アクロス ザ ニユバース 1
「食べず嫌い」と「食わず嫌い」がある。前者はそのままの意味でしかないのだが、後者は同様の意味と食以外での意味も持つのだそう。
昆虫食を食べられないのは、実際の味も知らずに「嫌い」だからではなく、ただでさえ触れないのに口へ入れるなど私には不可能だ、という彼女に向かって、君は食べず嫌いなだけだと思うよ、と昆虫食派のなかにだって一人二人はいそうな思慮深くない彼に言われてしまう可能性がなくはない者が前者で、いつかきれいな蝶のように儚く、それでいて優雅に飛ぶ姿でみんなを魅了したい、とは思うけれど、蛹は気持ち悪いし芋虫はもっと気持ち悪い、などと言う正直者の浅はかさに苦笑いするしかない彼から、物事には段階を踏まなければならいんだと思うし、実はその段階が一番充実する期間なんじゃないかな? やがて大成するバンドみたいに、と言われても、絶対に蛹や芋虫として過ごしたくない、と言い張る者が後者なのかもしれない。
・・・・・・前文と「食べず嫌い」はどうあれ「食わず嫌い」には言葉としての汎用性があり、時として的確に的を射る。もちろん書き手や発言者によるのだけれど。
もう何十年食べてはいないけれど、子供のころはいなごの佃煮を普通に食べていたので、今でも特に抵抗はないと思う。粉末になったコオロギ(本当に甲殻類アレルギーがあるのだろうか?)であれば尚更だ。でもしかし芋虫やタガメの類は躊躇する気がする、と言うか信じ得る治療法としてか飢餓にならなければ「食べず嫌い」の自覚を持ったまま拒むだろう。
あくまで一般的な食材(日常の食事において)に「食べず嫌い」はない。ただアレルギーの関係で甲殻類がややダメで、特にエビなのだが、出汁の一つとして使われていたり、すり身の中に混ざっているのを知らずに食べてしまうと、ぼくの場合はなぜか歯茎が「ウナウナ」し始める。吐くほどでは全くないのだが、他の食べ物にも箸が続かなくなる程度の気持ち悪さをしばらくやり過ごさなくてはならない。お酒も飲みたくなくなるので水かお茶にする。病院で調べたことはないけれど、エビには大概反応するのだ。
さて「食わず嫌い」だが、この数年でそれがいかに重大な損失を伴うリスクがあるのかを痛感した。昔からぼくには邦と洋に一つずつ「聴かず嫌い」のバンドがあり「BLANKEY JET CITY」と「The Smashing Pumpkins」だ。
ブランキーはこれまで何人もから、絶対好きだと思うよ、と勧められていたし、一人の奴は余りにしつこいので、顔に出してやったことがある。以来そいつは言わなくなったか、と言えばそうでもなく、しばらくしたら同じ熱量で、とにかく聴いてみろ、と始まるのだった。
ぼくがブランキーを聴きもしないで嫌いだったのは甘ったるい高音のヴォーカルを受け入れられなかったからだ。「ど・ロカビリー」な感じも好きではなく、曲によってはまさかのアラビアン風メロディーもよく理解できなかった。
ベースとドラムは確かにカッコいいと思っていたので、聴かなかった、と言うよりはちゃんと聴く気がなかったのだ。でもおそらく最も大きな要因は「THEE MICHELLE GUN ELEPHANT」にあった。このバンドだけ聴いていれば、他は必要ないと思ってしまっていたのだ。
日本の現代史は明治維新だけ学べばいい、と言っていた著名人がいたけれど、そのようなマイナスでしかない偏見に自信と信念まで持ち、そしてやはりミッシェルが特別に好きだった。
ぼくの「バンド番付表」には、周りのバンド好きのそれとは違い東の横綱しかいなかった。人の話に耳を貸すことなく、一人横綱が長らく続いた・・・・・・アベフトシが死んでしまうと、邦楽バンドは全く聴かなくなり(それは後のチバユウスケの時とは真逆だったのだが)再び聴くようになったのは・・・・・・いや、喪失感から脱し邦楽バンドを聴けるようになったのだが、再開したのは「rosso」だったので、ブランキーに限らず他の偉大な邦楽バンドへの「聴かず嫌い」はまだまだ続いた。「bloodthirsty buthers」も「NUMBER GIRL」もぼくは聴いたことがなかった・・・・・・週末の夜にお酒を飲みぐだぐだユーチューブを観るのは楽しい時間だ。休日の昼間に素面でぐだぐだ観てしまうときの背徳感みたいなものはない。
マジか! みんなが言っていたように横綱はもう一人いたんだ、と愕然としたのはこの三年ほど前のこと。もちろんブランキーはとっくに解散していた。むしろミッシェルよりも早く。
「悪い人たち」という曲があるとないとではブランキージェットシティーというバンドとしての価値が4割は違っただろう、というような衝撃的なコメントを語る音楽系ユーチューバーがいた。
また偶然ではないのだろうけれど、画面の右に紹介される「おすすめ」にここ最近「悪い人たち」がウロチョロしていた。ロシアのウクライナ侵攻後のことだ。たぶん心を痛めたロック好きの人たちが、この曲を思い出し一斉に聴きだしたことで、ぼくのパソコンの「おすすめ」にも現れたのだと思う。
ぼくは「嫌い」だけどあれだけ評価されているバンドの価値の4割を左右する一曲だというのならば、さすがに聴いてみないわけにはいかなかった・・・・・・そんなわけで長年考えてきた(ぼくなりの)邦楽ナンバー1ロックソングが確定したのだった。
それからはブランキーを積極的に聴くようになったし「聴かず嫌い」がどれほどの損失をもたらすかが身に染みた。
可能だったのに、解散しているから生のライブを観ることは出来ない。もしもタイムマシーンに乗れるのなら、村上春樹の「象の消滅」を丸パクリしてみたい、と思ったことがあったけれど、彼らのライブも体験してみたいものだ。