踊り子とイルミネーション
ヒロインしか個体識別できない主人公の淡く軽やかな恋と踊りへの傾倒をご覧ください。
この国には昔から首都の真ん中に広大な中央広場がある。
その中心には噴水があり、その周りに石畳が敷き詰められて整然とした地面が広がっている。
さらにその周囲には景色を補完するように花壇が点在していて、その石段で人々は腰をかけて一息ついている。
わたしもその一人で、仕事の合間の昼食を花壇の石段で摂るのが日課になっている。
雨の日は工場で済ますが、陽の光があるうちは、やはり中央広場に勝手に足が向いてしまう。
天から注ぐ光が見える空の下で食事をするのは、だれでも気分が休まる。
今日もいつもの指定席で食事を摂っていると、目の前で踊っている女性がいた。
踊っているといっても、何を踊っているかは、皆目見当がつかない。
踊る女性のすぐ端の地面には本が置かれていて、風が吹くと時の流れのようにめくれている。カサカサと音を立てて時の空間を刻んでいる。
わたしはそれがはじまりの音だとは気づいていない。なにも感じることのないまま、いつものようにパンを紙袋から取り出していた。
若干、硬くなったパンをかじりながら、ずっとその踊りを眺めていると、相手も見物人のわたしに気づいたようだ。
わたしの方を見ながら踊りを続けている。
わたしも、女性の踊りの生命感を見つめている。
ただ、ありふれた昼食を摂っているだけなのに、ただ、踊りを止めないだけなのに、どこかちがう空気の質感がする。
どうやら不思議なそしてあいまいな感覚に入り込んでしまったようだ。
女性が踊りを終えた。かなり疲れた様子で一休みとろうかというところのようだ。
わたしは自然と拍手を送っていた。手を叩く数の多さにじぶんでも驚いていた。彼女にはそうさせてしまう何かがあるのだろうか。
女性がほほ笑んだ。照れくさそうにしながらしゃがんで、地面に置いた本のめくれたページを本来のところに戻していく。
わたしは女性のところへ歩み寄って、本のページを覗き込んだ。
それはこの国の民族舞踊の指南書であった。それも何十年も前に出版されたであろう古びた乾いた匂いのする本だった。
まったく気づかなかった。彼女はこの国の民族舞踊を踊っていたのだ。
国の民族舞踊は、祝賀の度によく踊られるもので、もちろんわたしも知っているはずのものだ。
でも、なぜわからなかったのか、不可思議なことが起きた。
彼女の踊りが民族舞踊と認識できない、なにか独特な素質があるのだろうか。
「あたしの踊りを見て、どう思った?」
急に彼女が尋ねてきた。拍手を送った手前、返答しないわけにはいかなかった。
「じつは民族舞踊だとは、まったく気づかなかった。どうしてだろう、このページの絵は特に印象的なポーズのはずだけど」
「みんなにそう言われる」
どことなく諦めたように彼女は答えた。微妙だが、無念でもあるようだった。
「どうして、中央広場で踊っているの?たしか民族舞踊の学校があったはずだけど」
わたしは率直な疑問をぶつけてみた。
「お金があったら行ってるって。言わせんな」
少し切れ気味になるのを抑えながら彼女は答えた。
しかし、そんな彼女に、わたしは感心を隠すことができないでいる。学校に通わず、独学で民族舞踊の練習に励む姿に見とれていたわたしの心の色づきに感づいたからだった。
「それで広場でひとりで踊っていたわけか、伴奏なくてよく踊れるよ」
「伴奏はすべてあたまの中で流れてるから、大丈夫だよ」
「それはすごいね。民族舞踊だとはわからなかったけど、あなたの踊り、結構うまいと思うよ。下手なのとは違うなにかがある気がする」
「あんたって、舞踊に詳しいの?」
至極当然の疑問だった。
「ぜんぜん、ただの勘だよ。でも、なんだろう、他の踊り子は小鳥が舞うように見えるけど、あなたが踊ってる姿は大鳥が舞っているような感じに見えるね」
「はじめて言われたわ。みんなからは下手だ下手だしか言われてない。飽きるほど。もしかして、あんたの審美眼って、ちょっとおかしい?」
「そうかもしれないけど、それでいいじゃないか。あなたの踊りが良く見えているんだし」
「それも、そっか」
適当すぎる楽観的なわたしの回答に、彼女はなぜか素直に納得した。
わたしは彼女が民族舞踊の古本しか持ってきていないことに気づいていた。
昼食時の中央広場でそれは少しおかしなことだった。
「昼食は摂らないの?おなか空くだろう」
「そんなお金ないし、おなかが空くより、やりたいことがあるから」
彼女は貧乏なのだろう。でも、それ以上に内に抱えた情熱をわたしは感じた。
「そういうことなら、わたしの持ってるパンはどう?」
わたしは流れるように提案していた。
「でも、それはあんたの分じゃん」
「いつも、午後用に余分に持ってきてて、余ったままなら夕食にするから、別にかまわないよ」
わたしは彼女の前にパンをひとつ差し出した。素朴なつくりのどこにでも売っているパンである。
彼女はそれをじっと見つめたまま躊躇している。
人から物をもらうことに抵抗を感じているようだった。こういうとき、どうするのが正解かわかりかねているようでもあった。
「いいものを見せてもらった、そのお礼だと思って」
わたしが彼女が受け取りやすいよう、すこしだけ気を使うと、ようやく彼女は、おそるおそるといった感じで、わたしのパンを手に取った。
彼女はパンを食い千切るようにして食べ始めた。見事なまでの荒い食べっぷりが、彼女の性格の一端を垣間見せていた。
わたしの好奇心の的は彼女の鮮明な矢じりに食い込まれていた。
「あなたの名前はなんていうの?」
「あたし?あたしは『ユズ』」
ユズの音からいって、異世界人の末裔しか名乗れない名だ。みな英雄や高位者しか名乗ることができない。
しかし、彼女の貧困ぶりから言って、それはありえないことだ。おそらく通り名なのだろう。
「ユズ、いい名前だね」
「いいでしょ。気に入ってるんだ、この名前」
「明日もここで練習するの?」
「そうだけど、それがなに?」
「だったら、これから名前で呼んでもいい?」
「それは構わないけど」
「じゃあ、ユズ、明日も踊り見せてほしい。その代わり、ユズの分のパンを持ってくるよ」
「そんなことできない。人からパンをもらう理由なんてないもの」
彼女はすぐに断った。しかし、わたしの気持ちは変わらなかった。
「あるさ。わたしにはユズに才能があるように見えるよ。それをタダで見せてもらうことなんてできない。見物料代わりにパンを受け取ってくれないか」
「……わかった。そこまで評価してもらうなら、パンをいただくことにする」
ユズはしぶしぶとだが、承知してくれたのだった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
次の日は晴天だった。絶好の昼食日和であり、恰好の舞踊日和でもある。
いつものように中央広場へ行くと、そこには熱心に踊りの練習を欠かさないユズがいた。
感覚を刺激してくるユズの所作は昨日よりさらに大きくなっている気がする。
時を追うごとにユズは成長しているのかもしれない。
彼女を見つけたわたしは内心、安堵とともに晴れやかな心地になっていた。
ユズに興味以上の感情のつぼみが芽吹いている。ユズに気軽に声をかけよう、そう心に決めているじぶんを読み取っていた。
「よう、よくやってるね。ユズの分のパン、持ってきてあるぞ」
ユズは踊り続けながら、顔だけこちらに向けてきた。
「あんがと。ところでキミの名前聞き忘れてた」
わたしは少し考えたあと、ふと思いついた。
「わたしの名前は『キミ』だよ。よく当てられたな」
「んなわけないじゃん」
ユズはまるで信じていないようだった。それはもちろん想定済みのことだ。
「んなわけあるんだな。親のつけてくれた立派な名前だ」
「ふうん、あたしには答えさせて、自分はいいたくないわけね」
「人を疑うなんてよくないぞ」
「疑わせるようなことしてるの、そっちじゃん」
「今は、なんの踊りをしてるんだ?」
「そこに本があるから、勝手に見てみれば?」
地面に転がっている民族舞踊の指南書を手に取ってみる。
そこには、誰もが知っている代表的な踊りの指南が書かれていた。
ユズの踊りを見ても、それだとまったく気づかない。
どういうことだ?
