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十二夜 ―Twelve Nights―  作者: 五十鈴 りく


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6♣女伯爵と

 クラウディオは、飛び込んだ物陰にいた誰かを突き飛ばしてしまった。相手が頭を打って倒れたことに驚いたが、それが自分と同じ顔をした人間であったことに愕然とするばかりだった。


「ディア! ディアだろ? なあ!」


 生きていてくれた。クラウディオは涙を浮かべながら妹らしき人物の頬をペチペチと叩いた。

 あたたかいし、生きているが、気を失っていて話せない。

 どうやらヴェルディアナはこの伯爵の屋敷にいたらしい。しかし、何故男装しているのかはわからない。


 女であることを隠したい何かがあったのだろうか。クラウディオがエルヴィーノにすべて打ち明けなかったように、ヴェルディアナも女伯爵であるニコレッタには秘密にしてあることがあるらしい。


 しかし、ヴェルディアナが生きていたとなると、クラウディオの取るべき行動は違ってくる。

 ヴェルディアナを連れて祖国に帰らなくてはならない。何よりも優先して妹を護らなくては。


 この時、近くで気配がした。クラウディオはとっさに飛び出し、剣を抜こうとしたのだが、相手からは敵意が感じられなかった。あの馬に乗った馬鹿どもではなく、どうやらただの使用人だ。


「ああ! クラウディオ様、ご無事で!」

「え? あ、ああ……」


 どうしてエルヴィーノたちにすら教えていない本名を知っているのだろう。ヴェルディアナがそこまで話したのか。

 クラウディオは驚愕のあまり固まっていた。すると、その使用人は後ろに向けて声を張り上げた。


「お嬢様! こちらにいらっしゃいましたよ!」


 使用人の声を聞きつけて走ってきたのは――天使だった。

 白いドレスの裾を持ち上げ、蜂蜜色の髪が走るたびに跳ねる。驚くほど白い肌がほんのりと紅潮し、煌めく瞳がクラウディオを捕らえたかと思うと、心底安堵した様子で微笑んだ。


「ああ、よかった! あなたがいざこざに巻き込まれていると聞いて驚いたわ。どうして出て行ったりしたの」

「え、それは……」


 上手い言葉が何も見つけられなかった。

 それは、クラウディオが慌てたからではない。目の前の娘が、クラウディオの予想をはるかに上回って美しかったからだ。


 これでは、エルヴィーノが娶りたいと言い出したのも無理はない。誰だって、こんな娘なら虜になる。

 心臓が、あの嵐の晩ほどにうるさく騒ぎ立てた。


 呆然と立ち尽くしていると、そんなクラウディオの腕をニコレッタが引いた。


「クラウディオ、戻りましょう」

「は、はい」


 ぼうっと、夢見心地で答えていた。

 しかし、すぐにハッとして木の陰で気を失っているヴェルディアナのことを考え、クラウディオは身を切られるような思いがした。それなのに、この儚い風情の手を振り払えない。痺れたように腕が動かない。

