前世編/魔術師ディーの罠②
◇◇◇
ディーはふう、っと一息ついて、書物や骨董品の積み重なっている壁側に目を遣った。
「…それで?どうだったの?ディー。」
物影から現れたのは、今にも人を殺めそうなほど鋭い目をするエスピーナとフォンセだった。
頬にかかる銀糸のような美しい銀髪を耳にかけ、ディーは品よく頭を下げる。
「はい。
エステレラにかけられているのは間違いなく、アウトリタ皇帝陛下の《加護》でございます。」
「…そう、それで?」
「はい。残念ながらわたしの力で持ってしても、彼女の加護は破壊することができませんでした。」
申し訳ありませんと胸元に手を当て、ディーはもう一度頭を下げる。
それを聞いたフォンセが、昨夜のことを思い出して醜く顔を歪めた。
「なぜ!皇帝陛下のお考えが分からない!
なぜあんな貧民の娘に…!」
解せないと言わんばかりにフォンセは声を荒げる。
彼を横目にエスピーナが再度ディーに尋ねた。
「ならばこれ以上、あの少女に物理攻撃も魔力も効かないと言うのね?」
「はい。おっしゃる通りです。
アウトリタ皇帝陛下の魔力は帝国一です。
それを上回る魔力を持つ方は、現在おそらくこの世にいらっしゃらないでしょう。
残念ながらわたしもお力にはなれません。」
淡々とした口調でディーが言い終えると、エスピーナは分かりやすいほど怒りで震え、ドレスの裾を強く掴んだ。
「そう。なぜお父さまが……
とにかく。ディー。
物理的にも魔力攻撃も効かない相手なら……
何を持ってすればそんな相手を排除できるのだと、お前は思う?」
エスピーナの鋭い問いかけに、ディーはしばらく考え込む。
程なくして、淡々と口を開いた。
「そうですね。
だとすれば精神攻撃をしてみてはいかがでしょう。
エステレラの大切なものといえば、皇女様が気に入っているあのローアルという少年ですよね?
彼を弱点として、揺さぶるのです。」
「やっぱり?そうよね、さすがディーだわ!
帝国一の魔術師!皇族の血を引いたストレーガ家の末裔よね!
…そうね。
けれどわたくし、男を横取りした悪女みたいになってしまうのはイヤ。
わたくし、どうしてもローアルにだけは嫌われたくないの。」
まるで悲劇のヒロインのように、エスピーナは出てもいない涙を拭く仕草をした。
「ディー。あの少女はローアルのためならなんでもすると思わない?
そう、ローアルのためにその身を捧げてしまうような、ね?
分かるかしらディー。
あの子が自分を傷つけるように仕向けるのよ。
この意味…………
賢いあなたなら分かるわよね?」
エスピーナは恍惚とした笑みを浮かべて、醜悪な眼差しをする。
その意図に気付いたディーは眉をわずかに吊り上げた。
これまでにディーはエスピーナのこの顔を何度も目撃してきた。
何かを企てたとき、優越を感じたとき、欲が満たされ、快感に震えるとき。
よくエスピーナはこのような顔を見せた。
「はい。皇女様が望むのであれば、わたしも最大限手を尽くしましょう。」
そしてディーもまた、下卑た企てと知りながら迷いもなくエスピーナに従う。
これまでも代々のストレーガ家が皇家の忠臣であったように、ディーもまた同じだった。
忠誠を誓う皇族のエスピーナのために、ディーはこれまでも口に出すのも憚られるような、恐ろしいことを裏でやってきた。
しかもそれらは、皇帝の預り知らないところで数年間にも渡り繰り返された。
皇帝に溺愛されているエスピーナのために。
何度も、何度も。
それゆえにディーは、公爵、そして帝国一の魔術師という誇り高い地位があるにも関わらず、自分のことを最早悪だとさえ感じていた。
それほど悪事に、もうすっかり慣れてしまっていたともいえる。




