ごみくん 4
菓子売り場とベニヤ板一枚を隔てた右側にはゲームコーナーがあった。店の中から行き来は出来ない。一旦外に出て回るのだ。ただおばさんだけは定位置に座ったままカーテンを開けて顔を出せる。ゲーム機を叩いたり、何かしらで騒ぎが過ぎるとおばさんはカーテンを開けて注意した。
どれくらいの広さだったのかよく覚えてはいないのだが、あって三畳くらいだったと思う。
覚えているゲーム機は二つだ。一つはゲームコーナーに入って直ぐのやつで、パチンコ台よりも大きな盤面の上の方にコインを入れ、どこについていたのか忘れているけれど、とにかくどこかにあったレバーを使って下まで運び、ゴールとなるポケットに入れれば何枚かのコインが吐き出された。十円玉を直接入れてはいなかった気がするのだが、どうだろう。ちなみにコインの両替は十円で二枚。
もう一つのゲーム機は電子ルーレットの「ピカデリーサーカス」だ。試しに、最近ググってみたところ、いくつかのアカウントで紹介されていた。不明だった箇所もよく分かった。
縦型のゲーム機で、盤面にルーレットがあり数字を表記する枠には2から始まる偶数が10まであり、あとは0と30。枠の色はもちろん赤と黒。それぞれの枠の外側にある丸抜きを、丸い光がグルグル回り続け止まった所にある数字が配当数だ。盤の下には2から10、そして30の楕円のベットボタンがあって、一つに4枚まで賭けられる。つまり2×1から最大は30×4ってことだ。ぼくらはピカデリーサーカスに熱中した。
ごみくんを知ったのも「はなや」のピカデリーサーカスだった。彼は誰よりも勝ちまくり、一番度胸があった。雨の日のプラモデル売り場より薄暗い男の子だったけれど、当時のちびっ子たちが熱狂して群がったルーレットの前では孤独で物静かな英雄だった。
「はなや」は学区内の際に位置した。そういう関係で隣の小学校に在籍する、ぼくらと同じような「際」に住む子供たちも遊びに来ていたので名前を知らないキッズが沢山いた。
一学年違うごみくんの名前を認識したのはたぶんだけれど、第一ファベーラに住む同級生から教えてもらったのだと思う。とは言え、その同級生は「はなや」に来ていなかったはずだから、お風呂屋で三人が居合わせたときに教えてもらったのだろう。彼らもぼくも風呂なしだったのだ。
第一ファベーラは、ぼくが引っ越したアパートよりも規模が大きく、また棟の劣化具合は激しかった。
二階建ての棟は上下で16部屋あり、同じ敷地に3棟建っていた。痛んだ外壁と地面の色はほぼ同色で、二階へ上がる外階段のいくつかは腐食が進み使用禁止になっていて、危険な鉄のオブジェ状態。夏には半裸の大人が多発する。そういう大人の男は大概前歯が欠けていた。女はランニングシャツ一枚で乳房が下に伸びていた。ぼくの暮らす第二ファベーラ(上下4部屋の棟と、もう一つあった棟は下に大家さん一家が暮らし、二階は二部屋だった)より勝っている箇所があるとしたら、色の強い小さな女の下着が無警戒のまま部屋の前に干されていたことだろう。
「あの人、はなやによくいるんだよ」
「あっ、ごみくんね。ぼくと同じアパートにいる、一学年上の人だよ」
「そうなんだ。でもちょっと変わった名前だね」
「弟もいるよ。ぼくたちより三つ下の子」
実はぼくの名字もいささか変わっているので、ごみくんのことを「ゴミくん」と呼ぶことはしなかった。それは今もだし、これからもだ・・・・・・。
ピカデリーサーカスはゲームコーナーの一番奥にあり、台の正面には丸椅子が一脚あった。天井には裸電球が灯っている。
店に来る子供たちは始めに自分の好きな駄菓子か、昨日の勝因だったと思い込むゲン担ぎの駄菓子を口にする。普段は買わないのに買ってみたら、昨日のピカデリーサーカスで「10」を当てたぞ、等の経験があると割と本気で今日も口にした。
ぼくは大概80円くらいを駄菓子に使い、残りをコインに両替したので元手は4枚。
いつ行っても熱を帯びている隣のカジノからちびっ子たちの歓声は上がり、絶対に誰も叩いてはいけないけれど、たまにぶっ叩かれてしまう台。コインをジャラジャラ吐き出すときのゴージャスな低い声で咳き込む音が漏れてくれば、釣銭を貰うのも、あるいは釣銭だけもらったまま駆けつけたりしたものだ。