ユズには不思議な舞踊の才でもあるのだろうか。それとも単に下手なだけなのか。
いや、ユズには他にないものが溢れている。下手なわけでは決してない。きっと何かの原石があるはずだ。
それは口ではうまく説明できないが、たとえば、舞踊の元となる解釈とは違った解釈をして踊っているとか。
まだ何も見つけられていないが、何かがあるはずだ。
「疲れた。休む」
ユズは踊りを止めると、ぐったりした様子で肩の力を落とした。やりきった満足感からか、わずかに笑みが見える。
「じゃあ、飯だな。隣にこいよ」
「わかった。早くパンちょうだい。おなかペコペコ」
ユズはわたしの隣にやわらかく腰を下ろした。
寒くなっている季節柄、後ろの花壇の花は散っていて、それはただの草でしかない。
ユズとパンをかじりながら、とりとめもない話をした。
「ユズって舞踊用の衣装もってるの?」
「持ってない、そんなの。お金ないって言ったじゃん」
「持ってなくて、どうやって祝賀の舞踊に参加するんだ?」
「そもそも参加できないんだよ。祭典に参加できるのが学校の生徒だけって決まり」
「そんな決まり事あったのか。じゃあ、なんでユズは民族舞踊を練習しているわけ?」
「そこに踊りがあるから」
ユズは口にパンを咥えながら、真顔で言った。しかし、その言葉はわたしを混乱させるには十分だった。
それはシンプルだが、漠然としすぎている。つかみどころのない返答だ。しかし、そこにこそ、ユズの踊りの魅力がある気はする。
わたしの心に素朴な疑問がわいてきていた。
「もし、踊りがなかったら、どうしたんだ?」
「そしたら、生きてないかな。あたしを救ってくれたのが民族舞踊だし」
急にユズが神妙なつぶやきを吐いた。
どういうことだ?生きてない?
「よかったら、もう少し詳しく教えてくれないか。なんで、民族舞踊が人を救えるんだ?」
ユズはこちらを向くのをやめて、地面に視線を落とした。
そうして独白するように語りだした。
「あたしが小さいころ、みんなからいじめられてたんだ。理由はあたしにある、とおもう。わかんないけど、みんなそう言っていた」
「そんなことがあったのか。でも、わからないってことは、ほんとうのところはユズに問題にあるのか?違うような気がする」
「違ってても変わらないよ。だって、みんないじわるしたくてウズウズしていたんだよ?」
「人を貶めたくて仕方のない連中か。やっかいな子供時代だったんだな」
「でも、子ども舞踊大会に出たら、優勝したんだ」
「すごいじゃないか。ユズ、やっぱり才能あるわ」
「そうじゃないよ。子どもの頃は、振り付けをすべて暗記できてるのが、あたしだけだったんだ」
「そういうことか」
「でも、それであたしは民族舞踊が好きになった。嫌なことをすべて忘れさせてくれるものに出会ったんだ」
「それで、いじめられてた時期を乗り切れたのか」
「……そう。それだけだけど、踊っていると、あたしには天から祝福されたような気分だった。そのころの気持ちは今も忘れられないんだ」
ユズが思い出したように、明るい口調になる。
「天はそれを望む者に望むものを感じさせる存在だからね」
「かんじさせるだけなんて、つまらない」
「そういう意見もあるね」
「それはそうと、キミには何かに救われたことないの?」
唐突にユズはわたしに質問を振った。
ギブ・アンド・テイク。答えないわけにはいかないようだ。
「わたしは自分の名前に救われたかな」
「キミが?」
「そう、それで救われている」
「わけわかんない!」
ユズは当然の憤懣をわたしにぶつける。
それにわたしは、ただ笑って応えた。
わたしが、ユズ、キミにどれだけ救われているか、キミにはわからないだろう。
食事も終わり、話も一段落ついて、ユズは再び民族舞踊の練習にはいった。
わたしはユズの古びた指南書を借りて、ユズが今なにを踊っているのか、確認しながら、ユズの舞踊を見つめている。
そうでなければ、まったく理解できないほど、ユズの踊りはふつうとは違っているのだった。
指南書から読み解けるものとは別の何か、それを知りたい探求心がわたしを突き動かしていく。
もしかしたらユズの踊りはこれまでの民族舞踊の方程式とはちがう計算式を持っているのかもしれない、そんなことが頭をよぎっては消えていった。解釈が停滞している民族舞踊に何かがあるのに、それがわからないもどかしい気持ちにしていた。
「もうそろそろ、休憩時間が終わるから、見物はここまでだな」
「見ててくれて、ありがとう」
さりげなくユズが言った。パンではなく、わたしが見物していたことを感謝していることに、内心驚いた。
ユズの感情になにかあったのだろうか。確認してみたいが、言葉が出なかった。
そうして、わたしはユズの元を去って、工場へと戻っていった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
ユズに出会って、三日目になる。今日は朝から雨が降りしきっている。石畳の道は濡れて、溝に細い小川ができていた。
さすがに今日は中央広場に来ていないだろうと思って、コートを羽織り、頭蓋を被って見てみれば、残念ながらユズはいた。
冷たい雨の中、ずぶ濡れになりながらユズは踊っていた。白い息がユズの零れでる感情のようだった。
打ち付ける雨に身を置いて、さながら動く造形美のようなユズに見とれていると、ユズがこちらに気が付いた。
「キミが来るって、わかってた」
わたしの方を見るなり、ユズは確信していたように言った。
「なんで来ると思ったのかな?」
「あたしのパンあるでしょ」
「もちろん、あるけど」
「それが答え」
ユズはいないと思って、それでもわたしはユズの分のパンをもってきていた。それが答えなのか。
「いつから練習してるんだ。髪から雨水が落ちてるじゃないか」
「もう一日の練習の半分くらいは終えたかな」
「そんなにやってるのか。誰の手も借りずに民族舞踊の練習に励むのはすごいとは思っている。ただ休めば身体が冷えてしまうぞ。今のうち、そこの大樹の下で雨宿りしながら昼飯にしよう」
「うん、わかった」
「替えの服は持ってきているのか?」
「そんなのあるわけないじゃん。服はこれだけ。雨だから本も持ってきてない」
「服がないって、無謀すぎる。風邪を引けば、明日なにもできなくなるのわかってやってるのか」
「風邪を引いたら、その時考えればいいだけ。今は踊りたいの。キミにはわかんないでしょ。この気持ち」
ユズの頑固さには、わたしは呆れた。しかし、それがユズであった。
「わかるか、わからないかは置いとく。それより、食事にしよう」
わたしは紙袋からユズのパンを取り出して、彼女に渡した。
大樹の枝は葉が生い茂り、雨粒が滴っているものの、雨に直接降りかかられるよりはだいぶマシであった。
ユズの服からは吸いきれなかった雨水がポタポタ落ちている。案の定、ユズは寒さに震えていた。
「今日は、飯を食べたら、終わりにしよう。こちらから見てるとわかるけど、明らかにユズの身体がもたない」
「キミの言うことは一理あるよ。でも、あたしのやりたい気持ちが二理優ってるから、続けるよ」
「訳の分からないこと言ってないで、自分の身体、心配しなよ。気持ちだけが先行しても、表現したいことができなくなったら、おしまいなんだよ」
「偉そうなこと言わないで。あたしの身体はあたしが一番よく知ってるんだから!」
ユズを怒らせてしまったようだ。でも、ユズは舞踊をしている割には肉付きがよくない。あまり食べられていない証拠だ。
おそらく風邪をこじらせたら、当分、踊れなくなるだろう。それは彼女にとって受け入れがたいものになる予感がした。
「じゃあ、折衷案を提示させてほしい。わたしがいる間だけ、踊ることにする。そのあと、服を買いに行こう」
「そんなお金あったら買ってるって。この服見てよ。継ぎ接ぎがいくつもあるでしょ」
「だから、新しい服が必要なんだ。ユズが踊っても、大丈夫な生地の服を買おう。わたしが買うよ」
「そんなこと、キミにさせられない。だって、買ってもらう理由がない」
「ユズはおそらく舞踊の成長過程にいる。それを風邪なんかで、停まらせたくないんだ。わたしは今のユズを見ていて、次のユズも見てみたいんだ」
「次のあたし……」
「そう、あたらしいユズがそこにいるはずだ。もう、殻が破れかかってて、出てこようとしている」
「それがキミにわかるわけ?あたしにもわからないのに」
