパートの自室に帰ってきた。


「ただいま~」


 おかえり、何て声は聞こえるはずもなかった。朝が忙しかったせいで立っているのも限界で、体を床に預ける。


「あぁ気持ちいい~」


 床が、日差しに温められた俺の体を、ひんやりと冷やしてくれる。


「にしても、ユメさんの笑顔、良かったなぁ……」


 床に寝転がりながら、ふと昨日見た夢を思い返す。ユメさんは可憐で、微笑む顔を思い出すだけでニヤニヤが止まらない。


———グゥ~~~~


 呆けていた俺の頭を、腹の音が覚ましてくれた。


「昼ご飯食べるか」


 むくり、と起き上がって台所に向かう。カップ麺を食べようと、ケトルを手に取る。お湯を作ろうとしてシンクの前に立つと、違和感があった。


「……ん?」


 ふと、シンクにあった食器が気になった。大きな皿に広がるケチャップの掠れた跡、皿のふちに着いたケチャップ色の米粒。

 見覚えがあった、この皿に。


「オム……ライス?」


 俺が自炊をするはずもなく、昨日夢の中で作ったオムライスとしか思えなかった。


(夢の中から出てきた……?)


 何がどうなっているのか分からなかったが、今にも背中にくっつきそうなお腹の痛みに耐えられずに、一旦考えるのをやめてカップ麺を食った。



「あぁ〜〜〜づがれだぁぁぁあああああああ」


 時間は26時。今週のバイトをやりきった達成感と疲労感で、家に帰って早々ベッドに飛び込んだ。


(また、君に会えると良いな)


 堕ちていく意識の中、昨日味わった幸せな夢を見られるように願うのだった。


■


 目を開けると、俺は仰向けになっていた。


『お疲れ様

 頑張ったね』


 トーク画面が眼前にあった。メッセージの上には、ユメと言うユーザー名が表示されていて、友達になれたのかなって思える。

 仰向けだけど、頭の位置が妙に高くて違和感を覚える。


(どうなっているんだ……?)


 持っているスマホをどけると、ユメの微笑む顔が天井を隠していた。

 ドクンと、彼女の微笑む顔を見ると心臓が飛び跳ねて、顔をそらしてしまう。

 そらした視界の端には、触り心地の良さそうな白い布に、艶めかしい曲線。頭には体温が伝わってきて、彼女が俺を思ってくれていることが伝わってくる。


「—————!?!?!?」


 心臓が飛び跳ねるだけじゃなくて、体も飛び跳ねた。


(ひ、ひひひ……膝枕されてた?!)


 ドンドンドン……心臓の鼓動が身体中に響く。息をしているはずなのに落ち着かなくて……真っ白になった頭じゃ何をすればいいのか、もう全然わからなかった。


『なんで膝枕してんだ!?!?!?』


『ここにあなたがいて、疲れていそうだったから

 なかなか可愛かったよ♪』


(い、良いやつすぎるうううう)


 あまりに優しすぎる理由に身動ぎした。


『この前のオムライスありがとね

 おいしかった』


『どういたしまして』


 ユメの目の前にいる俺は、体をねじらせているが、LOINに送るメッセージは平静を保てている。


『お礼と言ってはなんだけど

 ほら、おいで』


 そう送ってきた彼女は、膝を手でトントンと優しく叩く。


(ひ……膝枕)


 魅力的な提案に、俺は固唾を呑んだ。ときめく心と恥ずかしい気持ちが、混ざり合ってどうにかなりそうだった。でも、欲望を制すること今の俺には出来なくて、吸い込まれるようにその魅惑的な足に俺の頭を預けてしまう。




 膝枕をしてもらってはいるが、恥ずかしくてユメの顔は見られなかった。

目を閉じて、視界を無くすと他の感覚が鋭くなるのか、目が覚めたときには感じなかったけれど、このまま寝てしまいそうな程沈み込む柔らかい感触がある。


(気持ちいい……)


