8◇らしくない彼女〈上〉
ニコレッタは館の中を歩き回っていた。クラウディオを捜しているのだ。
「ねえ、クラウディオを見なかった?」
ミリアムに訊ねてもわからない。
「そういえば、見ていませんね」
あちこち捜し回った挙句、やっと見つけたのは最上階のせり出した窓辺だった。そこに足をかけて座り、遠くを眺めている。綺麗な横顔にドキリとした。声をかけるのを躊躇うくらい見惚れてしまう。
亡くした兄になりきると言っていた彼女は、始めの頃は男装しているだけの少女でしかなかった。
背は高めだが、頼りなくて可愛らしくて、ニコレッタですら護ってあげなくてはと思わせた。
それが、日が経つにつれて彼女のなりきりは堂に入っていった。
食が細かったのに、食べる量が今では倍以上に増えたし、今もあんなに足を開いて座っている。
彼女の兄はいつもああしていたのだろう。思い出して切なくなっているのかもしれない。どこか苦しそうに見える。
だから声をかけていいものか迷ったのだが、クラウディオの方がニコレッタに気づいてくれた。
「ああ、ニコレッタ様。どうかなさいましたか?」
にこりと明るく笑いかけてくる。
顔立ちの美しさから近寄りがたさはあるのに、笑うと急に親しみやすくなる。そんな笑顔だ。
以前は見せなかった表情を浮かべるようになったのは、ニコレッタに心を開いてくれたからだと思って嬉しくなる。
「あなたを捜していたの」
そう言って窓辺に近づくと、クラウディオは少し照れたように見えた。
「……何を考えていたの?」
遠い目をして、詫びるように苦しそうな顔をしていた。
嵐で死んでしまった人々に、自分だけが生き延びたことを詫びているのだとしたら。
クラウディオは悪くないと言ってあげなくてはならない。だから、あえて訊ねたのだ。
すると、クラウディオは苦笑した。
「遠くにいる片割れに詫びていました。僕がもっとしっかりしなくてはいけないのに。ここからではとても見通せなくて――」
屋敷の一番高いところを選んでも、天国までは見通せない。
ニコレッタはクラウディオの心の痛みを共有したように苦しくなった。
「ニコレッタ様、少し館の外を散策してきてもよいでしょうか? 浜辺に何か流されてきているかもしれないので」
クラウディオは毎日これを言う。
しかし――。
「わたくしも行くわ」
そう答えると、決まって困った顔をするのだ。
「一人で大丈夫ですよ」
「駄目よ。危ないわ」
危ないというより、海から来たクラウディオがそのまま海に向けて消えてしまうような気分になるから、ニコレッタの方が嫌なのかもしれない。
そして、ニコレッタが動くとエヴァルドたち家臣がついてくるのも煩わしいのはわかっている。
「ねえ、浜辺には人をやって見てこさせるわ。それでいいでしょう?」
「……はい。ありがとうございます」
微笑んで礼を言うけれど、どこか納得していない気がした。自分の目で見ないことには諦めがつかないのだろう。
気の毒ではあるが、嵐から日が経っている。もう誰も助かってはいないのだ。
異国の地で一人、どんなに心細いだろう。ニコレッタはクラウディオを抱き締めたくなったが、クラウディオはベタベタと触られるのが嫌いなようで、手を伸ばすとやんわりと躱されてしまう。
まだまだ心の傷が深い。
「とりあえず、部屋に戻りましょう?」
「はい、ニコレッタ様」
この笑顔がとても好きだ。
こうして笑いかけてくれている以上、嫌われてはいないのだと思えるから。
ニコレッタが階段を先になって下りようとすると、ドレスの裾を踏んづけてしまった。
あっ、と声を上げたが、手すりをつかみ損ねる。落ちると覚悟して目を瞑ったが、ニコレッタが階段を転げ落ちることはなかった。
「ニコレッタ様!」
ニコレッタの手首をクラウディオがつかんだのだ。もう片方の手で階段の手すりにつかまって体重を支えている。
それにしても素早かった。彼女はどちらかというとのんびりとしていると思っていたので驚いた。
しかも、そのままニコレッタの手首を片手で引き寄せたのだ。傾いていた体がまっすぐに戻る。
「危ないところでしたが、お怪我がなくてよかった」
ほっとした様子で言うクラウディオだったが、ニコレッタの頭の中は???でいっぱいだった。
どこにこんな力があったのだろう。
ニコレッタの危機に、普段ならば出せないような底力を発揮してくれたのだろうか。
クラウディオは、力強くつかんでいたニコレッタの手首を放すと、小さくため息をついた。
「ああ、申し訳ありません。赤くなってしまいましたね」
ニコレッタの手首にクラウディオの指の跡が残った。けれど、ニコレッタはそんなことよりも、そこに視線を落としているクラウディオの長い睫毛に見入っていた。
――彼女の亡くなった兄は、彼女によく似ているのだと言っていた。
それならば、さぞ美しい青年だったのだろう。そして、こんなふうに心優しかったのだという気がする。
彼女を好ましく思うように、もし彼女の兄が目の前に現れたのなら、ニコレッタは大公やロマーノほどには毛嫌いしなかっただろう。
むしろ、好人物だと受け止めた。ニコレッタの兄と比べても引けを取らないかもしれない。
会いたかったものだと残念に思う。
「いいのよ、ありがとう」
いつもは触れられることを避けるクラウディオが、自分からニコレッタに触れている。何故だかそれがとても嬉しかった。
恋するみたいなトキメキに少し笑ってしまった。