「自分では少し先の自分しかわからないものだよ。だけど、わたしの目には、ユズが羽ばたきたがって、空を飛びたがっている蝶に見えるんだ」
ユズは呆気にとられていた。しばらく何も考えられないようであった。
「どうかな?」
わたしがユズに促すと、沈黙していたユズは、どこか吹っ切れたように、わたしにこう告げた。
「わかった。じゃあ、服を買ってもらう代わりに、あたしがキミにあたらしいあたしを見せる。そうすることにする」
あたらしい服といっても、仕立て屋に行って、ユズに合った服をしつらえてもらうつもりはない。
行くのは古着屋だ。
古着でも、使い古された物ばかりではない。高収入の者たちが着ていた物で、今は流行に遅れた服が出回っている。
それが目当てだ。それを買って、ユズの踊りの練習用に使ってもらおうというわけだ。
なので、デザインよりも、生地がよく、ユズの体型に合ったものを探す。
古着屋は何店舗かあるが、その中でも一番大きな店に、二人で足を運んだ。
古着屋の中は、平民の普段着から、職業着、高そうなセンスの服まで、多種多様であった。
ユズは本来の目的を忘れ、目移りしている。
わたしは女性物の、生地の良いものを一つ一つ探している。
「これなんか、どう?」
ユズが一着の服をわたしに見せた。ユズの趣味は壊滅的だった。それに、これから寒くなるというのに、生地もうすくて、論外である。
「もっと厚くてしっかりした生地でないと、ユズの踊りには向かないな」
「……ダメか」
がっかりした様子のユズだが、しかたのないことである。ユズの着たいものを買うわけではないのだ。
厚手の生地のものを何着か選んで、わたしはユズに手渡した。
「この中でサイズの合うものを選んでほしい。ユズの好みに合うものはないだろうけど」
ユズは、う~ん、と唸った。どれも魅力を感じないようである。
やる気のないユズの背中を押して、試着部屋へとユズを入れた。
しばらくして、ユズが一着の服を着て、姿を現した。緑を基調とした民族服であった。個人的には似合っていると思うが、ユズの表情は納得いっていないようだ。
「これにする。ほかのはちょっとサイズが合わなかった」
「それでいいんだね。じゃあ元の服に着替えてきて。古着屋に値段を聞いてくる。あっと、その前に、そこに暖炉があるから、元の服を少し乾かしてからにしようか」
ユズの服を暖炉の前に並べて、その周りにある椅子に二人で腰かけた。
暖炉の中には薪が数本、無造作に入れられている。そのほとんどがすでに真っ黒くなっていて、灰化している。
暖炉の周りは暖かく、椅子に座って寛いでいると、眠ってしまいそうになるくらいだ。実際、ユズはうとうとと瞼を落としかけていた。
わたしは暖炉の火を見つめながら、今後のユズのことを考えていた。
ユズの踊りは民族舞踊を基にしているが、全く別物になっている。
それは踊りの根源的な要素の発展形を独自に歩んでいるということでもある。
しかも、成長速度が目覚ましく、とどまるところを知らない。
ユズは、ユズの踊りは、どこへ向かおうとしているのだろう。
それを見届けたくなった自分がいる。
ユズと出会わなければ思ってもみないことだった。
いつの間にか、わたしは眠ってしまっていた。考えごとをしていたはずなのに、ユズに肩をたたかれて起こされた。
「もう、服は乾いている。お金払って帰らなきゃ」
「……そうだね。約束通り、お金は全部払うから心配する必要ないよ」
「それなんだけど、ちょっとだけでも、あたしに払わせて」
ユズの気が変わったのだろうか。やはり、全額他人である自分に払わせるのは罪悪感を感じてしまうのか。
「ユズがそうしたいなら、べつにかまわないよ」
結局、十分の一ほどユズがお金を支払って、緑の民族服を購入した。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
ユズが中央広場で民族舞踊の練習を始めて四日目になる。
それはわたしとユズが出会った日にちでもある。
今日もユズのいる中央広場へと向かう。広場の地面には木々が落とした落ち葉が自然な模様を描いていた。
ユズは今日も来ているが、絶不調だった。やはり風邪をこじらせてしまったのだ。ただ、熱が出るほど酷くはなくて、不幸中の幸いではあった。
ユズはさっそく緑の民族服で踊っていた。それを見て、わたしは少し気分が良かった。
午前の練習を終えたら、いつものように花壇の石段に二人で座って、わたしの持ってきたパンを一緒に食べる。
それはつかの間の安らぎだった。
ユズは練習に明け暮れていて、疲れ切った身体を休める。
わたしはユズとの会話を楽しむ。
それが終わったら、ユズの踊りの様子を指南書と見比べながら眺めている。
ユズは調子が悪いながらも、自分のスタイルの踊りに進化しようとしていた。
いや、正確にはわたしの理解も追いつき始めて、ユズがそれまでの民族舞踊にはない別の舞踊言語体系をもっているらしい、とわかりかけていた。
民族舞踊は本来、メリハリの効いた踊りだが、ユズのはしなやかで、そして本人の身体より大きく見える踊りが特徴だ。
それに加えて、ユズ独自の踊りの揺らぐ作法があるのだ。
腕の振り、足の振り、腰のひねらせ方まで、すべてが間違えていて、間違えていないユズの型ができつつあった。
ユズは例の指南書を大事にしながら、その振り付けを再現しようとしているが、わたしの視点からはまったく別のあたらしい振り付けに変わっていっている。
ユズが中央広場に来てくれて本当に良かった。
日々の平凡な生活にはどうしても刺激や潤いといったものがないと、ただ暮らすために生きているだけになってしまう。
それが平民というものだが、ユズは同じ平民でありながら、その意識に変化をもたらしてくれるかもしれない存在になっている。
そのことをわたし以外は誰もわかっていない。周囲も、ユズ本人でさえも。
昼の休みの時間が終わろうとしていたとき、ユズが今日は調子が悪いから練習を切り上げると言い出した。
「もちろん、それがいい。体調が戻ってから練習しないと、成果が上がらないからね」
「ほんとだわ。何やってもピンとこなくなっちゃった」
「明日になれば調子は戻っているだろうし、そうしたらまた元のように踊りの勘がつかめるようになるさ」
「そうだといいけど……」
「今日はもう休むんだろ。なら心配する必要ないさ」
「なんで、あたしがもうやることないってわかるの?おかしくない?」
「そりゃ、毎日、日がな一日練習に明け暮れてたら、他にすることないの丸わかりなんだけど」
「そっか。ならいい」
ユズはほっとしたように言う。これは何かあるな。
「もしかして勘当されてるのか?」
「ブー、外れ。ちゃんと家族の下で暮らしているよ」
「なら、なんで仕事しないでいられるんだ?おかしいだろう」
「うっ」
藪蛇とはこのことだ。ユズは知られたくないことを、突っ込まれたのは明らかだ。
わたしはわざと疑わしそうな眼差しでユズを見やる。
ユズはうつむいたまま、下を見たり、こちらを見たりで、挙動がおかしい。
「じ、じつは……」
「じつは?」
「うちの家族は小さな商店を開いているんだ。家族総出で働いてる。あたしを除いて」
「なんでユズだけ特別なんだ?」
「特別なんかじゃなくて、できないんだ、仕事……」
「天は二物を与えなかった例か」
「それなんだ。うちの商店、火の車だけど、あたしは何の役にも立たないんだ。弟も働いているのに。あたしは仕事ではへまばかりして。お父さんに、『こいつはなにをやらせてもダメだ』とか、『却って出費が出てしまう』って言われて、何もやらせてもらえてない」
天に告白するように、思い切って話してくれたのだろう。笑ってはいけない、笑ってはいけないが。
「ま、まあ、そういうことなら、しかたないね」
「なに、笑ってるの。せっかく話したのに、失礼だぞ!」
腹立たしそうにユズは声を荒げた。
まだ笑みがでてしまっているものの、わたしはユズをなだめようとした。
「ごめん、ごめん。それで時間が空いてるわけだ」
「そう、それで大好きな民族舞踊の練習をしてる。以前は自分の部屋で練習してたけど、追い出された。それでもあたしは踊りを信じているし、踊りもたぶんあたしのことを信じている。だから、いつか、きっと舞踊学校の特待生になるんだ」
「それが、ユズの夢か」
「夢じゃない。現実にする」