 こんなことは初めてだ。


 ヴェルディアナには内緒だが、下町に繰り出して遊んでいたから、女に対してまったく初心なわけではない。

 それでも、ニコレッタの魅力には抗えなかった。エルヴィーノの顔がちらつくことさえなかった。

 これが一目惚れというものなのかと、身を持って知った。


 ――しかし、ヴェルディアナをあのままにしておくことはできない。ニコレッタの隙を窺って抜け出さなくては。

 ヴェルディアナに話を聞こう。どうしてここの人々は妹のことをクラウディオと呼ぶのか。




 隙を見てと言いつつも、ニコレッタはまったくクラウディオを解放しなかった。部屋まで引っ張って行ったのだ。


 焦りが強くなる。

 もし、ヴェルディアナがクラウディオと勘違いされたら、ベニートたちがエルヴィーノのもとに連れて帰るかもしれない。


 あんな男だらけのところに無垢な妹を置いておけない。もし女だと知られたらどんな目に遭うだろう。

 エルヴィーノはともかく、兵士たちがヴェルディアナをどう扱うのかが恐ろしい。


 どうして離れてしまったのだと後悔し、クラウディオが扉の方へ行こうとすると、ニコレッタが扉の前に立った。


「どうしたの? 何か具合が悪そうに見えるわ」

「え、ええ。ちょっと気分が悪くて。部屋で休ませて頂いてもよろしいでしょうか?」


 体調が悪いから下がらせてほしいというのは不自然ではないはずだ。すぐにヴェルディアナのところへ戻ろう。

 それなのに、ニコレッタは予想外の行動に出た。


「まあ、ここで休んでいいのよ。あなたはお兄様を亡くされたばかりだもの。ちょっとした拍子に心労が出てくるものなのよ」


 クラウディオの袖を引っ張り、自分のベッドに寝かせた。


「え、そ、その、これはちょっと……」


 起き上がろうとすると、肩を押された。蜂蜜色の柔らかな髪がクラウディオの頬に触れると、頭の芯が痺れたような感覚がした。


「あなたの悲しみはわたくしが受け止めると決めたのよ。何も心配要らないわ」


 ニコレッタはこうして妹を護っていてくれたのだ。

 その気持ちに感謝する想いが湧くと、余計にニコレッタへの思慕が募っていく。


 ――ごめん、ディア。

 行かなくちゃと思うのに、ニコレッタに額をさわさわと撫でられると起き上がる力が湧かない。


 しかし、その後に押し寄せてきたのは、どうにもできない罪悪感である。

 誰か、この屋敷の誰かが倒れているヴェルディアナに気づいて中に運び込んでくれていたら。それを願うけれど、そんなことにはならなかった。


 ニコレッタが隣の部屋に移った時、窓から下の様子を窺ったけれど、そこから見える限りではヴェルディアナが倒れている様子はなかった。気がついて自力で隠れたのならいいが、ヴェルディアナが一人で生きられるわけではない。誰かの庇護が必要だ。


 仕方がない。

 ニコレッタが戻ってきたら本当のことを告げよう。ヴェルディアナを捜してもらおう。


 クラウディオはそう決意したのだが――。




 戻ってきたニコレッタは、くつろいだ部屋着に着替えていた。

 暑いのだから当然ではあるのだが、随分薄い。滑らかな絹地が体の線をなまめかしく見せていた。

 クラウディオはとても直視できず、ベッドの上でシーツを被り、寝たふりをするしかなかった。どんな苦境からも這い上がる気概が自分にはあると思っていたけれど、今はもうこんなに馬鹿な男は二人といないという気がする。


 ニコレッタがそばに立った気配があった。クラウディオは、体が小刻みに震えているのを覚られませんように、と願った。


 幸い、ニコレッタはシーツをはぎ取るようなことはしなかったが、そのまま部屋にいて、夜が更けるとクラウディオの横で眠った。

 すぅすぅと可愛らしい寝息が聞こえてくる。


 ――正直に本当のことを言うつもりはあった。

 けれど、隣で無防備に眠るニコレッタにはもう言えない。男とひとつのベッドで眠ったなんて知ったら、この娘はどうするのだろう。


 視線は正直なもので、上下する彼女の胸の上に向かってしまう。顔立ちにはまだ幼さも残っているのに、体は男好きのする程よい肉づきだった。


「…………っ」


 クラウディオは、這うようにして部屋から出て廊下でへたり込んだ。

 こんな夜更けには誰も通りかからない。ようやくここでひと息つけた。


 ヴェルディアナと国に帰らなければと思う反面、そうしたらニコレッタとはもう会うことがないのだ。

 いずれ帰るとしても、それをもう少しだけ先延ばしにしてしまいたいと考えてしまう。


 クラウディオは暗がりで頭を抱えていた。そんな彼を見ていたのは猫だけである。

 

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