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2♣失意から這い上がれ〈上〉

 船が転覆した時のことは一生忘れられないし、この先もずっと夢に見る気がする。


 クラウディオは船から投げ出された直後、必死で漂流物につかまった。運よく近くに浮いている空樽があったのだ。

 嵐の中、樽につかまりながら気が狂ったように叫んだ。


「ディア! ヴェルディアナ!!」


 あの大人しい妹は泳げもしない。海に出たのですら初めてなのだ。

 雨と波と、水がクラウディオを苛む。しかし、責め立てられずともクラウディオの心は失意に沈んだ。


 自分がヴェルディアナを連れ出した。置いて出かけるのが心配だったとはいえ、こんなことになるのなら連れてくるべきではなかった。


 このまま一緒に海を漂うことで妹の魂に寄り添ってあげたいという気がした。

 けれど、優しいヴェルディアナはそれを望むだろうか。

 寂しがりではあるが、クラウディオだけでも生きてほしいと願う妹なのは、誰よりも自分がよく知っている。わかっている。


 クラウディオはすでに濡れている頬に涙を零した。




 生きて、ヴェルディアナを弔ってやらなくては。

 ジェレミアも助からなかったのだろうか。


 彼はクラウディオよりもふたつ年上で、誠実な人柄だ。クラウディオの剣が上達したのも、ジェレミアが稽古につき合い続けてくれたからだ。

 いつもヴェルディアナを目で追っていて、そういう時はらしくないくらいにぼうっとなる。


 身分が違うから、叶わない恋ではあるけれど、変な男に妹をやるよりはジェレミアの方がいいなとは思った。

 二人とも、もういない。今さら何を思ってもなんの足しにもならないけれど。


 クラウディオは嵐の海を樽と一緒に流された。船が壊れたのか、漂流物が一度背中に刺さり、息が詰まったが死にはしなかった。

 傷口に海水が染みる。なるべく上半身を樽に載せていられるような体勢を保った。


 それでも、嵐がこのまま続けばクラウディオの体力も限界である。どこまでしがみついていられるだろうか。



 

 ただし、真っ暗な夜を越え、明け方に差し掛かる頃になると、嵐は嘘のように静まった。

 これならば助かるかもしれない。遠くに輝く星屑くらいの希望は持ってもいいだろうか。

 しかし、陸地はまだ遠い。まだ気を抜けたものではなかった。


 この時、漂流するクラウディオを見つけてくれた者がいたらしい。船がクラウディオに近づいてくる。

 クラウディオは必死で手を振った。喉はカラカラで声が出ない。


「ああ! 生きてるぞ!」

「急げ急げ!」


 船乗りたちは漁師らしく、泳ぎが達者だった。次々飛び込んだかと思うと、クラウディオを支えてくれた。

 そして、船から垂らされた縄梯子を上らせてくれた。


 ――助かったのだ。これで。

 けれど、ここはどこなのだろう。


「さ、これを飲みな」


 椀に入れられた水を差し出された時、クラウディオは我を忘れて飲み干した。生温いただの水だというのに、水が喉を通り過ぎていくと生きているという感覚が強くなった。


「た、助かった。ありが、とう」


 やっとそれを言うと、船乗りたちがほっとしたようだった。


「あの嵐でよく助かったもんだ」


 胸がズキリと痛む。


「僕の他には誰も助からなかったのかもしれない」

「まあ、そうだろうな。あんたが助かっただけで奇跡だよ」

「ここはどこだ?」


 海水でひりつく頬を摩りながらクラウディオは船乗りに問いかける。


「ここはイイリア公国の沖合。俺たちは漁師だ」

「イイリア……」


 クラウディオたちの暮らすフララスよりも南の小国である。両国間の関係は険悪でこそないが、良好というほどでもない。


 フララスの侯爵家の息子が流れ着いたとして、それがこの国にとってどういう意味を持つのか。

 なんらかの交渉の材料になる可能性はあるのだろうか。

 簡単に身分を告げない方がいいのかもしれない。ここは様子を見よう。


「あんた、どこの国のモンだ?」

「フララス」

「イイトコの坊ちゃんみたいだが?」

「父は商人だ。僕も世間を見た方がいいと思って買いつけの勉強に来たところ、船が嵐で難破して……」


 そこでクラウディオは涙を零した。この涙は嘘ではない。クラウディオはこの嵐でたくさんのものを失ったのだから。

 泣き出したクラウディオに、船乗りたちは困惑するばかりだった。


「船には妹も親友も乗っていた。でも、僕しか助からなかったんだな」


 涙を止めようとすると、鼻の奥がツンと痛んだ。

 この時、クラウディオを疑う者はすでにいなかった。皆が同情的な目で自分を見ている。


「気の毒だがな。よし、とりあえず陸へ戻ろう。あんたのことは大公様がどうにかしてくださるさ」

「大公様が?」


 このイイリアを統べる領主であるが、漂流者の面倒など見てくれるものなのだろうか。

 すると、船乗りは誇らしげに言った。


「ああ。大公様は豪胆で慈悲深いお方だからな。あんたのことを放り出したりはしねぇよ」


 イリリア大公は、少なくとも船乗りたちには人気があるようだった。どんな人物だか会ってみたい気はした。

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