罪負姫は牢獄の中で息絶えた。
ある時代に魔王が居た。
恐ろしい魔王だ。
王国の兵や騎士は言うに及ばず、微かな希望として召喚された異世界の勇者たちも皆殺された。
「諦めてはいけません」
王国の姫にして、魔王を除けば最も魔力に満ちた姫は絶望の中にありながらも力強く告げた。
「必ず、この国を救う勇者を召喚してみせます」
彼女の右手の薬指には彼女の魔力を最大限に引き出す神器である指輪が光っていた。
この指輪と彼女の魔力だけがこの国の希望なのだ。
自国の強者はおろか勇者たちさえも敗死し続けている中、姫は尚も勇者を呼び続ける。
ある時。
魔王を除けば最も魔力に満ちた姫さえも超える、途方もない魔力を持った勇者が召喚された。
「ここは?」
勇者は混乱したままに辺りを見回していたが、姫を見つけた瞬間に表情を変えて跪いた。
その様に混乱する姫に勇者は告げた。
「必ずや、魔王を討伐してみせます」
「何故、それを……」
「誓ったからです。あなたを守ると」
そして、勇者は魔王に挑んだ。
彼は強かった。
今までの勇者を遥かに超える程に。
魔王を追い詰める程に。
しかし、追い詰める事は出来ても魔王を倒す事は叶わず、結局彼は重傷を負ったまま帰還した。
「勇者様!」
泣きながら勇者に駆け寄る姫に勇者は苦悶の顔のまま告げた。
「姫様。お話しがあります。出来れば二人きりで……」
「お話し?」
勇者は負けたが民の顔は明るかった。
何せ、今までは勝機さえ見えなかった魔王を相手に勇者は戦い続け希望を見せたからだ。
加えて魔王は深刻なダメージから城を後に逃げ去った。
つまり、人々には仮初の平和が訪れたのだ。
「勇者様は敗れた。しかし、あんなにも魔王を追い詰めたんだ。次こそは必ず魔王を討ち滅ぼせるだろう!」
「あぁ、我々も勇者様に付き従うために武技を磨かなければ!」
そのように沸き立つ兵や騎士達の喜びは翌日、絶望に変わった。
勇者と二人きりで話していた姫が突如、勇者の胸をナイフで一突きして彼を殺したからだ。
「何故、このようなことを!?」
王と国民の止まない罵声を受けても一言も発せず、姫は無言のまま自らの罪を償うために牢に入った。
勇者の死から一年。
人々は魔王の復活に怯え続けた。
勇者の死から二年後。
人々は魔王の死体を見つけた。
どうやら、随分と前に死んだらしい。
「きっと、勇者様の傷が元手となり死んだのだろう」
人々は死してなお平和をもたらした勇者に涙を流し、それと同時にその勇者を殺した姫を恨んだ。
未だ獄に繋がれた姫は罪負姫と蔑まれた。
やがて、彼女は牢獄の中で息絶えた。
勇者の死から三年が経った頃である。
暗い牢獄の中。
罪負姫は壁にもたれ掛かりながら、あの日のことを回顧する。
もう数えきれないほどに繰り返し、思い出したあの日のことを。
深い傷からベッドに横たわっていた勇者は隣に座る罪負姫に告げた。
「姫様。伝えなければならないことが二つあります」
「二つ?」
「一つは私は決して魔王に勝てないこと」
「そんなことはありません!」
「いいえ。戦った私が一番良く分かっているのです。私は魔王には勝てない」
「そんなこと……!」
姫の言葉に勇者は首を振り、二つ目の言葉を告げた。
「もう一つは私の正体についてです」
「正体? あなたは別世界に居た勇者様です。召喚した私が一番それを知っています」
「ええ。その通り。ですが、私が召喚されたのはこの世界と非常に近しい世界なのです。いえ、もっと言ってしまえば、この世界そのものなのです」
混乱する姫に勇者は静かに左手を見せた。
姫は驚き自らの右手に嵌めた指輪を見る。
それは予想に違わずに彼女の神器と全く同じものだった。
「これは私の世界のあなたから授かった指輪です」
「あなたの世界の?」
「はい。私はこの世界の並行世界から召喚されたのです」
並行世界と聞いて姫は驚く。
確かに自分は異世界から勇者を召喚し続けた。
こんなにも近い場所に勇者が居たなんて……。
しかし、それならば一つ疑問がある。
「では、この世界のあなたは一体どこに居るのでしょう?」
当然の疑問を姫があげた時に勇者は顔を曇らせて答えた。
「あの魔王です。何故かは分かりませんが、この世界の私はあの魔王となっているのです」
衝撃の告白の中に揺れる中、姫はさらなる残酷な言葉を聞かされる。
「私は魔王となった自分に勝てません。この世界の私はそれほどまでに強いのです。しかし、あの魔王と私は同一の存在。私が死ねばあの魔王もきっと死ぬことでしょう」
勇者は皮肉気に笑った。
理想は魔王を倒し事実上の相討ちになることだった。
しかし、自分は魔王となった自分自身に負けてしまったのだ。
「姫様。お願いがあります。どうか、私を殺してください。それだけがこの国を救う方法なのです」
呆然とした姫は思いつく限りの言葉を勇者に向けた。
そんなことは絶対に出来ない。
他に方法があるはずだ。
お願いだからそんなことはさせないでくれ。
しかし、勇者は首を振るばかりだった。
やがて、姫は覚悟を決めてナイフを握る。
「勇者様、教えてください。あなたの世界で私とあなたはどのような関係だったのでしょう?」
すると勇者は微笑んで答えた。
「私の主であると同時に友人でした。とても大切な。いえ、私はそれ以上を望んでいました」
辛うじて動く左手で姫の頬を撫でながら勇者はぽつりと言った。
「その気持ちを伝える前に、あなたは病気で死んでしまいましたけれど」
泣きながら姫は勇者の胸にナイフを突き立てる。
物言わなくなった勇者に姫は問う。
「死んだら、あなたに会えるでしょうか」
勇者の亡骸は何も答えなかった。
暗い牢獄の中、姫は自分自身の命が尽きることを感じていた。
先日、魔王の骸が見つかったと聞いた。
それを聞いて安堵した。
もう心残りは何もなかったのだ。
「死んだら、あなたに会えるでしょうか」
そして、いつものように言葉を自ら打ち消す。
「馬鹿みたい」
魔王を倒すためとは言え、多くの勇者を召喚し死なせた自分の下に偉大なる勇者である彼が来るはずもない。
二つの指輪を握り締めたまま罪負姫は静かにその生を終えた。
『お待ちしておりました』
どこかで聞こえた声で罪負姫が目覚めるのはほんの一瞬後のことだった。