栗林の森 1
自転車で10分程度の所に「栗林の森」という場所があった。ただの屋敷森(栗林さん宅)に過ぎないのだが、夏になるとカブトムシやクワガタムシが溢れかえっている、という噂がぼくの耳にも届いた。小学一年生のときだ。
当時住んでいた家の近所には「しんちゃん、けんちゃん」兄弟がいて、ぼくら兄弟とはそれぞれ一学年ずつ違う。しんちゃん、兄貴、けんちゃん、ぼくの順だ。そしてしんちゃんの一つ上には「とっちくん」という近所のボスがいた。誰が広めたのか分からない信じがたい噂を真に受けたぼくらは夏休みに入ったある日、五人で栗林の森に初めて出かけた。
栗林邸は小学校の正門よりもよほど高くて広い重厚な木製の門に閉じられていて、とっちくんにいくら勇気があっても、またはとっちくんに誰が命令されたところで、物理的に入ることは不可能だった。
隣接する家のない道路に沿った場所は誰かのイデオロギーや刑務所なんかよりは低いだろうけれど、たとえば鶴が夜な夜な機を織っている秘密を守るためのものであれば十分な高い塀に囲まれていた。何本もある大きな木の枝が下界の路面を枝影で暗くして気温まで下げている。
ぼくらは「一帯」を廻ってみてここしかない、という侵入口を見つけた。屋敷と隣接する砂利敷きの駐車場の端っこだ。そこにはシトロエンが停まっていた。アメ車好きのぼくは白鳥のようなフレンチ・カーを小バカにしたもんだ・・・・・・どうあれ夏休みの子供たちの不審な行動は諸々の駐車車両の陰に隠れるし、何と言っても道路沿いではない。ただやはり塀は高かった。
まだ一年生だったはずの俺が、よくあんな高いところに登れたよな、と配達しながら記憶を辿っていたらはっきり思い出した。けんちゃんと駐車場の隅で見張りをしていたのだ。
とっちくん以下二人は自転車の荷台からよじ登った。三匹の子ザルは大きな木の幹に触りながら塀の上を行ったり来たりウロチョロしていて、誰も敷地の中へ飛び降りはしなかった。
結局、成果と言えばコガネムが三匹だけ。さすがに失望した。コガネムシやカナブンなど家の網戸にくっついていることも珍しくない。
カブトムシもクワガタムシも、すでにペットショップかデパートの屋上で買う虫だった。つまりラジヲ体操に行くから、プールを休まないから、などと後先を考えない口約束の交渉を親としなければ得られない類の夏の虫。それが杉並区内のそこら辺の住宅地で捕れる訳もなく、溢れかえっている訳などない。でもあり得ない話であればあるほど、親に笑われた噂の信ぴょう性など関係なく、むしろ笑った親に対して腹を立てるくらい豊かな想像と期待が瓦解したとき、ぼくらは信じた自分を自虐的に笑えるユーモアを持っていなかった。
もしかしたらだけれど、散々な成果にとっちくんは責任を感じていたかもしれない。あるいは、ぼくらはとっちくんに責任を被せたのかもしれない。その年の夏、「栗林の森」以降とっちくんとだけ遊んだ記憶がない。ぼくらは四人で過ごしたのだった。