ユズらしい決意だった。
「ユズの踊りの力なら何でも手に入れられると思う」
わたしは率直な感想をもらした。
「そう……。で、キミはなにをしている人なの?こっちの事情を聞いて、話さないのはフェアじゃないよ」
「そうだね。わたしは工場で働いているよ。一人暮らしだ。工場では今、イルミネーションの生産で忙しくしている。今度のお祭りで使うんだよ」
「そうなんだ。『祭天』で道に並べてる光の紐のこと?」
「まあ、それで合ってるけど、紐じゃなくて、細長い光るオブジェだよ」
「アレ、すごく奇麗だよね。子どもの頃、お母さんと買い物帰りに、一回、見たことある」
「毎年、イルミネーションの形は変わってるから、毎回観るといいよ。一度たりと、同じものはない。造形の設計者が年毎に違う。その年、最も優れていた芸術家を国王さまが指名してるから」
「『祭天』って、三日後だよね」
「だね。そういえばユズは祝日も練習するの?」
「しない、かな?」
「それだったら、今度の『祭天』を一緒に観に行かない?」
「それって、デートのお誘い?それとも作ったイルミネーションを見せたいの?」
「さあ、どっちだろうね」
わたしはどちらもだが、はぐらかした。
あとはユズ次第だから、どちらでもよかった。
「わからないけど、祝日は暇だから付き合うよ」
「そう言ってくれるとありがたい。遅刻している甲斐があった」
「あっ、長話しすぎた。早く工場へ戻りなよ」
「それじゃ、約束したよ」
わたしは急ぎ足で仕事へと戻ったのだった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
中央広場へと向かう並木道の低木に純白の花が咲いている。この寒い季節に咲くのは珍しい。
わたしは咲き誇るその花の一つをとって、中央広場へと足を運んだ。もちろん踊りをがんばっているユズにあげるつもりだ。
5日目の中央広場には、いつものようにユズはいた。いたが、しゃがんで地面に置かれた指南書とにらめっこしている。
服も、あたらしい緑の民族服ではなく、元の服に戻っていた。
ユズに何かあったような気がする。
「やあ、今日は勉強会かな?」
「……うん」
ユズが指南書を見つめたままこちらを向かない。元気がとりえのユズらしくない。
「指南書の中身は全部暗記してるんじゃないか?」
「そうだけど、見直してる。自分のやってたことに、ちょっとおかしなことだったんだって気づいた」
「ユズの踊りは指南書を元にしても、囚われてないところが特徴だよ」
「午前中、舞踊学校の生徒たちが広場に立ち寄って、あたしを見にきたんだ」
ようやくユズがこちらを振り向いた。そのことをわたしに話したかったようだ。
「見られたら、笑われた」
だろうな。ユズの踊りと今の民族舞踊はだいぶ異なっている。何があったかは、だいたい察しはつく。
「ただ、みんなやさしくて、正式な踊り方を教えてもらったんだ。あたしのとはまったく違ってた」
「それで、指南書を見直していたのか。偉いな。ところで、緑のあたらしい服はどうしたんだい?」
「あれは、家族に見つかると問い詰められそうだったから、隠した」
「それは考えてなかったな。ユズには買えない値段だったから、盗んだものと思われることを考慮してなかった」
「べつにいいよ。緑の服はうれしかったから」
「あんまり気に入ってなさそうだったけどな」
「気に入ってなくても、うれしいものはうれしいんだよ」
「じゃあ、もうひとつもらって、もらえるかな?」
「なに?もらえるものなら、もらってもいいけれど」
「ここまでにくる道すがら、白い花をとってきてね。がんばってるユズにプレゼントしたくなったわけ」
そういって、純白の花をユズの前に差し出した。
しかし、ユズは受け取ろうとはしなかった。
「せっかく懸命に咲いてる花をとってきたわけ?信じられない」
ユズには逆効果だったようだ。予想してなかった。ユズに喜んでもらえるものと思い込んでいた。なんとか考えないと。
「たしかにユズの言う通りかもしれないな。でも、受け取ってくれないと、この花はもっとかわいそうじゃないか。ユズみたいに花に心がこもっている人のところに、この花もいたいんじゃないかな」
「そうかな」
心が揺れ動いたのか、ユズがつぶやいた。
「そうだといいな」
「なんだよ。そっちが説得してるのに、願望を言っただけ?」
「花は喋れないから、わかりません」
「あたしにもらってほしいの?ほしくないの?!」
「もらってほしい。この白い花はきっとユズに似合うよ」
「じゃあ、もらってやる」
ユズはわたしの手にある花をふんだくると、自分の胸ポケットに差し込んだ。
ユズの継ぎ接ぎだらけの服が見違えるようにかわいらしくなった、ように見えた。
いつものように二人で石段に座ってパンを食べたあと、ユズの民族舞踊らしくない民族舞踊がはじまると思っていた。
しかし、ユズの踊りは違っていた。本来の民族舞踊に近くなっている。
わたしは少し悩んだ後、ユズに尋ねた。
「その踊り、どこで習ったんだい?」
「さっき、言った二人の生徒さんに教えてもらったんだ。一緒に踊りながら、修正した」
「それでいつもと違ったわけか」
「そうだよ、今までの自分は間違っていた。そのことにようやっと気づいたんだ」
わたしは深く悔やんだ。
ユズの踊りは天性のものだ。誰にも真似できない、あたらしい民族舞踊になる可能性を秘めたセンスの持ち主であることに間違いない。
それが伝統的な民族舞踊に上書きされかかっている。
どうしたらいいのだろう?
ただ否定しただけではユズは納得しない。
本人が自分の才能に気づいていないからだ。
わたしにできることはないか、踊りなんてやったことのないわたしに何ができるのか。
わたしの苦悩を知らずに、ユズはどんどん伝統的な民族舞踊を再現していった。
勘をつかんだら覚えるのは早い。これはこれでいいことだが、ユズには才能と逆行してしまっている。
「どう?あたし上手くなったでしょ?」
「上手いか上手くないかは主観的なものだから、説明しづらいな」
「いつもあたしの踊り褒めてるくせに、なんでそんなあやふやなんだよ」
ユズに突っ込まれてしまった。
「舞踊学校の生徒さんたち、一つ一つ誤りを修正してくれた。ほんとにありがたい二人だったよ」
「それは……よかったね」
「でしょ。あたし成長したんだ」
ユズの言葉は明るかった。心の底から湧き出してくる気持ちがこもっていた。
「ここの振り付けなんか、何度も見てもらって、直したんだ」
その振り付けはわたしが最初に見たユズの振り付けだった。それがもう見る影もなくなってしまっていた。
このままでいいのか。ユズらしくないユズでいいのか。それは本人が望んでいることでもある。
彼女は舞踊学校に行きたがっている。そうしたら、伝統的な民族舞踊を叩き込まれて、これまで積み重ねてきたユズの踊りは姿を消す。それは数十年解釈が変わらなかった古びた指南書となんら変わらないことだ。
本当にそれでいいのだろうか。
ただ見物しているだけのわたしには何もできないのだろうか。
考え抜いた末、わたしはある決心をした。
「ユズ、わたしも一緒に踊っていいかな?ユズの踊りを見ていたら、無性にやりたくなったんだ」
「いいよ。ようやっと、踊りの楽しさを覚え始めたんだね」
「じゃあ、はじめからやろうか」
「わかった。でも、最初からでいいの?もっと簡単なところからの方がいいと思うけど……」
「最初からでいいよ」
わたしはユズの隣に並んだ。踊りはやったことないが、やるしかない。それしか方法が見当たらない。
伴奏のない踊りがはじまる。
ユズの動きを見ながらだから、わたしの踊りはワンテンポ遅れている。それは仕方のないことだった。
「はじめてにしては覚えてるね。でもすごく下手っぴ」
ちらちらわたしの方を見ながら、ユズが採点する。
ユズ、わたしが何を踊っているか、わかってくれ。そう念じながら、一心不乱にユズの振り付けを追っていく。
「けっこう、大振りだね。もっとコンパクトにまとめないと、舞踊になってないよ」
ユズの言っていることは正しいことは十分に分かっている。でも、それではダメなことを、それでは何も変わらないことを、理解してほしい。
わたしは慣れない踊りに汗をかきながら、踊っている。ユズの踊りを確認している暇なんてなかった。
「ん?キミの踊りなんか変じゃない?」
ユズがきっかけに気づいた!