 若干、昨日のバイトの疲れも残っていた俺にとって、癒しだった。

 突然、頭が優しく触れられた。頭を撫でるユメの手は、頑張ったね、今は十分休んで、と言っているように感じる。

 俺に注がれる慈愛に満ちた感情は心地の良いものだった。

 できれば、この時間がずっと続いてほしい。そう切実に願った。


■


「ん……う~~~ん……」


 目を覚ますと、知っている天井。近くに置いていたスマホを手に取ると、画面が明るくなる。今日は土曜日、13時30分と表示されている。


「もう昼か」


 このままじゃ奇跡の土曜日がなくなってしまう。立ち上がるとき、身体は軽くなかった。夢では癒やされたのに、身体の疲れはバイトから帰った時と同じだった。



 俺の夢の中にはいつもユメがいて、一緒に遊園地で遊んだり、バイトで嫌なことがあったときは慰めてもらったり、色々なことがあった。不意に見せてくれる君の笑顔は思い出にのこっていて、夢の外でも頑張れる活力をくれた。

 数カ月たった今でも、胸はキュンキュンしっぱなしで、取れない体の疲れなんて気にならなかった。

 でも、最近はユメの笑顔は見られなくなって、俺を心配するような表情をすることが増えたような気がする。


———ピピピピピピピ……


「今日……も、大学……に………」


 夢の外では、身体が岩のように重くて、毎朝毎朝起きるのが辛い。ベッドの感触なんて1週間前から感じられなくなっていた。世界は色を失って、空が晴れていても何も感じられない。


「ゴホッゴホッ」


 最近、風邪を引いたのか咳が止まらない。


———ドンッ


 家の中では立たないようにしている。大学まで歩けないから。

 床に手をつく。


———ズサッ……ズサッ……


———ピロン♪


 手に持ったスマホを確認すると、友人からのメッセージが表示されていた。


『今日も来るのか?

 大丈夫なのか?

 最近寝てる?』


 俺を心配してくれるメッセージだった。

 実は、身体がしんどすぎて、すでに3回休んでいる授業がある。このままじゃ単位を落としそうで、無理にでも体を動かして出席するしかない。

 友人のメッセージに返信している余裕は全くなかった。


———ズサッ……ズサッ……


 床の掃除もする余裕がないから、親からの仕送りや夢で見た遊園地のグッズが散乱していて、中々玄関にたどり着くことができない。

 ナメクジもびっくりするほど遅い進みで、寝室、リビングを通って玄関にたどり着いた。


「と、扉……」


 這ったままでは玄関のドアノブに到底届かない。貴重な体力を使って、壁を使いながら、ふらふらと震える足で立ち上がる。


「ぁっ……」


 急に足元がふらついて、体勢を崩してしまった。


 倒れながらも、届くはずのない玄関のドアノブに手を伸ばしたときには、後頭部から鈍い音が響いていた。


■


 目の前の女の子は泣いていた。


 何故泣いているのかは、俺にはわからなかった。

 ユメは何か悪いことをしたのだろうか、俺が彼女に悪いことをしたのだろうか。

 原因を思い出そうとしても、彼女との楽しい思い出と、身体の不調しか記憶がない。


『なんで泣いているんだ?』


 LOINでメッセージを送ってみるが、いつもみたいに既読は早くつかない。きっと、スマホを見ている余裕なんて無いほどに悲しい気持ちが満ちているからだ。

 夢の中では、体が軽かった。夢の外の、岩のように重い俺の体とは大違いで、思い通りに身体が動くから夢の中は好きだ。好きなのに、彼女が泣いていると居心地が悪い。


(もしかして……嫌われた?)


 彼女に泣き止んでほしくて、近づきたかったが、拒絶されるかもしれないと思うと、中々1歩が踏み出せない。ピロン♪と音はなっていなかったが、メッセージが飛んできた気がしておもむろにスマホを取り出す。


『最近の叶、なんだか元気がなくて……』


 嫌われていなくて安心するけれど、彼女が泣き止むことは無い。


『いや、俺は元気だよ』


 そうメッセージを送って、彼女の前で慣れないステップを踏んでみるが、彼女は変わらず泣いている。


『そう言う訳じゃない

 会うたびに、あなたが疲れて見えて

 それに』


 続きのメッセージはすぐには来なかった。


『それに、なんなんだよ』


 続きが気になって急かすようなメッセージを送るが、彼女からのメッセージは返ってこない。彼女は俺から顔をそらして言葉を出し渋っているようだった。

 俺は言葉を待ち続けるしかない。それ以外にすることが無いから。

 彼女がそっと手を自分の胸にかざしたかと思えば、悔いるようにワンピースを巻き込んで拳を握る。

 俺のスリープしていたスマホが画面を映し出す。


『このままじゃ死んじゃうって、思ったの』


 彼女が泣いていたのは、俺を想ってのことだった。


『死んじゃう』『疲れている』


 夢の中なら体の疲れは感じないのに、ユメはそう言っていた。


『なんで疲れてるって分かったんだ?』


 純粋に思ったことを投げかけると、彼女は、体をビクッと震わせた。彼女が何かを隠していると思うには十分すぎる反応だった。


『何か隠してる?

