紫色 1
現実は小説よりも奇なり・・・・・・時としてそのようなことが自分の身にも起こりうるのが、つまり現実だ。
ごはん茶碗一杯分の紫色の結末は、これまで読んだこともなく、かつ書いてみようと思い浮かんだこともない、まるで突飛なアイデアのようだった。
どんな角度からも想像したことのない貴重な衝撃だったけれど、世の隅の隅の隅辺りでこっそり小説を書いているだけのぼくには、たぶん技量的な問題で挿話の一つにすることしか出来なかった。そこへ至る一週間に色を付け、尾ひれをつけ、彼女に「メメ」という名前を与えただけで、あのアサガオのような色をした着地点は、今もぼくの記憶の中にしかない・・・・・・。
まだ用賀に通勤しているときのことだ。朝の7時を目処に家を出れば、いつもと同じ総武線で新宿まで行けて、向かいのホームにやってくる山手線は何時何十分というダイヤがないので、昨日と同じかどうかは分からないけれど、とにかく最初に来た電車で渋谷へ行き、ハチ公口から田園都市線に乗り換える地下へ降りる。そしていつもと同じ電車に乗る。すると今日も変わらない時刻に用賀だ。同じ道を歩いて会社に着きタイムカードを押す・・・・・・でもタイムカードは2~3分のズレがある。不思議だけれども。
もちろん電車が遅れていたり、止まっている日はいくらでもある。総武線がダメな時は中央線も混乱しているし、中央線がダメな時は総武線も混乱する。そういう朝は山手線も、正常運転時の、いわば正常な状態の混乱ではない大混乱。ブレイク前夜のバンドを観に行くライブハウスの状況と似る酸欠もどき。
田園都市線は、地上のダイヤの乱れに影響されることも、されないこともあったように思う。逆にこっちが乱れてもJRに影響はなかった(たぶん、だけど)。国道246を走るバスは影響大だ。むしろ死ぬほど「大」なのだろう。
朝の通勤通学時間帯の下り田園都市線は、乗車している誰もが許容範囲内とする程度の込み具合だ。ただ三軒茶屋が来れば、昭和女子大学付属の女子中高生が一気に降りるので密度はグッと低くなり、その気になれば席に座れた。その気というのは空いた席を目指し競合する他者が、女、子供、老人、病人、顔のタトゥーなど誰であれ絶対に譲り合わない覚悟を持つということである。「その気」になったことは一度もなかったけれど。
彼女を初めて見かけたのは、その週の月曜日だった。三軒茶屋で学生の女の子らがまとめて降りて密度の減った、あるいは視界の開けた車両の真ん中のドアの、その隅に黒いコートを着て立っていたのだった。
ぼくは(世にスマホがなかったころ)電車の中では基本的に本を読んでいたのだが、ふとした切っ掛けで顔をあげたのだろう・・・・・・余りに「綺麗」な、いや「美しい」と言う表現がより正確かもしれない、そんな女性だったので凝視しないわけにはいかなかった。身長は目立つほど高いわけでもない、20代後半から30代前半ってところだ。
黒々する髪を後ろで束ね、かなり小顔の輪郭はどちらかと言えば角ばっていて、眉毛はナチュラルのままポスカの太字の如く太く黒々と濃い。それで余計に黒く見えたのかもしれない黒い鉱石のような瞳は、白い明かりが照る車内も、どのみち壁しか見えない窓の外も見てはいなくて、彼女のその視線の先は、雰囲気でしか言えないのだけれど、昨日自身と何かあった知人とのことよりも、自分と上手く和解できた自身の決め事を見つめているようだった。
鼻の形はよく思い出せないが、唇は薄い方だったろう。いずれにしろ第一印象は、顔の特徴から想像するに、アイヌか、さもなければ血を引いているんだろうな、と思った。琉球ではなくアイヌだと思ったのだ。とんでもない美人のアイヌの女の人だ、と。
彼女の顔には彼女の精神性のような、見えない化粧とでも言える、たとえばチークが引かれてもいた。黙って立っているだけで凛とする感じと清楚な感じと、屈しなさが漂う。内にある「正しき柱」を絶対的に信じていて、でもそれは誰かよりも優位になるためには自らを否定しても、実は揺るがない類ではなく、いつかは誰かの力にもなるはずだと信じている、衝突覚悟の、時として酷く面倒にも思える「柱」・・・・・・などと、止められなくなったチラ見をしながら、いつの間にか妄想していると用賀に着いた。ドアの隅にいた彼女はホームへ降りた。ぼくも降りた。階段を上り先に改札を出た彼女は左の出口から地上に上がって行った。ぼくの勤め先は砧公園の方角にあるので右に進みもうしばらく地下を行くのだった。




