5♡夢でなければ〈下〉
――ヴェルディアナが目を覚ました時、そこはベッドの上ではなく野外であった。太陽が眩しい。
「う……っ」
手を翳して日差しを遮ると、二人の男がヴェルディアナを覗き込んだ。
「ジェレミア、気づいたか?」
見知らぬ鼻が上向き加減の男が、ヴェルディアナにそう呼びかけたように思われた。
「ジェ、ジェレミア?」
辺りを見回すために首を動かして、痛みに顔をしかめた。
クラウディオが生きていたのだから、ジェレミアも生きていてもいいはずだ。
しかし、見たところジェレミアの姿はなかった。いるのは二人の男だけだ。クラウディオと一緒にいた人たちのような気がしてきた。
呆然として座り込んだままのヴェルディアナに、もう一人の口の大きな男が言う。
「頭を打ったみたいだから下手に動かさない方がいいと思って、気がつくのを待っていたんだが。まだぼうっとしているな」
「歩けるか、ジェレミア?」
ヴェルディアナは困って返事ができなかった。状況がまったくわからないのだ。
兄はどこへ行ったのだろう。クラウディオに会いたい。
「しっかし、ニコレッタ様にお会いしたのは初めてだが、すごい剣幕だったな」
「ああ。美人だけど、エルヴィーノ様はあの気の強さをちゃんとわかっていらっしゃるのか?」
「どうだろうなぁ。大体、何をあんなに怒っていたんだ?」
「まあ、あの馬鹿どもを止めてくれて助かったけど」
ニコレッタがあの乱闘を止めてくれたらしい。ニコレッタのところへ戻ろうと考え、ふと嫌なことを考えた。
クラウディオはどこに行ったのかと。そして、自分は何故この二人と一緒にいるのか。
「あ、あの、ぼ、僕はここに何をしに来たんでしたっけ?」
今なら、全部頭を打ったせいにできる。ヴェルディアナは思いきって訊ねてみた。
そうしたら、二人はやはり怪訝そうな顔をしたが教えてくれた。
「こりゃあ打ちどころが悪かったな」
「エルヴィーノ様に頼まれて、ニコレッタ様の使者に立ったんだ。要するに、エルヴィーノ様を褒めちぎって、ニコレッタ様をその気にさせて、いい返事をもらってこいってヤツ。まあ、無理だなって痛感したけど」
「は、はぁ……」
クラウディオはどうやら、あの嵐から大公エルヴィーノに助けられ、彼のもとにいたらしい。そして、多分、義理堅い兄はその恩義に報いるためにエルヴィーノの使者に立ったのだろう。段々読めてきた。
そして、その先でヴェルディアナとクラウディオは間違えられた。この男たちは気を失っているヴェルディアナをクラウディオだと思い込んだのだ。
それから、クラウディオは本名を名乗らず親友の名を借りているらしい。彼らはヴェルディアナにジェレミアと呼びかけてくるのから、そういうことだろう。
ヴェルディアナが頭を整理するためにぼうっと考え込んだせいで、二人は心配そうにしていた。
――まず、ヴェルディアナはどうするべきなのだろう。
正直に話せばいいのかとも思ったが、クラウディオが身元を明かしていない以上、ヴェルディアナが迂闊にあれこれと話していいものだろうか。
何も言えずにいると、男たちが困っている。
「なあ、とりあえず帰ろう。動けないなら俺とベニートが交代で担いでやる」
厚意はありがたいが、もともと人見知りで兄と父とジェレミア以外の男に馴染んでいないヴェルディアナである。頭を打った後だというのに思いきり首を横に振った。
「い、いえ、もう大丈夫です。歩けます!」
ちょっとくらくらした。こめかみを手で押さえ、呼吸を整えてから立ち上がる。
すると、ベニートという男が目を瞬かせた。
「あれ? お前、剣はどうしたんだ? それに、よく見ると服が替わってるような?」
ぎくりとしたが、ヴェルディアナには下手な言い訳しかできない。
「け、剣は気を失っているうちに誰かに盗られたのかも。服も、いい服だったから取り替えられた?」
「いや、前よりいい服になってるぞ」
「追剥ならまだしも、着せ替えてやるってなんだよ?」
どうあっても力技でごまかすしかないのだ。ヴェルディアナはさらに押した。
「僕も知らないよ。だって、気を失っていたんだから」
すると、二人は納得していないながらにもうなずいた。
「まあそうだよな。……考えてもわかんねぇし、とりあえず帰ろう。エルヴィーノ様も待ってる」
ほっと胸を撫で下ろしたが、よく考えてみると、これからヴェルディアナはクラウディオとして大公に会わなくてはならなくなったのだ。どうしよう、と青ざめたが、どうしようもない。
本物のクラウディオは今頃、ヴェルディアナとしてニコレッタのもとにいるのだろう。
向こうでクラウディオは正直にこの入れ替わりを話しているのか、今のヴェルディアナと同じように様子を窺っているのか。
少なくともヴェルディアナよりは世故に長けているクラウディオだから、どうにかやり過ごせるだろう。
目下心配しなくてはならないのは、むしろヴェルディアナの方である。
しかし、エルヴィーノはヴェルディアナが思っていたような人物ではなかった。
身分からして気難しいだろうと考えていたエルヴィーノは、朗らかで親しみやすい雰囲気を持っていた。それに、ニコレッタが毛嫌いしていたのが不思議なくらい美男子だった。実のところ、ニコレッタはエルヴィーノをあまりよく知らないのかもしれない。
両手を広げ、エルヴィーノはヴェルディアナたちを迎え入れた。もちろん誰も飛び込まないが。
「よく戻った。守備はどうだ?」
すると、ベニートはひざまずいて答えた。
「申し訳ございません。サー・フラヴィオとロマーノ殿に阻まれ、ニコレッタ様とはろくにお話もできませんでした」
もう一人の――パオロという兵士も同じ姿勢で続ける。
「ジェレミアも負傷して、頭を強く打っております。次の機会には挽回いたしますので、今度ばかりはお許しください」
すると、エルヴィーノは彼らと同じようにひざまずいていたヴェルディアナの頭に手を置いた。突然すぎてヴェルディアナは小動物のようにその手をすり抜けてしまったが、エルヴィーノは怒らなかった。
「ああ、痛かったか、すまない。こぶができているな」
「い、いえ、すみません……」
「よく冷やして薬を塗ってもらうように」
「すみません」
「謝るな。最初から上手くいくとは思っていない。またそのうち頼むこともあるだろう」
クラウディオが気に入られていることが伝わった。それにしても、優しい。
もしこれが祖国にいる双子の父ならば、自分の命を遂行できなかった家臣にこんなにも優しい言葉はかけなかっただろう。表向きだけではない気遣いを感じ取ることができた。
ヴェルディアナが驚きに目を見張っていると、エルヴィーノは首をかしげた。
「心なし顔が赤いな。頭を打ったのと関係があるのかもしれない。今日は早く休みなさい」
「は、はい。ありがとうございます」
ヴェルディアナは深々と頭を下げた。エルヴィーノが去ると、ヴェルディアナはベニートたちの方をチラリと見遣り、泣きそうな顔をして訊ねるしかなかった。
「あ、あの、僕の部屋はどこでした?」
二人が顔を見合わせて絶句したのも仕方のないことかもしれない。
しかし、本当にわからないのだ。何せ、ヴェルディアナがここへ来たのは初めてなのだから。