 隠してるよね?』


 彼女が重要なことを隠している気がして、言い詰め寄る。


「…、………!」


 どうしても知りたくて、彼女の肩に手を置いて聞こうとするが、やっぱり声は出なかった。

 彼女が何も話さなくて、諦めようとしたとき、俺の気持ちが伝わったのか、彼女が顔を恐る恐る上げる。俺を見返す彼女の目は、何か決意が固まったように真っ直ぐだった。


『私実は……あなたが夢から覚めた後も見守っているの

 今のあなたは疲れ果てていて……』



『私のせいなの』



 メッセージが……いや、ユメの気持ちが心に伝わってきた。彼女の心は悲しみで溢れていて、すぐにでもまた涙がこぼれそうだった。受け止め切れない俺は、彼女の肩から手を離していた。


(そんなに、俺を想って……)


 彼女が俺のことを本気で想っているなんて、知らなかった。


『君のせい何かじゃない!』


『叶は、私と出会ってから疲れが取れていない…

 そうでしょう?』


 そんな事、あるはずが無い。俺は君と出逢ってから毎日が楽しくて、疲れなんて気にしない程に活力をくれた。


『違う!』


『だからね、私決めた』


 メッセージを打っている途中に、嫌な予感しかしないメッセージが送られて来た。まるで、俺がどう思っていても関係ないとでも言うように。


『私、君の夢から去ろうと思うんだ

 君が……休めるように』


 そうメッセージを残して、彼女はどこかへ去ろうと歩き出す。


(ま……待って! 行かないで! 君が行ったら……俺は……!)


 彼女の背中が遠くて、手を伸ばしても届きそうになくて、俺は立ち上がって走った。


(まだ俺の夢の中にいてくれ!)


 歩く彼女に追いつくのは簡単だった。彼女の背中は、手を伸ばせば届きそうな程近い。


(まだ、話をしたい!)


 必死に手を伸ばした。彼女の歩みを止めて話し合いたかった。

 伸ばした手の指先が、手の平が、ユメの肩に届きそうで……。


(待ってくれ!)


 突き出した手が、目の前の背中に届く。届くが、俺の手は空を切った。


(……へ?)


 絶対に触れられると思っていたから、走ったまま体勢を崩して俺は倒れた。


■


 目を覚ました。体は羽根のように軽くて、慢性的にあった体の疲れもない。世界は光を取り戻して彩りに満ちてゆく。


「……ぃや」


 俺は立ち上がった。軽かった、今までみたいに岩を背負っている感覚がない。

 俺は歩いた。ただ……失ったものがないか確認したかった。

 家の中は朝起きたときと比べて綺麗になっていた。床にあるのは親からの仕送りだけで、他には何もなかった。


「嫌だ! まだ終わりになんかしたくない!」


 またユメに会いたくて、俺はまたベッドに寝転がる。ユメと出会ったときのことや、遊んだ日々を想いながら、目を閉じた。



 しかし、眠ることはできなかった。

 寝る体勢をいくら変えても、逆に目が冴えてきてしまう。外はまだ明るく、今の元気な体ではまだ寝られないのかも知れない。

 一旦ベッドから降りて床に落ちていたスマホを拾う。画面には、16時と表示されていた。

 大学の講義はもう終わっていて、いつもなら暇な時間だった。正直、眠気は皆無だから、体を動かすついでに床に散らかったものを片付けようとリビングに行く。

 ポリポリと、頭をかきながら仕送りの段ボールの前にしゃがむ。


「よっこらせ」


 片付けが終わった頃には18時になっていた。親の仕送り自体は早く片付いたのだが、片付けている内に色々なところが気になってしまって、結果的に2時間かかってしまった。


「今日は、オムライスでも食べようかな」


 1人暮らしを始めてから初めての自炊をした。出来上がったオムライスはパサパサで夢のように上手くはいかなかったけれど、どこか懐かしさを感じる料理を作ることができて満足できた。


