バイク 1
自転車で木陰の続く長い下り坂を走っているとき突然思い立ち、中型二輪の免許を取った。たぶんだけれど、あの気持ちのいい坂を下りながら、MDウォークマンの再生した曲がプライマルスクリームの「シュートスピード/キルライト」でなかったら、突然に思い立つこともなかったように思う。でももちろんいずれは教習所へ通ったのだろうけれど。
普通自動車の免許を持っていたので教習所の卒業試験をパスすれば、後は試験所で更新するだけだった。若い顔をしたぼくの顔写真は、若いまま差し替えられた。
それからバイクを購入するまで丸一年かけてしまったと言うか、かかるのだった。
バイクを買うとき、探している間が一番楽しいらしいが、ぼくは違った。免許を取るまで、乗りたいと思っていたバイクがあったのだけれど、いざ探し始めると対象が変わってきてしまい、しかし予算は当初のままとしていたので買えるバイクと乗りたいバイクは乖離し、予算も欲しいバイクも、どちらも妥協できない状態になっていたのだ。
当初はトラッカータイプを気に入っていたのだけれど、中古バイク屋を見て回っているうちにアメリカンタイプに気移りし、そんなだからアメリカンの値段だけを重視して探し続けた。走行距離や、年式は二の次、三の次で(確かにカラーはそれなりに難しい案件ではあったけれど)ほぼ毎週どこかの街へ出向いた。当時はスマホなんてないので、中古バイク雑誌をパラパラめくってもみたけれど、自分の足で探し回る、という非効率的な探し方が性に合っていた。少なくとも当時のぼくは非効率的な方法を面倒だとは思わなかった・・・・・・でももしかしたら非効率的な方法を取ることで、探し当てるのを諦めずにいられたのかもしれない。なんせ乗りたいバイクの値段は考えていた予算を、相場で十万円ほどオーバーしていたのだ。
そんなこんなで、ちょうど免許を取ってから丸一年が過ぎたころ、奥さん(まだ籍を入れていなかった)が、友達の暮らす福井へ遊びに行く日があって、上野まで見送りに行きそのまま先週も先々週も探しに来ていた、上野の昭和通りに連なる中古バイク屋界隈(今はもう殆どが閉店してしまっている)を流した。静かな雨が降っていたのをよく覚えている。
傘をさして各店舗前に陳列された「顔なじみのバイク」を見て歩いていると、今後十年乗り続けたぼくのファーストバイクは、上野の雨に濡れながら、相場より十五万円近く安い値を提示していて、どこかこっちを向いていた。笑われてしまうかもしれないけれど、あのバイクはぼくが現れるのを待っていたし、ぼくはあのバイクが目の前に現れるのを一年間ずっと待っていた。そういう気持ちに溢れると足が震えあるエッセイを思い出した。誰の何ていう題の本だったかを今は思い出せないけれど、当時は分かっていたはず・・・・・・。
作者は今も森で狩猟生活をしている村人の一人と、一週間くらいの予定で森の奥へ猟に出かけるのだが、成果なく日が過ぎていき「今回はまるっきりダメだ」と言う感じで最終日の朝を迎える。二人は朝の食事を取ったら荷物をまとめ森の深部から出て村へ帰るつもりだった。
そんな日の早朝に目が覚めた作者が、ふとテントから顔を出すと、白く靄る半透明な世界のすぐそこに、しかも真正面に一頭の鹿がこちらを凝視して立っている。
語り掛けてきそうな知的で凛々しい黒い瞳の美しさに時が止まり息を止めたが、我々が獲物を担いで戻ってくることを願っている友人の家族や村人たちの為に、もちろん運のなかった友人自身の為にもこのチャンスを逃すわけにはいかない。
美しい黒い瞳と目を合わせたままそっとテントを出て、隣のテントでまだ寝ている友人を起こした。ライフルを向けられた鹿は逃げるそぶりを一切見せず、その場に倒れた。残響音が続き、火薬の臭いで時は再び動き出した。
「この鹿は森から我々のもとへ遣わされて来たんだ。今朝自分の命がどうなるのかを知っていてさ」運のなかった友人は森と鹿に心から感謝した。
・・・・・・間違っているかもしれないけれど、たぶん作者は星野道夫だったような気がする。




