ごみくん 8
「あっ、いいですか?」声を掛けた。一本買うつもりだったのだ。
ごみくんははっ、と振り向き、目を合わせず場所を空けた。ぼくのことなど覚えていなかったろう・・・・・・彼の記憶の中には存在しないのだ。おそらく彼が覚えている「はなや」のちびっこはたもつくんだけだと思う。嫌いだった子だけしか覚えているのではなく、毎日顔を合わせてもしゃべった子がいないからだ。当てる「コツ」を誰にも語らなかったのは、誰も「聞かなかった」からなのもしれない。聞いちゃいけない雰囲気はなかったはずだが(ぼくは一度だけ次の当りを予想してもらって、実際当たったの)、それでも話しかける子はいなかった・・・・・・ぼくは甘いソーダを選びルーレットが回り外れた。いつだって残念な気持ちを持ちようもない結果だ。
ジュースを取り出して会釈し場所を空けると、ぼくが止めた赤い光に、無表情で近づきいつもと同じルーティンをした。裸で握る100円玉は結構あり、下のジュースも含めてこの人は幾ら用意してきたのだろうと呆れた・・・・・・どこから、どのようにして持ってきたのかは想像しなかった。「はなや」のコインは袋に入れるくらい自分で増やしたろうが、このルーレットで100円玉は増えない。飲むつもりのないジュースだけが増えるだけだ。
彼は外し、そしてその次を当てた。ぼくは遠ざかった場所で当りを告げる電子音のファンファーレを耳にした。振り返ると水が足りない新芽のように萎れる猫背のまま、白い光の光源なの中にいて、たぶん一生、何かしらの光源の中から「出て来れない」気がした。
「当てたり」「勝ったり」することよりも、手持ちの金を「使い切る」ことに刺激を感じ、満足を得て納得する。見せかけの充足感か安心感であるのは分かっている。自分の現状を理解しながら、でもそうしないわけにはいかない。
当時はまだ「ギャンブル依存症」という言葉は一般的なものではなかったが、世間に言葉がなかっただけで、症状持ちはずっとずっと昔から存在していたはず。背が伸びたかつての物静かな英雄の猫背に惨めさを感じたのは、彼がまだ12~3歳だったからだ。
取り壊しが決まっていた第一ファベーラの住民が順次立ち退き始めているのを知ったのはぼくが中学2年生の時だった。母親が風呂屋で話を聞いてきたのだ。クラスの違う第一ファベーラの同級生はいつのまにか転校していた。彼もまたどこにいても目立たないタイプだったので、転校した噂の一つも聞かなかった。担任以外の誰かと別れの挨拶を交わしただろうか?
ごみくんの噂は中学に入学してから一度も耳にしなかった。ぼくはサッカー部に入ったので、初めは理不尽な怖い思いもしたけれど、そのうちギャーギャー煩い派手な先輩たちとも、そこそこの関係になったので彼らの学年の噂話や最近の話題などを直接に聞いていた。でもごみくんはどんな話にも、陰湿で卑怯な笑い話にも登場しなかった。ちなみにたもつくんも同じ中学の三年生だった(もちろんぼくの兄貴も)。でも「はなや」のときよりオラオラしていなかった。彼らの学年には蒲田くんと言うかなりヤバイのが一人いたのだ。
・・・・・・ごみくんを思い出したのは「三度ある」と書いたが、もう一つのごみくんには何の思い出もない。総合格闘家の「五味義則」を初めて知ったとき、この選手は「後見くん」とは違う字なんだな、とたぶん一瞬だけそのことを思ったに過ぎないのだから。
再びの「日本人」としてラスベガスを(緩く呑気に)目指し、今日もアイコスを吸いながらスロットやらに興じているのだとしたら、彼は人生を幸せに感じているかもしれない。
来月も25日を予定しています。




