蠟人形 1
数えるのが怖いくらい転職を繰り返してきたなかで、大ウソをついて逃げ出した職場がある。それ以外はケンカしたり、ぬるま湯に浸かったままでいるのはよくないよな、と感じたり、もめ事の責任を取る的な言い訳で去ってきた。まだ若いから働く場所はいくらでもある、とタカをくくっていたのだ。
10代は瞬く間に過ぎるものだけれど、歳を取るにつけ「瞬く間」は加速していたし、それは更に加速している。困ったもんだ。
逃げ出したのは学校給食の食材を扱う小さな職場だ。仕事は魚の切り身を成形するカット職兼配達。住宅地に建つ古い建物の職場はほんのり潮の香がした。
男連中が七人で、カット職は三人。硬い冷凍の(半身の)魚を毎日3000枚近くカットし続けた結果、包丁を握る右手の小指は、いわゆるバネ指となり、たとえば買い物をしたときや、自動販売機のお釣りを釣銭口から取るときなどは、今でも不自由に感じる。右手が丸く握れないのだ。
「飲みに行くと、グラスを持つ小指が立つから、そうなのか? って疑われるぞ」就職した当初は笑ってしまったのだが、いざ働き始めると、仕事の辛さや、同僚の意地悪、落語の様な寝返り方、または誤解などで結構追い込まれて行き、職場の潤滑油となるターゲットの自覚を持ったまま、時にはブチギレてやりもしたけれど、もう限界だった。
朝の四時半から動き出すその職場に就いたのは、ちょうど息子が小学校に入学する年の三月だったので、少なくとも彼が卒業するまではがんばろう、と決めていたのだったが、四年で逃げ出してしまった。それなりのお給料だったのに、妻子持ちのぼくは大ウソをついて辞めたのだ。
「女房とお店を出せる目処が立ったので、場所探しなどから準備を始めたいんです・・・・・・」云々。
年配の「小田」がいないところでは小田の悪口を散々言い小田がいるときはぼくを攻撃してくる連中。後から転職してきた年下にキレられ、おそらく小田に焚きつけられたのだと思うけれど、年下は身体が大きかったし、包丁もぼくより遥かに上手だったしで、萎縮したつもりはないけれどやり返せなかった。誤解が解けると「あぁ、分かった」とだけ言われたときの口惜しさと情けなさは今でも人に話せない。もっともっと色々なことがあったけれど、とにかく奴らのように、誰かがそこにいないとき、その誰かの悪口を一緒になって言うのだけはしないようにしていた。こんな連中と同じ大人ではいたくなかったからだ。同じになってしまったら、幼い息子の何を叱れるだろう? とそれを支えにした。でも息子が不安と緊張だけで入学した小学校を卒業するずっと前に嘘をついて逃げ出してしまい無職になったのだった・・・・・・。
さて、包材を専門に扱う今の職場にドライバーとして転職した当初、ぼくは小田急線の駅がある郊外の百貨店にも荷物を届けていた。
どこの職場でも何かしらはある。雇う側だろうが雇われる側だろうが、立場が違うだけで、同じ事象に対して双方から、真反対の憤りを抱え合う。しかし、地獄の平地はおそらく地獄の底とは違うはずで、そこが平地であるか底であるのかは、他所で「底」にいた経験によるのだと思う。
自称だけれど、ぬる湯も沸き散らす湯釜の「底」も経験してきた身として、また研修も終わり「ひとり立ち」したことで、どこか呑気に日々を過ごし始めていたわけだが、そこへ初めて行ったときの駐車場の案内係りは衝撃だった。
歩道を跨いだ駐車場の出入り口は荷物の搬入車も車の買物客も同じ所から出入りするので、案内係りは客を優先した。買い物客以上に優先されるのは(出入り口の前の)歩道を往来する人々だ。