プロローグ 悪役令嬢、大地に立つ!
今日は年に一度の学園創立記念パーティ。初等部の生徒から学園長までが一堂に介する、大規模な行事である。そんなめでたい席で私は婚約者に糾弾されていた。
「ヘレン。お前にはつくづく失望した。お前は我が生徒会が厳正な審議の上、処罰を下させて貰う」
鋭い目つきのアロア様は明確な敵意を持って私をにらみつけた。この王国の第2皇子。なおかつ私の婚約者でもある、アロア・イルガー・ランドール。吸い込まれそうな青い瞳は緊張に顔をこわばらせる私の顔を映していた。思わず顔を背けたくなるがなんとかその目を見つめ返す。
「アロア様。確かに私がした行動は大人気なかったかもしれません。しかし、彼女が学園の秩序を乱したのも事実です。私は副生徒会長として、将来の女王として学園の伝統を保持しようとしただけですわ」
「相変わらず弁論だけは得意なようだ。だが俺は騙されないぞ、ヘレン。お前はサーシャに嫉妬していたんだろう」
サーシャ・グリア・ロンブースはアロア様の後ろで泣き出しそうな表情を浮かべている。肩に掛かる程度の茶色い髪は私のカールを巻いた金色の髪と比べると恐ろしく地味で目立たない。なのにもかかわらず、アロア様は彼女を守るように直立していた。
「お戯れを。私は感情で動くほど愚かな人間ではありませんわ」
「そちらこそお戯れだ。気の短い情緒不安定なヒステリック女が。言っておくが、俺は貴様なんぞを愛したことなど一度もない」
心が、ズキリと痛んだ。一瞬、視界がぼやける。何をやっているんだ、私は。感情を殺せ。アロア様が私を愛していないことなど分かっていただろう。
「お前のような性悪女など願い下げだ。ほとんど形骸化したようなものだったが、お前との婚約は正式に破棄させて貰う」
「え……」
私は耳を疑った。ドクドクと動悸が速まるのを感じる。動揺が悟られぬよう、早口にならぬよう、声を震わせぬよう、必死に、しかし優雅に言葉を返した。返そうと、した。
「アロア様、私の話を……」
「くどいっ! この者を反省房に連れて行け!」
私は騎士団の生徒に肩をつかまれた。泣き崩れたくなった。だが、ぴしゃりと騎士団の手を払い、自分の足で学園の地下にある反省房に向かう。大丈夫。私はまだ高貴だ。
周りの人間の、驚くような、哀れむような、蔑むような目。目。目。止めろ、私をそんな目で見るな。
●○
オレンジ色の豆電球が輝くだけの狭い個室。壁も床も寂れた鉄板が打ち付けられており、まるで独房だ。騎士団に押し込まれるように中に入ると、背後でガチャリと扉の閉まる音がした。遠のいていく足音。恐怖と不安に襲われる。
ベッドや椅子なんて気のきいたものはない、空っぽの部屋だ。まるで私の心のよう。
私のしたことは間違っていたのか。私はただこの学園のために……いや、アロア様の言うとおりなのかもしれない。私は自分よりも鈍間で、愚鈍で、平凡で、そして自分よりも愛されていたあの子に嫉妬していたのかもしれない。
ずるずると壁により掛かり、私は泣いた。いつ以来だろう、涙を流したのは。
私の名前はヘレン・ミラー・ハルシュタル。歴史あるハルシュタル家の長女だ。ハルシュタル家は五百年以上王家の忠実なる家臣として働いてきた、誇り高き一族である。
そんな王の臣民であるハルシュタル家の中でも私は特別な存在だと持ち上げられてきた。凜と咲くジャスミンの如き美貌。魔法学の権威ですら一目置く優秀な成績。そして、周囲を引きつけてやまない圧倒的カリスマ性。大袈裟な言われようだと思ったが、その名声に答えるだけの努力はしてきた。