「一生懸命踊ってるんだから、変とか言うなよ」
「ごめん、でも……」
ユズは何かしっくりしていない様子だ。それが何かを、ユズ、見つけるんだ。それが何かわかることがユズにとって一番大事なことなんだ。
「わたしの踊りになんか見覚えがない?」
「どこか、似てる……。あたしの踊り?」
「そうだよ」
「どうして、見物してただけのキミが踊れてるの?」
「それはずっと見守ってたからね。ユズがどんな思いで、どんなふうに伝統舞踊を理解して、踊りでどこまでも行きたい気持ちがわたしにも伝わるから」
「そんなに見てたの?」
「見てたよ」
「見ててくれたの?」
「そうだね」
「キミにとって、それは大事なものなの?」
「すごく、すごく、大事で、他に変えることができないものだね」
「なんであたしの下手な踊りをそんなに買ってるの?」
「それはわたしの答えでしかなくて、聞いてもしょうがないと思う。ユズの答えが知りたいんだ」
「あたしは、舞踊学校の特待生になりたくて、今までの自分の踊りを捨てて、学校で習う舞踊の仕方を覚えてる」
「そういうこと」
「そういうことって、どういうこと?」
「わたしの踊りを見てどう思った?」
「下手だけど、下手だけど……、なんかわからないけれど、好きな感じがする」
「好きとか言われちゃって、なんだか照れちゃうな」
「キミのことじゃないよ、たぶん。……あたしがあたしの好きな踊りを踊っていて、それであたしがあたしのために踊りを作ってたんだ」
「じぶんの好きな踊りを見ててどう思った?」
「それが自分の踊り……。誰もやったことのない、あたらしいあたしと踊り」
わたしは踊るのをやめた。そして、ユズの方を向く。
ユズも踊るのをやめていた。
「それを気づかせるために、あたしの踊りを下手でも踊ってたの?」
「どちらに進むかは、ユズの決めることだから、ユズが決めていいよ」
ユズは悩んでいるようだった。楽観的なユズにしても、どうしたらいいか決めかねる難題なのだろう。
「あたしは……、最初にあたしを評価してくれた人の意見に従う」
予想だにしない答えであった。
いつものユズなら自分で決めるはずなのに、なぜ他人に預けるのか。わたしにはわからなかった。
「最初に評価してくれた人って誰?舞踊大会の審査員?」
「違う。キミ」
「わたしか……」
「そう、だから、あたしの心は決まってる。また、自分の踊りに戻って、あたらしいあたしになることに決めた」
わたしはユズからその言葉が聞きたかった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
6日目の出会い。それはわたしとユズの軌跡でもある。
わたしは家からレギットという弦楽器を持ってきていた。ビッセルという動物の皮なめして張った民族楽器だ。
中央広場ではユズが踊ってわたしを待っていた。寒さは一層増していて、広場の噴水の水は吹き出したまま凍っていた。
紙袋からパンを取り出して、ユズの方へ放り投げる。ユズは踊るのをやめて、流れるようにキャッチした。
二人していつもの場所に腰を下ろす。
今日は黙々と食べるだけの時間が過ぎていく。
パンを食べ終わるとユズが口を開いた。
「キミって音楽できたんだ」
「まあ、ちょっとだけね。今日は伴奏ありで民族舞踊やってみないかと思ってさ」
「やってもいいけど、ちゃんと弾けるの?」
「ちゃんと弾けるけど、ユズにできるかな?あたらしい自分の踊り」
「……やってやる」
少し考えた末であったが、ユズらしい返しで、わたしは安心した。
ユズは広場で直立している。民族舞踊の最初のポーズである。ここから変幻自在に踊りやステップが始まるのだ。
ただ、ユズの場合、既存の舞踊とは全く異なる振り付けでくる。もう指南書はどこにもなかった。
わたしはユズが深呼吸するのを待って、それを確認してから、イントロに入った。
ユズ独自の民族舞踊の始まりである。
演奏しながら、ユズの緊迫した鼓動を感じる。
そろそろイントロが終わろうとした頃、ユズの目に眼光が煌めいた。
――ある貧しい小国があった。その国の土地は痩せ、実りが少なかった。それでも人々は懸命に生活していた。
辛い日々の連続を耐え忍んで、ようやっと暮らせるこの国に生まれた人々は自分を呪いさえした。
それを目の当たりにする少女がいた。
少女にこれといった取り柄はなかった。踊ること以外は。
収穫の時期、人々は少ないながらも採れた実りに喜んでいた。
人々のその喜びを全身に浴びて、少女は一つの舞踊を舞った。
それはこの国にはない、辛さ、苦しさ、悲しさのない、純粋な実りを讃える踊りであった。
この舞踊は瞬く間に国中に広まった。踊り方がやさしく初心者でもでき、かつ、解釈を加えると深みを増す不思議な踊りであった。
少女の踊りはついに国王の耳にまで届いた。
そして、国王の前に謁見して、舞踊を披露した。
国王は感激した。
なぜなら、この国には娯楽らしい娯楽がなく、誰もが生きづらさから逃れられなかったからだ。
少女の踊りは人々の心の隙間に暖かい風を運んだ。
国王は少女と出会った日を祝日として、国民の踊りに優れた女性に、この踊りを覚えさせて、貴族・国民に見せることにした。
それが、『祭天』である。
今から422年前の出来事である。
王朝は何度か変わったが、この風習だけは生き残った。
それはこの国の人々の祈りであったからだ。
人々は苦難に陥ったとき、民族の誇りとして舞踊を舞い鼓舞し、子から孫へと伝えられた。
長い年月が経ち、少女の踊りは人から人へと伝承され、表現の解釈が深まっていき、完成されていった。
それが今、一人の女性によって祈りの形を変えて、再び生まれ変わろうとしていた。
天に羽ばたきを知り、地に実りの知恵をもたらす、それは『救い』の舞踊であった。
ユズの考えた民族舞踊。まったくあたらしい、誰も見たことのないこの国のあたらしい形。
時を経て、少女からユズへと、手をつないでいった数えきれない踊り子たちの連なりが広がっていく。
わたしは解釈の変わった舞踊に合わせて、伴奏に込める感情を変えていった。
ユズのしたいように合わせて、音楽が変貌していく。
この国はかつてのように貧しい国ではなくなっている。
だからユズは敢えてマイナスの世界を踊りで描いた。
ユズの表情が悲しみに歪んでいる。
少女がしなかったことの意味を知らずに理解しているユズは天才であった。
いや、天才というには言葉が足らない。
天から舞い降りてきた踊り子。
それがユズである。
わたしは出会ってはいけない人に出会ってしまったかもしれない。
少女が創り、人々が繋いできた世界観が、ユズ、一人の手によって崩れ落ちていく。
しかし、それは踊り子たちが望んだことであるかもしれないと思ってもいた。
マイナスの現実の人々の隣にそっと寄り添う踊り子たち。
それの連鎖を断ち切る存在、それが最後の踊り子の役目。
それがユズの踊り。この国のあたらしい民族舞踊。
わたしはこの国の民族舞踊の終わりと始まりを目にしている。
踊り子の出発点からはじまり、踊り子の到達点に至る輝きをやめない星の点。
その星の周りをかつての踊り子の魂が瞬いている。
ユズの舞う姿がわたしの脳裏に焼き付いてしまっている。
ユズの手先のしなやかな波面、指先の緊張する弦、足の運びの躍動する吹雪、そのすべてが美しい。
よくここまで、羽ばたくまで、空の天に向かって飛べるようになるまで。
どれほどの人々の労苦を経たことであろう。
この国はかつてよりも豊かになり、人々の価値観も次第に変貌した。
そして民族舞踊の歴史も脱がされて、あたらしい服をきなくてはならないときがきた。
ユズがそれを変える。唯の独りで変えてしまう。
絶望から産まれた踊り子。
希望から育った踊り子。
人々の影から心を読み取って自分の物にしていく。それが踊り子、ユズ。
わたしは幸運なのか不幸なのか、心の天秤が揺れてわからなくなりながら、ユズの伴奏をしている。
そして、静かな嵐のような舞踊が終わりを告げる。ユズの心の指南書は変貌を遂げた。
ユズは息を切らせながら、深々とそして大仰しく一礼した。
わたしは演奏している手前、拍手はできなかったが、心の中でユズを絶賛した。
