蠟人形 2
ナビを頼りにやってくると、入庫待ちの車列が出来ていてしばらく待った。満車というよりは歩行者が途切れるのを待っている、そんな列の進み具合だったので、先の見える順番待ち状態だと思っていた・・・・・・それにしても、出入り口で歩行者と車を捌く案内係りの若い男には驚いた。むしろ生きた人間の、ある種の恐ろしさみたいなものを感じた。
マーチングパレードの先頭でステッキをくるくる回す人のような、立派な制服と制帽姿で、それは他にいる二人の案内係りも同じ。
壁に設置された小型スピーカーと無線で繋がる声の主は「リーダー(と呼ぶことにする)」のもので「お気をつけてお通りください」を永遠に呼び掛けていた。ときどき「車が入ります(あるいは車が出ます)。お待ちください」と言う。「お気をつけて云々」を繰り返す声量もアクセントも、そしてタイミングもほぼ変わらず、冗談抜きで初めはテープか何かの音源をリピートしているのかと思った。またリピートしているのは呼び掛けだけでもなく、身体の動きだってそうなのだ。誇らしげなドラムメジーの如く背筋を伸ばし、胸の前で右肘をやや斜め下に構え、掌は上を向き五本の指に隙間はなかった。そのような姿勢で、途切れない歩行者へ呼び掛けつつ、腰から上を、それはまさに頭の天辺まできっちり固定して、滑らかにゆっくり左右へ捻っている。声はテープを疑ったけれど、狂いのない動きに、まさかロボットではないのか? とは思わなかったが、全くパントマイムだな、とは思ったけれど。
順番が近づくと「リーダー」の表情も分かるようになり凍り付いた。
呼び掛けと、上半身の動きを繰り返すその微笑みは、もう微笑みではなく、微笑みから一番遠いい微笑み風の完全無表情だ。仕事や恋愛に落ち込むOLが、自らを励ますかのような角度にまでぎゅっと口角を持ち上げ、細くした目元は「無」を見つめていて、歩行者の影すら見ていない。歩行者が途切れるタイミングを逃さないでいられるのは目視ではなく、幼き頃から備える霊感か、実は右の掌に乗っている、見えない水晶のお告げだろう。
生身の人間がここまで蝋人形に似せられるのか? と驚く。声も動きも、心理ホラー的な無表情となら逆に違和感ない。彼をサポートしている、と言うか何もせず立っている他の二人は、誰がどう見ても「何もしていない生身の人間」だった。
ぼくの順番が来ると一転、リーダーは「蝋人形の館」に預けていた魂を取り寄せ、表情を持った。
「いま搬入車は一杯だからそこら辺を廻ってきて」
百貨店への搬入時に荷捌き所が満車の場合、入り口前の車道やスロープで待機出来ない所はそこら辺をぐるっと一周させられてしまう。携帯の電話番号を教え、空いたら連絡をくれる所もあるけれどここは違った。
ぼくは初めて来たことを伝え、どこら辺まで行って戻ってくればいいのか聞いてみたけれど、表情を持ったリーダーは、顔をしかめ、そこら辺だよ、と言ったのだ。まぁ、確かにそれはそうだ。そんなことを聞いてしまったこっちが悪い。でも言い方には少なからずマウント感があった。世の膨大な数の「大人の男」が他者へ持とうとするあの感じ。
そんなわけでそこら辺をぐるり廻っているとき、蝋人形野郎め、と罵った。順番が来たら入れると思っていたのに、入れなかったことへの八つ当たりもなくはなかったけれど、突然、純粋なヒューマンになったあのしかめっ面と言い方に対する感情の処理が、直ぐには出来なかったのだ。
戻ってくると、まだ空かないから廻ってきて、と言われた。今度は小ばかにするような一瞬はなかったけれど、いいか? 俺は仕事中に魂を抱えていると、仕事にならないんだよ、分かったらさっさと廻ってきてくれ、と言われた・・・・・・と過大でもないような気がしないではない妄想をしながら再びそこら辺を廻っているとき、ふと気が付いた。リーダーの左手の薬指にはリングがあったぞ。
当然だけれど、駐車場の案内係りという職種がどうこういう話ではなく、誰だって、どんな奴だろうと、一日中あんな心理ホラーな顔をしていたくなんかないし、地元民の間では有名な蝋人形になんかなりたくない(有名かどうかはもちろん知らないけれど、彼の仕事姿を口にする地元民は少なくないだろう。たとえば小学生とか女子中高生など)。
リーダーは間違いなく自分の家族の為に働いている。自分の為にではない。でも家族の為に働く「自分の為」にはあのような蝋人形となる必要があったのだ。
職場の誰よりまじめに働かなければ、自身の感情と折り合いがつかなくなってしまう。そう考えた彼は、案内係りはどうあるべきか? を少しずつ突き詰めていき、初めは当然だが、羞恥心をごく当たり前のように持っていたので、最初の壁こそが最大の壁だった。でも彼は知っていた・・・・・・高校の文化祭で、クラスのみんなの為だと意を決した行動だったが、散々に笑われ泣いてしまったあの子を慰めなければ、いつか必ず後悔すると分かっていた。でも教室の隅で嘲笑しただけの17歳の自分に今でも失望しているのだから・・・・・・転職したとき胸に抱いた志よりもずっと高いこの壁の向こう側に行かなければ、案内係りとしての誇りを持てることはない。
誰もが言う同じ台詞を繰り返し、誰も真似出来ない滑らかな動きを繰り返えせるようになったいま、えっ、ロボット? と振り返る通行人や買い物客や搬入業者などの人の目を気にしていたことが懐かしい。あのころはまだ、意図的な魂の放出の仕方を心得てはいなかった・・・・・・以前までの俺は、娘に「そんなこと気にしないで、自分がしたい遊びを一緒にしたい人と、あるいは一人ぼっちでもかまわない。誰かに意地悪するものでなければ、好きなように遊べばいいんだよ」と言っていた自分を、この大ウソつきと思っていたが、今はそうじゃない。俺は自分が正しいと思う「案内係スキル」を、高い壁の向こう側で身につけたのだ。ただ大きな代償を払ってだが・・・・・・そう俺は、常に過剰なくらい口角を持ち上げているから、本当に面白いことがあっても、もううまく笑うことが出来なくなってしまった。ぎこちない角度の口角で奇声みたいな声を上げ、目が真剣に死んじまう。
「パパの笑った顔怖いからもう笑わないで」と、動物バラエティー番組でゴールデンレトリバーのやらかし特集を一緒に見ていた娘が膝の上から去っていき、台所にいた後ろ姿の母親の脚に抱き付いた。
「・・・・・・でもママは、パパが本当に心から笑っているときが大好きよ。ちょっとくらい怖くてもママは好き」
「お待たせ。悪かったね、ご苦労さん」二周してきたぼくは、ようやく案内されただけなのに、次の配達先までずっと彼と彼の家族の物語は続くのだった。
来月も25日に投稿を予定しています。