5歳にも満たない頃から帝王学を叩き込まれ、そして10歳の誕生日の時、この王国の第2皇子との婚約に至った。病弱で表舞台に出てこない第1皇子とは異なり、第2皇子はほとんど国王の座を約束された身だった。それすなわち、私も女王の身を約束されたのと同義である。私はそのことを常に自覚し、さらに教養を身につけていった。
しかし、第2王子様とおなじく高等学園に進学したとき事件が起こった。平民出身の芋臭い女が学園に入学してきたのである。名前はサーシャと言った。どこかの名も知れぬ男爵とその侍女の間の子らしく、教養もない恥知らずな女。まあ、それだけならよかったが、あろうことか私の第2王子様に色目を使ってきたのである。
あいていた生徒会の書記の座に彼女が座ったとき、私は憎しみにも近い感情を覚えた。生徒会は貴族の中でも位の高い生徒が就くことが慣習なのだ。その後も彼女の存在は厳粛な雰囲気だった学園の和を乱し続けた。私は、アロア様に何度も警告をしたが聞き入れてもらあることは最後までなかった。
「まさか、私が転落する羽目になるとはね・・・・・・」
どれほど時間がたったのか分からない。私は膝を抱えながらうずくまっていた。とても寒い。ガチガチと体が震えている。耐えがたいほどの沈黙が独房を覆っていた。こうやって過去に思いをはせなければ、気が狂ってしまいそうだった。そんなとき、遠くの方から音が響いてくるのに気がついた。
「……警報?」
微かに聞こえてくるサイレンの音。よく耳をすませば人々の喧騒も聞こえてきた。
「いったいなにが……」
私は扉に耳を寄せる。多少警報音が聞こえやすくなったが、人々の声まで聞き取ることは無理だった。
警報音。警報が鳴る原因は三つ、自然災害、人災、魔災に分けられる。火事?魔物の襲撃?クーデター?様々なことが頭をよぎる。確かめるすべはない。
しばらく扉に耳を当てていると足音が近づいてきた。扉の前で足音は止まる。
「誰……?」
硬い鉄板の扉の向こうに確かに人の気配を感じる。荒々しい息遣いが何よりの証拠だ。
「誰かいるの!?」
「なんだ……人がいたのか……」
低い男の声だった。苦しそうに呻き声を上げた。
「騎士団の人? 上で何があったのかしら!?」
「魔物の群れが……攻めてきたんだ。今日は上流階級の記念日らしいからそれを狙ったらしい……」
「そんな……! 被害はどうなんです!?」
「騎士団側はほとんど無傷だ……相手のリーダーが新兵を二人倒したが……あの分では治癒魔法ですぐに復帰するだろうさ」
扉の向こうの男はなぜか悔しげに言った。
「対して魔王軍は全滅だ……たった10数匹の群れだからな。それもゴブリンや……スライムやらの小物ばかり」
男が激しく咳き込む。嗚咽音も聞こえた。
「あなたも怪我してますわよね。早く上に行って治療してもらいなさい!」
「お気遣いどうも……だが、もう無理だ。俺は……ここで……死ぬ」
「何を馬鹿なこと言ってるのよ!」
私は唇を噛み締める。壁一枚越しとはいえ、人が死ぬのを看過するはできない。
「近くに鍵がかかってない!? ここを開けて! 低レベルだけど治癒魔法なら使えるわ!」
「はは……ここで囚われてるってことはアンタ、罪人なんだろ。それを開けるってのはどうもね……」
罪人。その言葉が重くのしかかる。
「罪のある人間が全員悪人だと思わないで! 早く開けなさい!」
男が扉の向こうで喉を鳴らして笑った。そして、ガチャリと扉が開いた。
「は……?」
騎士団の装備とは似ても似つかない装備。黒いマントとシンプルなアーマー。そして、尖った耳ととぼろぼろの翼。
「よう、罪人」
男は口角をつり上げた。口の隙間から鋭い歯が見えた。
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