すべてを出し切ったユズは既に浜辺に打ち上げられた貝殻のように空虚になっていた。
ユズにこれ以上の練習は不要だった。そこで今日はこれで終いにして、道を同じくする途中まで一緒に帰ることになった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
祭天のある7日目だ。
ユズと祭天の待ち合わせ時間を決めるのをすっかり忘れていた。
祭天は朝からやっている長時間にわたる祭典だが、すでに午前の催しは過ぎている。
予定が大幅にズレてしまったが、いそいで中央広場へ急いで走る。
ユズは中央広場で待ちぼうけしていた。
わたしは申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
「ごめん、遅れた」
「ううん、今着たとこだから」
あからさまに嘘である。そっけない言い方だが、いつもの仕返しとばかりに言いたかったのだろう。
ユズは身に着けなくなっていた緑の民族服を着て、後ろ髪を髪留めで止めていた。
いつもと違うユズの雰囲気に、わたしは少し変な気分になっている。
「緑の服着ないんじゃなかったの?」
「こういうときにとっといた」
どういうことなんだ?こういうときって。それは特別なことか何かなのだろうか。
ユズの全身を改めて眺める。
長い髪は髪留めで止めていて、前髪を後ろに上げている。おでこが丸見えだ。そのせいか緑の民族服が似合っている。そして、靴は今までのと同じ、よれた物である。
これがユズなりの精いっぱいのおしゃれなのか。
そう思うと、いじらしくなってきた。
「このあと、リゲーラのショーがあるから、それを見に行かないか?」
リゲーラとは大人しい海洋生物で人懐っこく訓練すれば芸をする。祭天では出し物として恒例になっている。
「いいよ。遅れた分を取り戻したい」
やはり、かなり待っていたようだ。
ユズを伴ってリゲーラの催し物がある場所まで一緒に歩いて行った。とくに手をつなぐとかはなかったが、隣り合わせで歩くのは初めてだ。
リゲーラの会場に入ると、五段目の座席に二人して座った。リゲーラの芸はもう始まっていた。
リゲーラは少しビッセルに似ているが、海洋生物らしく皮膚がぬめって、テカっている。
会場のちいさな池からリゲーラがジャンプして飛び跳ねている。
水しぶきが前列まで届いて、客席は大騒ぎだった。
ユズも驚いてはしゃいでいた。
ユズを連れてきてよかった。ユズの笑顔がまぶしい。
「これからどんな芸を披露するんだろうね。楽しみだね」
「すぐにはじまるだろうから、すぐわかる」
わたしが尋ねると、ユズはぶっきらぼうに答えた。
飼育員が地面に塵取りを置くと、少し離れたリゲーラが箒をにぎって、地面を掃くマネをする。
「おおっ」と観客の歓声があがる。
よく訓練された芸だ。
などと思っていたが、リゲーラがだんだん飼育員の方へと近づいていく。
そして、集めたごみを塵取りに入れ始めた。
そんな馬鹿なことがあるだろうか。
あ然としているわたしに、ユズが言った。
「リゲーラって賢いんだよね」
いや、そういう問題では……。
わたしがおかしいのか、ユズがおかしいのか、リゲーラの芸のせいで訳がわからなくなった。
ユズはリゲーラが好きらしく、一連の芸を見られて満足げだ。
わたしは頭に疑問符を抱えながら次の催し物へとユズを連れて行った。
祭天最大の見せ場である、民族舞踊のお披露目である。
会場はいつも二人で練習していた中央広場に設置されている。
会場は360度から見られるようになっているが、前方には王侯貴族や高位者たち、側面には上級市民たちの席であって、一般市民は後方からしか見ることができない。
つまり、主に出演者の背中しか見物できないのだ。
一般席は既にどこも埋まっていた。無料である代わりに早い者勝ちであるため、わたしとユズははるか後方で立ち見することになった。これはしかたのないことであった。
遠くで伴奏が流れている。
王侯貴族や衆目の中、舞踊学校の生徒たちが列をなして舞台中央へ進み出る。
いよいよメインイベントの民族舞踊が始まる。
わたしとユズにとっては過去の民族舞踊だが、それを知るものはわたしたち以外にはいない。
ユズは食い入るように、生徒たちを見つめる。生徒たちの緊張感がユズにも乗り移っているのか、ユズの全身からは集中力がはみ出したように感じる。
民族舞踊が始まった。それは古来より伝わる喜びを全身で表現し、小鳥が舞うように、そこかしこに小走りしながらステップを踏み、足を軽くあげて、皆を楽しませるものであった。
昨日見せたユズの民族舞踊とは対照的だ。
生徒たちが楽しそうにくるくると回る。
「あっ、教えてくれた生徒さん見つけた!」
ユズはうれしそうにわたしに告げた。
ユズはここで踊りたいであろうに、その資格を持たぬ身である。それなのに、妬みや嫉みといったものとは無縁のように、出会った生徒を見つけては応援していた。
舞踊学校の生徒たちの演目が終わった。今年の民族舞踊はできがよかった。前年のはダメだったが、おそらく指導者がまずかったのだろう。
ユズはこれまでみたこともない満足感に浸っている。あたらしい民族舞踊を創始した人間とはとても思えなかった。400年以上前に創られた少女の舞踊が本当に大好きなのだ。
ユズによって破壊されて少女も納得するであろう、そんな人柄がユズに備わっている。ユズには古いものでも、いいものはいいものだと判断する目が元々あるのだ。
暮れ始めていた祭天の日にち。催しはあとはイルミネーションを残すのみとなっている。
夕焼けに揺らぐ空の下、わたしたちはレストランへと入った。
レストランの中は混雑していた。人が無軌道な機械仕掛けのように騒がしい。みな祭天の話題で頭がいっぱいのようであった。
わたしとユズは端っこにある二人用の座席に案内された。
わたしは苦虫茶を注文したが、ユズも同じものを注文した。苦虫茶はその名前の通り、かなり苦い。わたしはあとで先にユズに注文させればよかったと後悔した。
同じ過ちを犯さないよう、料理についてはユズに先に注文させると心してかかった。
「クレトピアの姿焼き」
ユズはオヤジ趣味だった。
「わたしも同じので」
「そんなことしたら、食べあいっこできないじゃん」
「ユズがわたしと同じ飲み物を頼んだから、わたしもユズの好きなものを食べたくなっただけだよ」
「もし嫌いなものだったらどうする?」
「それはないよ」
「そんなことない」
「そんなことあるよ」
「ない!」
ユズはすごんでみせる。
わたしは笑って、何か曲を流してくれるよう頼んだのだった。
食事を終えて、わたしは一段落ついた。ユズの方はまだ食べている。
元来、小食なのか、ユズはなかなか苦戦しているようだ。
わたしは二杯目の苦虫茶を注文した。おそらく食べきれないであろうクレトピアを、懸命に頬張るユズを眺めて和んでいる。
とうとうユズはすべてを食べきることを諦めて、全身の力を抜いた。
あまり美味しくなさそうに苦虫茶を飲み始める。
「クレトピアは美味しかった?」
「すごく脂がのっててびっくりした」
「家で食べるのとは違うでしょ」
「ここって、そんなに高いお店なの?」
「ぜんぜん」
「……そう」
「そろそろイルミネーションが点灯する時間だ。会計しないと」
「その前に聞きたいことがあるんだけど」
ユズは苦虫茶のコップをテーブルのわきに置いて、こちらに真剣なまなざしを送る。真顔のユズはいつみても愛らしい。
「何かな?」
「ほんとは民族舞踊に詳しいんでしょ」
「さあ、それはどうかな」
「でなきゃ、あたらしい民族舞踊なんて考え、起きっこない」
「わたしは毎年、祭天で民族舞踊を見物してただけだよ。詳しい解釈はまったく知らないんだ」
「ほんと?」
「ユズにウソ言って、何かわたしが得することでもある?」
「ほんとに?」
「ほんとうだよ。民族舞踊は習っていない。そもそも女性の踊りだからね。伴奏はできるけど」
「そういえば、なんで伴奏ができたわけ?それもちょっとおかしい」
「演奏自体、数十曲はできる。そのうちの一つだね」
「ふ~ん、そうなんだ」
「そういうこと」
