ごみくん 2
二人は38階にある西の角部屋へ移動した。東の角部屋はオーナーの別宅兼オフィスだった。もちろんどちらもスイートルームで、他のスイートルームよりさらにゴージャスな間取りと装飾が成されていた。
西の角部屋を使用できるのはオーナーの兄弟か息子夫婦しかいなかった。VIP中のVIPであろうと使わせたことはこれまで一度もなかった。たとえ大統領であっても、彼はそう決めている。
部屋には彼らの他にカード切り役の若い女のパートタイマーと、オーナーよりも歳を取る特別秘書の四人だけだった。屈強なボディーガードは部屋の前に立たせた。また秘書には計算係りも勤めさせた。彼は数字にとても強いのだ。
勝負にチィップは不必要だ。口頭でドルを掛け合うのだ。
白井は子供のころ「ババぬき」よりも早くにポーカーを覚えた、と笑った。「ババヌキ?」スミスは両肩を上げて若い女のパートタイマーを見た。若い女は「知らないゲームです」と言った。
・・・・・・互いに勝ったり負けたりを繰り返し、当然のように熱くなりレートは上がっていった。
白井は下戸でオーナーは、白井の噂を耳にしてから、いつ訪れてもいいよう酒を断っていた。
勝てば一発で大勝し、負ければ大負けする。二人の勝ち負けを計算する老人は呆れ返えって何度も溜息をついた。いくら負けています、いくら勝っています、二人に現状を聞かれれば直ぐに返答したが、それらの額はもうお金ではなくなっていて、ただの大きな数字でしかなく思え、あるいは単純な記号みたいだとも感じた。熱くなり賭けている二人には実際そうでしかなかったのかもしれない。
一度に100万ドルの穴を開けてしまう二人の「会話」は、一応成立しているらしいが誰一人実感はなかった。カードを切るチェコ人の若い女の時給は15ドルだ。今夜は特別なボーナスを約束されてはいたのだが。
神様からサイコロを取り上げた勝負が始まり二時間ほど経ち、白井は直前の勝負で負けると、今夜の損失は2000万ドルに達した。この一週間の全てを吐き出してしまったのだった。
自身の内なる熱で耳がただれそうになった白井は、かつて戦艦の甲板からこちらに突っ込んでくるプロペラ機の覚悟に怯えた経験を持つホテルの秘書へ現状を確かめた。もちろんゲームをする二人は自分の勝ち負けを頭の中で計算していたので、確かめるのは答え合わせでしかない。
「200万」と白井は次の勝負のレートを提案した。戻る燃料なんて初めから積んでいないのだ。
「・・・・・・ミスター シライ。どうでしょうか? もう終わりにしませんか」字の読み書きをあらためて習いながら勤めた、廃車工場からの成りあがりオーナーは逆提案した。
「勝ち逃げするつもりかよ」白井は初めて感情的なもの言いで吐き捨てた。
「・・・・・・結果的にはそうなるのかもしれませんが、でもあなたはもう十分に目的を果たされたと思いますよ」オーナーはあくまで礼節を欠かない言い方をキープした。
「目的を果たした?」白井の手は震えた。怒りなのか、言われて思い至った驚きなのかは分からなかった。
「これであなたは勝ち続けてきた自分に怯える必要がもうなくなったのです。あなたがあなた自身を救う道は、破滅する以外にもあるんです。チャラで留まることです。破滅するよりも難しい解決方法なのかもしれませんが、あなたのように至極特別な人は、そこら辺にいる有名ギャンブラーのように一般的な伝説の終わり方をしてはいけません。どうでしょう?」
「・・・・・・」白井は自分の手が震えている理由を理解した。
「今は時代が違いますから、生き延びたっていいんですよ、ミスター シライ。いやどんな時代だろうと、生き延びたってかまわない。私はそう思います」秘書が初めて二人の間に口を挟んだ。オーナーの許可なく口を挟むのは異例中の異例だ。チェコ人の女は手持ち無沙汰にカードをシャッフルしていた。
ホテルの裏口に停まるリムジンへ乗り込む白井にオーナーは封筒を渡した。
「安いと思われるかもしれませんが、しかしリスペクトでもある額だと思ってください。多すぎると失礼だと思ったので」
「街から去って欲しい、ってことですね?」
「いえ、ラスベガスはどなたでも歓迎です」
オーナーはこれまでの白井の勝ち運を疑っていたし、白井は今夜の負け運をもちろん疑った。でも二人はどちらも、言動にして匂わせさえしなかった。互いに願っていた通りの夜を過ごせたからだ。
この夜を境に白井は二度とラスベガスに現れなくなった。
ぼくはこの記事を読んだとき、白井という日本人が子供だったころは、きっとごみくんみたいな子供だったんだろうな、と直ぐに思った。そしてまたごみくんも白井という人のようになっているのかもしれない、と思った。ずっとずっと忘れていたごみくんを、この時は自然に思い出したのだった・・・・・・。




