すっからかん感 2
枝が伸びたら切り落とせ、が小説を書く上での基本なのかもしれないけれど、どうにも切りがたい枝ならば、バランスを保つために敢えて反対側にも枝を伸ばしちまえ、とする考えもあるらしく、ぼくはそのようにしたし、これまでもして来た。そんなわけで終ってみればヴォリュームはおよそ3倍になっていた。もちろん文字数が作品の価値に影響するとは思わない。30万文字よりも17文字の作品の方が遥かに優れている場合は腐るほどある。ただそれでも「熱量」は、あるいは「無駄な熱量」は遥かに放り込まれているはずで、それは誰も読まない、誰にも読まれることのないド素人小説において、おそらくは最も必要な要素だ。
長くても短くても、長くはないけれど短くもないどんな作品であれ一旦書き終えれば、翌日には頭から読み直して添削を始め、いずれにしろその作業にはキリがなくなるのでどこかの時点で終えて「寝かせる」。そしてしばらく経ってもう一度全てを読み返し、もちろん再びの添削作業にもキリがないので「完成」と「妥協」が混じるまま「書き終える」のだけれど、今回はさすがにヴォリュームが厚すぎたので、なんとなく引っかかっているいくつかの場面にだけ手を入れ「2」は今も「寝かせて」いる。そのうち「起こす」ことになるはずだ。
それにしても今回は物語の終わりまでたどり着けた故の「喪失感」も、試してみて得られた「達成感」も思っていたよりずっと少なくて、どうあれ終われた「安堵感」と、予想していたよりずっと大きな「せいせい感」があった。でも一番に感じたのは「すっからかん感」だった。
これまで空の上や身体の中に備蓄していたモノを出し尽くしたような気がした。俺にはもう書くモノ、書くべきモノはなくなった、と感じるのだった。そのことに対しての喪失感みたいな感情は確かにあった。そしてまた小説を書き続けていたこれまでへの「寂しさ」とこれからの「つまらなさ」があった。とても大きくあった・・・・・・そんな折に、ならエッセイでも書いてみるか、と思いついた。的確な比喩である自信はないけれど、自分なりに持てる力を使い果たした素人の将棋好きが、そんならここらで一度「はさみ将棋」でもさしてみるか、と思いついたような感じだ。そしてそれは結構ワクワクするのだった・・・・・・。
月に一度のアップを十二回続ける。そう決めたのだったが、思えば「長い話」を書き始めるときに感じる「不安」は全くなかった。大晦日のように・・・・・・と言うことは、性格や暮らし方云々ではなく、単に長い話を書くぞ、という自覚している以上のプレッシャーが、今日から過ぎていく日々へ不必要な不安を煽っていただけだったのかもしれない。そんな初めての気づきもエッセイを書いてみたから思えたことだ。
ぼくは小説(詩も含めて)と音楽(作詞、作曲)以外での創作活動をしたことはないので「全て」の創作活動とは言えないのだけれど、きっとどんなジャンルでも「0」から「1」を創る過程が一番の高カロリーじゃないのかな、と思う。つまりなんであれ創作する人たちにとって最初の壁こそが最大の壁であり、最も乗り越えなければならない壁である気がする。だって彼らは「無」から「有」を生むのだから。何もない帽子からハトが飛び出すのは「無」から「有」ではない。どのようにすれば「何もない帽子」から「ハト」を飛び出させるだろう? と考えて「タネ」を思いつくのが「無」から「有」だ。
それを鑑みるとエッセイを書く行為はこれまでの創作とは少し違った。ぼくの場合は、ということだけれど。だってよろしいでしょうか? 少なくともぼくがエッセイとして書こうとした話は、これまでの人生で起きたこと、出会った人、忘れ難い思い出などだから「0」ではなく「1」から始められ、しかも話の「筋」は変えようがない、と言う了解で書く。だから突然伸びてしまった枝は、実は元々伸びていたのに「思い出さなかった」だけ。全体のバランス云々と言うのならば、確かにそうなのかもしれないけれど、書き足さず、または伐採するとしたらそれは反って「歪」な姿となろう。少なくとも書き手にとっては・・・・・・。
もちろん全てを忠実に書かなくてもいいと思うし、そのようにした。リンゴの木をクリの木に変えはしたけれど、氷柱にはしない。乗りつけた車のハンドルを右から左にしても、馬やまさかのヤックルにはしない。
何かの色も、実際より濃くしたり、薄くしたり、記憶の中にある色を出来る限り忠実に伝え得る比喩を考えるべき場合もあった。ぼくの技量で可能だったのかは別だけれど・・・・・・。
そんなこんなで初めてエッセイを書いてみると、経験したことの追体験だったので「小説」のような「完全なる白紙」だったり「ほぼほぼ白紙」から始めるわけではなく、すでに一番苦労するだろう描線は描かれていた。後は意味を違えぬよう留意し「色」を塗るだけだ。だから初めてのエッセイは、本当にまるで塗り絵のようだった。
ぼくは文字を使って色を塗りながら完全に忘れていた人物と再会し、真実はもう知りようがないけれど新たな解釈を見つけて自分なりに納得し、時には目から鱗が落ちもした。一方で謎は謎のまま、人生に関係することもなく再び忘れてしまうだろう・・・・・・。
この界隈でド底辺にいるだけのぼくであっても、どこの誰であるかをよく知っている人たちはいるので(身内だったり友達だ)もちろん書けない話もあるけれど、書いてみたいこともまだある。いつかそれらを書くときがきたら、忘れていない記憶や、忘れていた記憶、そして最近あった実際の出来事に自分がどんな色を塗るのかワクワクする。
来月も25日に投稿します。最終回となります。