「じゃあ、なんであたしの踊りが異質なのがわかったの?」
「それはどうしてだろうね」
「なにか知ってない?」
「なんでも知ってるよ。ユズに教わったから」
「はぐらかしてない?」
「じつははぐらかしてる」
わたしはいじのわるい笑みを浮かべた。
「そんな悪い人には注意しないと、普通の人じゃないもの」
「ふつうのひとじゃないか……」
「だって、ぜんぜん話が進まない」
「じゃあ、話が進むように秘密を一つ、ユズにあげる。じつはわたしも指南書を持ってたことがある」
「そうだよね、そんな感じがしてた。じゃあ、こんどはあたしがいいこと教えてあげる」
ユズはお店に入ってからどこかお姉さん気取りだ。苦虫茶にしてもそうだが、背伸びしたい年頃なのか。
「なんだろう?」
「ちょっと待ってて」
そう言って、紙製のナプキンを一枚膝の上に乗せると、苦虫茶の入ったコップに人差し指を入れて、ナプキンに何かを書きだした。
「はい、これ見て」
そう言って渡されたナプキンには、名前が書かれてあった。ユズの本名であることは疑いようもなかった。
「これがあたしの名前。ふつうでしょ」
「いい名前だと思うよ」
「ありきたりな名前じゃなかったらよかった」
「そんなことはないよ。その証拠を見せてあげようか」
わたしは自分のコップに人差し指を入れると、渡されたナプキンに自分の名前を書いて、ユズに手渡した。
ユズは固まってしまった。ユズが呆然としているのを見届けると、わたしは静かに目を閉じた。
そう、わたしの名前はふつうではない。異世界人の末裔しか名乗れない名前であった。それも422年前に、はじめて舞踊を披露した異世界人の名前が自分にも刻まれている。
「……すべてわかった。すべて、つじつまが合うことだったんだ」
ユズは腑に落ちたようにつぶやいた。わたしは無言で答えることにした。否定しないこと、それがすべてを意味していた。
話し声がやまない店には静かに時が流れていた。
「わたしは家を出た身だから、あまり知られたくはなかった」
「そうなの?じゃあ、一人暮らしなのはほんとなんだ」
「ユズにウソはつけないから」
「なんで?」
「ユズは誰かのために踊っているだろ。そういう人にウソを言いたくはないんだ」
「キミにはそうみえてる?」
「……そうだね」
わたしがうなづくと、ユズはうれしそうに微笑んだ。
外は夜空の幕がかかり、中央広場へとつづく大通りには、イルミネーションのオブジェがそこかしこにぼんやりと明るく照らし出されていた。
この地上には魔石という不思議な石がある。
開発次第では何でもできてしまう不思議な石だ。
魔石を使って一瞬にして線描が描けてしまうし、空を飛ぶ機械も作ることができてしまう。魔石の開発研究はどこでも盛んに行われている。それから派生した学問体系もある。
イルミネーションも魔石を使っている。国を代表する祭典だから国家予算もかかった壮大な魔石の魔法的機械装置。それがイルミネーションだ。
リゲーラをはじめとする催し物はすべて撤去され、イルミネーションを楽しむカップルがいるのみである。
わたしとユズも他のカップルから見れば同類に見えるのかもしれない。そんなふうに思いながらユズとイルミネーションの周りを歩いている。
「こんなにきれいなら、毎年見ればよかった」
イルミネーションに見とれているユズが思わずこぼした。
「毎年やってるから、これから毎回見にくればいいよ」
「そう……だね」
「わたしの工場で作ったイルミネーションがどれかわかる?」
「ぜんぜん。ぜんぶ同じ工場でつくったんじゃないの?」
「一度にこんなにたくさん作れないよ。別のところでも作っているよ」
「イルミネーションはどこまでつづいているの?」
「この大通りすべてだね」
ユズは通りの先にある暗闇の方へ目をやる。近くて遠いイリュージョンの空間のなかで、その先にあるものを知りたがる子どものような顔をしている。
ユズはイルミネーションに魅了されている。
わたしはユズとイルミネーションのちいさな世界に魅了されている。
周りの人たちは魅了の意味のなかで、冷たい空気のなかでやさしくなっている。
「ユズにはここがどんなふうに見えてる?」
「どんなふうって、音楽に見えてるけど……」
「音楽か……そんなかんじだね」
「キミにも見えてるの?」
「ユズの感覚を信じているからね。それで当たっているんだよ。たぶん」
「たぶんですか……」
すこし諦観したような穏やかなニュアンスのユズだった。それもいいな、とおもう。
「たぶんですね」
ユズと同じく、親しくなってする丁寧な言葉遣いが楽しくなっていた。
「キミのいうとおり、あたらしい踊りをつくったけど、あたしってなにも変わらない」
「なにも変わっていないから、つくれたんだよ」
「なにも変わらないことは、いいことなの?」
「たとえば今日の民族舞踊をみても、ユズはそれが好きだろ。それでいいんだよ」
「そんなもんですか」
「そんなもんです」
「そんなもんでいいんですか?」
「いいんです」
ことばのあそびはあたらしい指南書だ。何もかかれていないページに描いていく一枚の紙きれだ。
そして、たのしいと自然に笑みがこぼれていく。ユズが踊りの練習をした後もいつも笑みがこぼれていたっけ。
「あたしって踊りが下手なのか上手いのか、じぶんでもわかってないけど、それでもいいんですか?」
「それでもいいんです。踊りをつづけていることに、みんな意味があるんです」
「あたし、つづけたい、ずっと」
「ずっとでいいんですか?」
「ずっとでいいんです。それが生きてるってことです」
ユズの源にふれた気がした。ことばのなかにあるそれは、ぬいぐるみのいのちに似ている、なにかそういうものだ。
わたしとユズは遊び場を移動するように、ひとつふたつとイルミネーションのオブジェを渡り歩いた。
次のオブジェに行くたびに、大人になっていくじぶんを歩んでいる。おそらくユズもそうだろう。
二人で買った緑の民族服がユズに似合い始めている。これで踊ってほしい。これで一緒にいられることがうれしい。
「ここも……音がする」
ユズがつぶやく。
「今年の芸術家の目論見かもしれないね。ユズには音楽に見えているんでしょ」
「そう。いろんな感情の音楽」
「だったら踊れるよね?」
「踊る?」
「こころのなかに響いている音楽でね。ユズは踊れる」
「キミが信じているなら、たぶんそういうことだとおもうよ」
ずいぶん信頼されてしまったな。わたしはユズのことがどうしようもなく、いじらしく感じるようになってしまっていた。
ユズはひとつのイルミネーションの前まで駆け寄るとわたしに向かって直立した。ユズの踊りの初期ポーズだ。
わたしはいまからユズの踊りの観客になり、そして踊りが何を指しているのかを知る理解者になる。
その理解は淡くてもいい、曖昧だっていい。
「合図が、ほしい」
ユズが乞うように叫んだ。
わたしはユズの気持ちが落ち着くタイミングを見極めようと、ユズの白い息のぼんやりとした広がりを見つめた。
「はじめていいよ」
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
わたしには音楽が見えない。しかしユズには音楽が見える。
それはイルミネーションという、光と暗闇を醸し出す音のない音の世界。
そして、ユズは民族舞踊という集団の踊りの経験しかない。集団的なひとりの踊り子、それがユズ。
ユズの踊りはもうはじまっている。
寒色系のイルミネーションの下で、ユズは両手を宙に浮かせている。その先には何があるのだろう。記憶の中に忘れてきたポケットから、何かが引きずり出されていく。
それはわたしのうれしい思い出だったりする。
イルミネーションの色味とかみ合わない。
ユズがいるからだ。ユズの舞踊が花びらの中のおしべ、めしべのように融合して、美味しい香りを漂わせてくるのだ。
ユズは寒色の光のなかに、うれしさを見出して、それをわたしに伝えようと、もがくようなこころで表現している。
ユズにとってのうれしさとは他の踊り子たちと踊ることだろう。
ユズのうでの先には微かにひとの存在をかんじる。
ユズは民族舞踊学校に通ったことがないから、他の踊り子たちと出会う機会がほとんどなかったはずだ。
