三つの、四つ葉 1
これも遠く古い記憶の一つだ。幼稚園の卒園式が明日に迫っていた日、ぼくのクラスは最後に四つ葉のクローバー探しをした。親が迎えに来る、または送迎バスが発車する前の僅かな時間だったが、みんなで園舎の裏へ行き、辺り一面三つ葉で可愛い雑草のなかに「幸運」を探した。
前日に四つ葉を探し当てた女の子がいて、話を聞いた先生は考えたのだ。これから巣立ちする子供たちに、自らの手で「幸運」を探してもらうと。
初めこそみんな真剣になって探していたけれど、なかなか見つけられずにいると何人かが飽きてしまい、表の園庭へ逃走した。誰もいないので、日常的な揉め事など発生せず砂場や遊具が使い放題だ。
園内とはいえ、園舎を挟んで目を離すのはさすがに不味いだろう。先生は「みんなはここにいなさい」と言い残し表へ行った。
束の間自由を手に入れた子供たちが連れ戻されるまでに、四つ葉のクローバーを発見する者が数人現れ見つけた子は得意になった。そんな彼らは自分だけの「幸運」に満足すると新たな脱走劇を始め、と同時にどこをどう探したって見つけられない沢山の子供たちも、なんとなく黙ったまま同じ葉の数の雑草と向き合っているより、他のクラスの子たちのいない園庭で騒がしく遊ぶ方が遥かに魅力的だぞと今更気付いてしまった。
そんなわけで卒園を明日に控えた子供たちは数分前に穿った蟻の一穴から濁流の如く流れ出し、先生の制止を振り切り続々と駆けだした。逃走そのものを楽しんでいる者もいた。
舌を鳴らして半笑で追いかける先生がしばらくして再び戻って来ると言った。
「もうみんな教室にいるから、あなたたちも戻りなさい」
小さい最初の世界から巣立つぼくたちに良かれとした「企画」は散々な結果になってしまったわけだ。
最後まで園舎裏に残っていたのは五人。見つけられていないのはぼくともう一人いた。先生が呼びに来てもすぐには腰を上げず探し続けたのはぼくと前日に四つ葉のクローバーを発見した女の子だった。その子は今日も一本見つけていた。
三人が先生の脇を走り抜けていき、ゲラゲラ笑う子供たちをまたしても追いかける先生のしかる声にぼくも笑った。
「これあげる」隣で探していた女の子が突然に言って掌を開いた。ぼくの掌と大きさの違わないそこに、今日見つけた四つ葉があった。
「いらない」ぼくは彼女の掌を見て答えた。顏は見なかった。
断ったのは単に驚いたからだ。自分が見つけた「幸運」を誰かにあげる、という行為が、まだぼくには理解できなかったのだ。非物理的な「モノ」の譲渡を理解していなかったのではなくて、自分の「利益」を自ら手放し、しかもそれを誰かに譲る、という自己犠牲の親戚的な「徳業」の概念がなかったのだ。自分では絶対にしないだろうから。
開いたままの掌から彼女も驚いているのが分かった。断られてショックだったのかもしれない。
ぼくはまた探し出した。すると彼女も探し始めた。三再び先生が戻って来ると、さすがに声を強く言った。
「もう終わり」
女の子が立ち上がったとき「君のを見つけてあげられなくてごめんね」と言った。
ぼくは彼女の顔も名前も覚えていない。もしあのとき彼女の顔を見てあの四つ葉を受け取っていれば、今でも顔と名前を憶えていられたような気がする。
奥さんと付き合い始めた当初、代々木公園で四つ葉のクローバー探しをしたことがある。ぼくは全く見つけられなかったのに、奥さんは次々と見つけた。それは驚異的なペースで、笑ってしまうほどだった。
「道が見えるんだよ」と自分でも笑い、すぐにまた見つける。
「道?」
「なんか集中すると見えてくるんだよね。で、その道を辿って行くと四つ葉に行く着くんだよ。そうとしか言えないんだけど」
秘密や悩みを共有する二人の妖精を左肩に乗せていた幼少のころからそうだったらしい。
いずれにしろ、ボールが止まって見える、という打者の感覚を自然のこととして理解しているそうだ。
その日の帰り、原宿駅へ向かっているときぼくはスクーターのカギを落としていることに気が付いた。辺りは暗くなっていて、園内の街灯は灯り始めていた。
朝から渋谷を流して代々木公園へ行き一日中遊んでいたので、どこで落としたのか検討も付かない。だからぼくは早々に諦め、今後は家のスペアキーで乗るしかない、と思った。地元の阿佐谷駅に戻り、家まで歩いてスペアキーを取りに行き、また歩いて駅に戻るのはとてつもなく面倒だが仕方ない。
「大丈夫よ。私が探してあげる」奥さんは頷いた。
「いや、無理だろ。今日は方々歩いたし、もう結構暗いから」
「クローバーを探した所よ。そんな気がするから、そこだけでも探そうよ」
「道が見えるかな?」
「ってか、見えてる」
自分の影も地面に消えた暗がり一帯を、何の明かりもなく(左肩にいる二人の妖精のヘッドライト以外には)10分ほど四つになって探した末、本当に見つけ出してくれたのだ。
後年、今度はカギを付けたまま駅前に置いてしまっていたスクーターそのものが盗難にあったのだが、またしても奥さんが発見してくれたのだった。
自分の失態を悔やみ家まで歩いて帰ってしばらくすると電話がかかって来て、カギはついてないけどガード下で見つけたから、直ぐに来て、と言われ、スペアキーを持って駆けつけると、ぼくのスクーターに奥さんは座っていた。
「さっきまで、ずっとこっちを見ていた男の子がいたから、たぶんその子だったんじゃないかな」奥さんは涼し気に言う。
「・・・・・・」この人は一体? と思わずにいられなかった。
そんな奥さんは、ここにきてよく物を失くすようになってしまい、メガネやスマホはしょっちゅうだ。でも大概は家の中での紛失に過ぎないから、時にはメガネの発見に数日かかることもあるけれど(メガネの予備は三本ある)、スマホは鳴らせばすぐに見つかる。まず出てこないのは髪留めだ。かつて二人の妖精と共に「道」を辿れた奥さんは、亜種のアリエッティがいる、と言い張る。




