雪だるまの体温
切なくなるホラーがいいなと思って書きました。
十余年ぶりの、祖父母の家だった。
F県とN県の県境に、山に囲まれた集落がある。スーパーに行くにも車で30分掛かる『ど』が付くほどの田舎だ。
俺はこの村にある母の実家に、小学二生の冬休みの間だけ一時的に身を寄せていた過去がある。
事の発端は母の入院だった。重病が見つかり長期入院を余儀なくされたが、そうなるとガキの面倒を誰が見るか? フルタイムで働く父ではとても手が回らない。そこで母の提案で、母方の祖父母の手を借りる事になったのだ。
今後の事について、大人達は色々考えていたようだったけど、結局母は冬休み中にポックリと逝ってしまった。
母の死を機に、俺たち父子は生活の基盤を父方の祖父母の家へと移した。やがて俺は東京の大学に進学し、今に至る。
大学四年の夏休み、俺は母方の祖父母の家に顔を出していた。
母の死によるドタバタと、引越しや転校。それ以降の部活や学業の忙さなど、色々な『まだ……』が重なって、今の今まで祖父母の元に顔を出せずにいた。
それに大学卒業後は、さらに遠くの県に引っ越しが決まっている。今を逃せば、更に顔を出すのが難しくなるだろう。
そんな諸々の事情で、俺は若干気怠くはあったが、この村にやってきたのだった。
* * *
とは言え暇だった。
田舎らしい無駄に大きな祖父母宅の居間に通され、俺の子供の頃の写真を見たり、母の思い出話などを交わした後は、特にする事も無くなってしまった。
あてがわれた客間の畳に寝転がって、スマホを眺める。電波は1本、ちょっと動いただけですぐ圏外。
通信速度も遅すぎて、いつも通りゲームをして過ごすにしてもこれじゃストレスが溜まる一方だ。
時刻は14時を少しすぎたところだった。外は皮膚が溶けるレベルの暑さではあるが、こんなただっ広い客間で天井を見上げているのも、刺激に飢えた現代っ子の俺にとっては耐え難い苦痛だ。
ちょっと、散歩行ってくる。
台所で夕食を作る祖母にそう声をかけ、俺は近所の散歩に出かけた。
田舎の夏は、都会以上に騒がしい。
山の緑は濃淡入り乱れてごちゃごちゃしているし、それを照らす日差しは目が痛くなるほどの輝度だし、喚き散らすセミはむこうの喧騒よりも耳に刺さる。
俺の記憶にあるのは、静謐なこの村の冬景色だった。雪で一面が白一色に染まって、たまに木の枝から落ちる雪塊の音しか聞こえてこない、忘れ去られたような場所。
今見ている景色とはだいぶ違う。
気の向くまま、小さな山の麓にある薄汚れた鳥居を目指した。子供の頃の記憶を辿ると、あそこには古びた神社があったはずだ。
とりあえず日陰に逃げられればそれでいい。
暑さで頭が朦朧としてくる。
鳥居をくぐり30段ほどの石段を上ると、記憶の通り小さな神社があった。期待を裏切らず、周りを広葉樹に囲まれてじんわりとした日陰が生まれている。
人が足繁く通っているような雰囲気はない。雑草は伸び放題で、黒く湿った社の木材には緑色の苔が生えていた。
木々からは、蝉の声が降ってくる。
どことなく神秘的な空気に当てられて、俺は神社の境内を一回りしてみた。膝丈まで伸びた雑草を避けるように歩いていると、草陰にあった水溜りの端っこにスニーカーが沈んで、慌てて引っこ抜く。
俺は悪態をつきながら、その憎たらしい水溜りを睨みつけた。
ここ数日は田んぼの水も干上がりそうなど日照り続きだったって、さっき祖母が話していたことを思い出す。日陰とはいえ、この暑さの中でも蒸発しないで残っているものなのだろうか。湧水でもあるのかもしれない。
考えを巡らせてはみたが、すごくどうでもいい事だと気が付き、俺は忌々しい水溜りに背を向けると、社の木製の階段に腰を下ろした。
そういや、子供の頃もここに座ったな。
俺はあの冬を思い出す。葉の隙間から溢れる光が滲んで、視界を白く染めていった。
* * *
お母さんに会いたい。
子供の頃、大した説明もないまま両親と離されこの村に連れてこられた俺は、優しい祖父母にかわいがられながらも常に寂しさと不安を抱えていた。
母の病気については、おそらく説明されたところで理解できるわけもなかったし、俺の心配を煽るような発言にはあえて口を噤んだ大人の優しさなんだって、今ならわかる。
しかし、肌から色が抜け落ち、むくみでぱんぱんに変貌してしまった母の顔は、小学生の俺に『ただ事ではない』何か感じさせるには十分だった。
祖母との手遊びに飽きると、俺は村の外を歩き回った。人も車もほとんど通らない畦道は、降り積もった雪がいつまでも白く残っていた。