それは願望であり、その向こうにはうれしさがある。
ユズの望みのちいさな地平には、うれしさの手がユズの手をとろうとしている。
ユズから見た踊り子たちはみな愛らしいのだろう。そんな気がする。友情にちかい信頼のしるしをユズの舞にのぞかれている感覚をおぼえる。
しかし、ユズのかおは、ひとのいる感じのする方からは明後日の方を向いている。
ユズの叶わぬ夢のような願望なのか。
それはかなしみのいろ、寒色だ。寒色の中にうれしさがあるのだ。
さむいよぞらにちっぽけなあたし。
あたしのなかにさむいちっぽけなあたしのそら。
おとなになってもかわらない。かわることがない。かわれない。
まいにちがやってくる。
まいにち、まいにち、まいにち。
おどっている。
ユズの身体がことばのむかいかぜとなって、うたっている。
ユズが思いついたように、暖色系のイルミネーションに向かっていく。
そこには何があるのだろう。座らない観客のわたしもユズについていく。
明るさがやさしく照らすそこには、おびえているユズがいた。
みにくいじぶんのこころが表にでてしまったのか。それでかくしようもなくおびえているのだ。
気丈にふるまえなくなったユズに、架空の踊り子たちはやさしく微笑む。ユズには信頼をよせるなかまたちなのだ。
たしかに暖色の中にみにくさがある。暖色はみにくさに指をさしている。
あたしはどこへいったらいい
どこへもいけないあたしは
どこへいったら、どこかへいきたい、どこへいったら
こころをやすめられるところ
ちょっとでいいから
どこへいったら、どこかにいって、こころがどこかへいっちゃった
やすめないあたしがいる
しかたないあたしがある
いばしょがあるのに
いばしょなんてなかった
あるのにない
ないのがある
そんなあたしはどこへ、いったらいい
あたらしい。あたらしすぎて他の誰にもユズを理解できるわけがない。
しかし、ユズが踊れば、だれかがそれを理解して評価する。それがいまでなくともいい。受け継がれれば誰かの手にユズのこころがわたるはずだ。それなら、わたしはなぜここにいるのか。わたしはいったいなにものなのか。
ユズのふしぎなおどりの世界へわたしもまよいこんでいた。
ユズもまたまよいこんでいる仕草をしている。じぶんのこころの迷路から抜けだせなくなっている。
ふあんでふあんで、まちがったほうへ、まちがったほうへと、どんどんまよっていく。
そこがどこか、どこにつながっているのか、まったくわからないまま、こころのおくそこにある、一つのトゲに咲くあまい誘惑の花をさがして。
そんなユズを、あたたかいひかりが、かすかにつつみ、ひとのかたちへと、もどしていく。
光とユズの踊りの片手同士のあやとりあそび。
ユズはイルミネーションの下ではなく、その間のくらやみに走った。
そんなところにも音楽がみえるのか。わたしもユズについていく。
踊りは社交的なユズをあらわしている。たのしそうにしているが、どこかさみしそうだ。
そうか、やみのなかにひかりがあるのではなく、ひかりのなかにやみをみたのか。
ひとがあかるくふるまうとき、こころのなかに、くやらみがあるのか。
それが音でわかるのか、なぜそんなに、こまやかにわかるんだ。
これが音楽であらわしたことを、だれしも理解できるような踊りになった。おそらくこれがユズのクライマックスだ。
それは音楽隊の指揮者の真似であった。
小さく、それがやがて、大きく、荒々しく、腕を振って、全身で音楽だったことをいっぱいの笑顔で宣言した。
うつくしい、それがユズ、うつくしいかたちをしている、それもユズ。
わたしは感動を知った。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
わたしのもとへユズが駆け寄ってきた。まだ余力はありそうだ。
「ユズが疲れてなさそうで、よかった」
「身体より、頭の方が疲れちゃった」
たしかに身体は元気だが、表情はかなり疲れているようである。
「それはいいことだよ」
「いいっていうのは気楽だね。こっちは大変だよ。踊りながらつぎの踊り考えてやってるのわかってた?」
「わかってない」
わたしはあかるく笑った。
「いいご身分だ」
ユズは心底、心外そうである。
「実際、法律的にはまだ平民になれてないから、合ってはいるね。仕方のないことだけど」
「そうなんだ……」。
こんどは、すこし気まずそうに、微かにうつむいた。ユズが小動物のようである。
「ま、平民になれないのは、ずっとなんだけどね」
「そうか……いい気味だよ」
わたしの言葉があかるいままなのを察してか、ユズがいじわるなことを言ってきた。
しかし、ことばの切っ先がまるくなっている。
これが仲が良くなるってことだ。
「いい気分です」
「それは、あたしのおかげでしょ」
「ユズのおかげだから、もっといい気分」
「それだったら、しなくちゃいけないことがあるよ」
「ん?なんだろう」
「じぶんへのごほうび!」
いうなり、ユズはわたしにキスをした。味のしないあまいくちづけ。
急なことで、わたしがすこし戸惑っていると、抱きしめるまえに、ユズに離れられてしまった。
「どっちの意味?わたし?ユズ?」
「どっちもだよ!」
これがユズのダブルミーニングか。わたしのユズへの愛がどんどん増していく。わたしも使ったことあるが、そのときはまだ、こうなるとは予想もしてなかった。
「ダブルチャンスはある?」
「ない!」
ユズはわたしから距離を置きながら、そう叫ぶと、駆け足で、暗闇の中へ、消えていった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
8日目もあるとおもっていた。
お昼の中央広場にユズがいない。
わたしはただの昼食をとった。それだけだった。
次の日も、そのまた次の日も、そのまた次も、ずっとただの昼食だった。そして、ずっとユズがくると期待しているじぶんをぼんやりとみつめていた。
ユズのしらせがきたのは一か月以上のちのことだった。
それは魔石をつかった通信網による魔信であった。
魔信は代筆者によって、きれいな文字で書かれていた。わたし自身はユズのことを知る機会に満足していたつもりだったが、ユズの文字でないことに、わたしの感情はすこし落ち込んでしまっていた。
ユズは別の国にいた。
家族が経営していた商店がとうとう潰れてしまい、やむなく新天地をもとめて、暮らせそうな国に移ったとのことだった。
とりあえず、ユズが無事で安心はした。
ユズは別の国であらたに民族舞踊をやりなおさなくてはならなくなった、と嘆いてた。それはしかたのないことだ。
そして、その国では踊り子は髪を短く切る風習があるから、髪の毛を切ったと書かれていた。
わたしはすぐに嘘だと気づいた。
ユズには魔信のお金を用立てる手段がほかになかったのだ。
ユズからの嘘の挑戦状には勝てたが、それはわたしにとって耐えがたい苦痛でしかなかった。
気持ちのこもった、恨みのこもった、やさしさをにじませた、ユズの愛情あふれ出る嘘に、どう答えたらいいかわからなかった。
そういえば、あの国はここより寒い土地柄だったはず。
ユズは緑の民族服を着ているのだろうか。
そんなことを考えていた。
緑の民族服。
二人で買いに行った、ふたりでおかねをだした、緑の民族服。
ふたりで……。
そうだ。
わたしには、ひとつ、ユズといっしょにやることがあった。
それはあたらしいこの国の民族舞踊の指南書をつくることだ。
ユズが踊り、わたしが心に刻んだ、ユズの指南書がまだ存在していない。
それなら、わたしにもできる。ユズしか個人を認識できないわたしにも、それならできる。
書けばいいだけだ。
ユズがわたしの心に描いて、わたしが書く。
なぜいままで気づかなかったのだろう。
それはユズがいたからだ。傍にいてくれて、忘れていた。そして居なくなり、髪の毛を切ったことで、思い出させてくれた。
あいのこもった、あたらしい、指南書をつくろう。
それが日の目をみるのは、いつになるかわからない。それでもやらなければいけない。
それが生きてるってことだよな、ユズ。




