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十字路 2

 朝、まだそこらの子供たちの姿がない時間帯に、大きなランドセルを背負った男の子が母親と二人で並んで歩いている場面に出くわしたのは、引っ越してからのことだった。

 ぼくは何日かを使い、行きと帰りに違う道を通ることで駐車場への最短ルートを模索した。そのころに彼らを見た。あるいは昨日もいたような気がするぞ、と思ったのかもしれない。


 探っていた道が定まると、ほぼ毎朝見るようになった少年はとても小さかったので、標準的な一年生か、少し小さな二年生だろうと思えた。彼はどうやらサッカーが好きなようで、靴はスパイク、靴下はストッキング、ズボンはハーフパンツ(冬はメーカーのジャージ)、シャツはバルセロナのユニフォームで、帽子だけが黄色いスクール帽。サッカーボールは持っていなくて、だからたぶん朝練に行くために、他の子供たちより早く登校するわけでもないのかもしれないな、と思った。


 少年は裏通りの十字路で母親と別れ、どの方角にも行かずポツンとしていた。誰かを待っているようだった・・・・・・。


 誤解されないよう、先に断っておくがコロナが始まる前までぼくは毎朝ほぼ同じ時間に家を出て、同じ道を通っていたに過ぎない。そして彼らの家は毎日の朝と夜に通る道沿いに建っていたのだ。またそこは我が家から、それほど離れているわけでもない。

 電車通勤とは違い、家を出る時間がたとえば昨日よりいくらか遅れたとしても、がんばって漕げば1~2分くらい取り戻せもするし、彼らだって家を出るのが1~2分くらい遅れたり早かったりする朝もあったはず。つまりぼくがお断りしたいのは、彼らの家も名前(苗字)も家族構成(寝たきりの誰かがいないとすればだが)も特定していて、ついでにお姉ちゃんのバイト先(おそらくは、というだけのことでしかないのだが・・・・・・)も知ってしまっているのは、たとえば朝の5分くらの間で限定された時間内に起こる小さな「偶然」とコロナの緊急事態宣言が出されるまでの約2年間に渡った、もちろん意図しない「定点観測」によるものである。


 彼はいつだって浮かない顔をしていた。一目で学校に行くのが好きじゃないのが分かる。大きなランドセルの重さより、謎のスパイクの足の方がよほど重そうに歩いていて、若くてきれいなお母さんも常に疲れた顔をしていた。髪には白いものもあった。二人は黙ったまま家の前の真っ直ぐな道を東に向かい、信号のない交差点を一つ越えた先にある裏路地の十字路で別れる。距離にして200メートルほど。

 お母さんは、じゃぁね、くらいは言うけれど、息子は頷きもしない。お母さんは来た道を戻るとき、何度も振り返っては息子の姿を確かめた。息子は絶対に母親の方は見ない。学校とは違い「平気」でいられる家の方を見ないのだ。

 彼は友達を待っていて、お母さんは、友達が迎えにくるより早く自宅に着けば、門の影から、まるでご先祖のようにずっと見守った。

 友達がやってくると二人は明るく楽しそうに、いま友達が歩いてきた道を戻る。お母さんは二人の姿が見えなくなってから家の中に入った。もちろん息子が最後に振り向くこともなかったし手を振るなどない。

 ぼくが代わりに、元気よく手を振ってあげたかったが、もちろんそんなまねはしないし、友達の前では自意識に従い「がんばって」いるに違いない、笑顔の朝の彼に、手ぐらい振ってあげなよ、と言ったのはもちろん心の中でだ。


 母子の背中には覇気の微塵もなく、お母さんが一人、十字路から戻るときの暗い日陰の様な姿にすれ違うときは、少し俯いていたとしても横顔が見えた。朝陽は毎日昇るけれど、表情の夜が明けないのは「心配」が満ちているからだろう。疲れた背中の水平線には「しんぱい」と書かれる蓋があった。

 一人になった息子も「不安」に満ちていて、じゃなければ「緊張」だったのかもしれないけれど、こちらも小さな全身から「あぁ、嫌だな」と吠えている、絶望感が見て取れた。教室でうまくやろうとすればするほどリスクが増していくのをわかっていても止められず、声を上げて誰かの冗談をみんなで笑うときの密かな緊張を、それこそうまく隠さなければならない。そういう内なる自己の世界と、変える術を知らない外の世界に出向くのだから・・・・・・でも彼らは妥協しなかったのだと思う。親子は毎朝、地獄の崖っ淵を歩いているのは明らかだったけれど、登校し続ける選択をした。登校しない選択をしたのならば、それはそれで悪いことなんかでは全くなくて、賢明な判断だと思う。でも彼らは、そしておそらく少年が自ら登校することを選んだような気がした。母親も、そして後に二度ほど目撃した父親も、息子の意見を尊重したのだと思う・・・・・・どちらが言い出したかはわからないけれど、とにかく毎朝親が十字路までは付いて行くことにして、友達には迎えにきてもらうよう頼んだ・・・・・・また子供二人で向かう方向とは別の位置に、もうしばらくすると辺りの子供たちが集団登校をする小学校があるので、彼らは越境通学をしていたか、息子だけがしていたのかもしれない。


 小学校が夏休み、冬休み、そして春休みに入ると気化しかねないほど疲れた母子の朝の姿はなかった。それにしても夏休みが明けると、彼の背は確実に伸びていた・・・・・・。




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