やがて、山肌にぽっかり開いた穴のような石段の上り口を見つけ、小学生の俺もまたこの場所へとやってきた。
そこは自分一人だけの世界だった。
誰も足を踏み入れていない新雪が、視界いっぱいに横たわっていた。
走り回り、雪を掬って投げ、寝転がる。
やがてその遊びにも飽きてしまった俺は、雪玉を大きく丸めて雪だるまを作る事にした。
小さな雪玉を転がして、どんどん大きくしていく。綺麗な丸にはならなかったが、腰ぐらいの大きさの雪玉を作る事が出来た。
その雪玉の上に、小さめに作ったもう一つの雪玉をのせる。落ちていた石で目を作り、木の枝で鼻と口を作り、落ち葉で髪の毛を作る。
お母さんに会いたい。
その言葉を心の中で繰り返しながら作り上げた雪だるまは、不格好ながら母の姿をしていた。
丸い顔の真ん中のにっこり笑った口、最近太ってしまったと嘆いていた少しふっくらしたお腹ーー
俺はいてもたってもいられなくなり、雪だるまの身体に両手を回す。雪で作られた母の輪郭は、本物の母と同じ形をしている気がした。
母が病気になってからは、一度もぎゅうしてもらえていない。母の温かな体温と柔らかな腕の感触が懐かしかった。
もう二度とぎゅうしてもらえないんじゃないか? そんな不安が脳裏を掠め、子供の俺は仮初の母親を抱く腕に力を込める。
神様。
お願いです。
もう一度、お母さんにぎゅうしてほしいです。
わがままなんて言いません。
さびしいって言って、みんなを困らせません。
だから、どうかお母さんに――
俺の腕の力と体温によって、雪で作った母親は少しずつ潰れていく。俺は何度も何度も願いながら、母の温もりを求めて抱きしめた。
やがて疲れて果てて、雪面に座り込む。
見上げた母の顔は、目尻が口の端につくほど垂れ下がっていて、さっきよりもずっとやさしい笑みを浮かべているように見えた。
その日の夜は吹雪だった。
祖父母宅の電話が鳴った。
母の容態が急変して、息を引き取ったという電話だった。
吹雪が止んだ翌日の朝、僕は祖父母と母の元へと向かった。母は家の寝室に横たわっていて、雪だるまみたいに真っ白な顔をしていた。
触れた体は硬かった。
俺は、もう二度と母にぎゅうしてもらえない事を悟った。
* * *
夏の暑さが生み出した一時の微睡から目覚めた。
そういえば、あの雪だるまのあった場所は――
俺は草をかき分けて、先ほど足を浸した水溜りへと向かう。そう、この場所だ。ここに俺は、あの母の雪だるまを作ったのだ。
母に会いたいと、強く強く、願いながら。
俺は水溜りを覗き込んだ。
水溜りは異様なほどに澄んでいた。
まるで地下まで続く洞窟の入り口のように深そうで、それでいて10センチ先は見えない程の闇が内側で蠢いていた。
そこに人影が見えた。
その影は少しずつ輪郭を定め、やがて女性の姿となった。
母だった。
病気になる前の、優しく、美しい母の姿だった。
俺は息を呑む。
生ぬるい風が、二の腕と首筋を撫でる。
母さん。
俺の小さな呟きが水面に微かな波紋を生む。その波紋を崩さずに、まるで新芽が伸びるようにゆっくりと、水面から2本の腕が生えてきた。
白くてやわらかな2本の腕。
その指先が波打つように揺らめく。
愛する者との抱擁を求めるように――
俺の顎から汗が滴る。
それが水面に落ちて大きな波紋が生まれた。
水面に映されたやさしい母の笑顔が、狂ったように歪んでいく。
俺は差し出された両手を振り切って駆け出した。
土を跳ね上げ、石段を駆け下り、鳥居をくぐり抜け、荒れた息を整えながら振り返る。
見上げた石段の先には、あの水溜りのような濁った闇が揺れていた。
* * *
水面に映ったあの母が何者だったのか、本当のところはわからない。
暑さの中で見た幻なのかもしれないし、あの冬の日の願いを聞き入れた神様が生んだ奇跡の断片なのかもしれない。
田舎の無人駅で電車を待ちながら、俺はあの冬を思い出す。
母の温もりを求め抱擁した雪だるまの、残酷なまでの冷たさを思い出す。
叶うことのなかった願いを思い出す――
もし、水面から差し出されたあの2本の腕を受け入れたのならば、俺はもう一度、母の温もりを感じる事が出来たのだろうか?
まだ電車は来ない。
俺は後ろ髪を引かれながら、苛立たしく線路の先を見つめていた。
お読み頂きありがとうございます(*´Д`*)
ホラーと言うには恐怖要素が少ないお話ですが、なんかこう「モヤっとしたもの」が残ってくれるとうれしいです。