「いただきます」


 オムライスの味は酷いものだった。パサパサしているからのどが渇くし、卵に至ってはもはや薄いパンケーキを思わせる出来だった。


「ハハッ。あいつ、こんなものでも食ってくれたのかな」


 自嘲気味に笑いながら、動画を見ようとスマホを取り出す。映し出された画面には、友人のメッセージと……



『ユメ』という文字があった。



「ユメ!?」


 スマホのロックを解除して爆速でLOINを開いた。ユメとのトーク画面には、感謝の言葉と、謝罪の言葉が綴られていた。


『突然別れてしまって、ごめんなさい

 君と過ごしたこの数か月、すっごく楽しかった

 君が連れて行ってくれた遊園地や商店街、どれも初めて体験することで……

 君に会うたびに私ね、ワクワクしてたの

 でも、日に日に疲れていく君を見て、私が去った方が、君のためになる。そう思ったの

 君を困らせて、身勝手な理由で去って、ごめんなさい

 好きだったよ。君のこと』


 ———カラン


 オムライスを食べる手が止まった。


(ユメも……好きだったのか)


『困ってなんかない

 謝らなくていい

 俺も、君と過ごした夢がすごく楽しかった

 君の笑顔が眩しくて、可愛くて、君に会うたびにドキドキしてた』


 メッセージを送り終えた後、彼女が見てくれるように願った。

 動画なんて見ている場合ではなく、スマホを机に置いてLOINの画面を移しながら、オムライスをほおばる。味なんて感じている余裕は無かった。それよりも大切なことがあったから。


「ふ~……良い湯だった……うん…良い湯………」


 あの後、しばらく待ってもユメからの既読はつかなかった。

 鼻歌交じりにスマホの元へ向かう。肝心の画面には……通知も、既読もなかった。一筋の光に届きそうで届かない今の状況に、擽られたような感覚を覚える。

 時間は23時を回っていた。眠気は全くなく、彼女からのメッセージを待とうとしたとき


———ピロン♪


 通知の音が鳴った。


『そうなの?』


『あぁ、今そっちに行くから待っててくれ』


 変身した後、俺は速攻でベッドにダイブした。眠気があるか無いかなんて関係ない。俺は今すぐにでも眠って、彼女に———天道 ユメに会わなければいけないんだ。


■


 目の前には、顔を赤くしてモジモジするユメがいた。

 時々上目遣いで見てくる顔があざとくて、俺の心臓が高鳴る。

 自分の気持ちはLOINのメッセージじゃなくて、口で直接伝えたい。文面だけじゃ気持ちを伝えることはできないと思ったから。


「———!」


 しかし、俺の声は空気を伝わらない。


「———……」


 彼女は、俺の言葉を待っている。俺の気持ちなんてすでに伝わっているはずなのに、待ってくれている。何とか気持ちを伝えようと、腹に力を入れても声は発せない。


(……!)


 ユメが、俺の手を優しく包み込んでくれる。大丈夫だよ。私は待っているよ。そんな心の声が聞こえたように感じる。

 焦らないように深呼吸して、ユメのことをまっすぐ見据える。


「———……きだ! 好きだ! 君のことが!」


 俺の気持ちを乗せた声が、夢の中に響いた。彼女も俺の声が聞こえたのか、俺に身体を預けてくれる。服が温かく濡れた。


「……だよ。私も好き!」


 彼女の表情があまりにも可愛すぎて卒倒しそうだったが、何とか耐えて、もう一回、より一層深く深呼吸して次の言葉を紡ぐ。


「俺と、付き合ってくれませんか」


「良いの……? 私と居ると、また疲れが溜まる———」


「良いんだ。そんなことよりも、君と一緒にいることの方が、俺にとって大事なんだ」


 だから、もう一度……彼女に言うんだ。


「だから、俺と……付き合ってください」


「……はい!」


 泣いて泣いて、目元を赤くした彼女の笑顔が、無性に可愛く思えて、胸がドキドキして、彼女を抱きしめる。


■


———ピピピピピピピ……


 ものすごく気分の良い朝だった。目がさえて、頭もさえている。


「あ~……よく寝た」


 背伸びをして、頭の近くに置いたアラームを止めようとしたとき、信じられないものが目に映った。




「ユ……ゆゆゆゆ、ユメ!?!?!?!?」


「ん~、おはよ。叶」


 俺の隣で、綺麗で儚い女の子———天道 ユメが寝ていた。

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