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【子語り怪談】幸運の背中

作者: 烏屋マイニ

 通勤時間ってやつは不思議なもので、同じ時間に会社やら学校やらへ行く人たちは、互いに妙な連帯感を覚えるのです。名前なんて知らないし、挨拶の一つだって交わしたこともない。それでもみんなが、お互いをなんとなく知っている。

 灰色の背広と、白髪混じりの頭。A氏の前にあったのは、そう言う人でした。同じ通勤バスに乗る、その人の顔を、A氏は知りません。いえ、知る必要はなんてないのです。同僚でもないし、朝のこの時間以外、お互いに関わることもないのですから。とは言え、その背中はA氏にとって、ずいぶんと馴染みのものになっておりました。

 ある日の仕事帰り。ちょっと夕食でも、と考えたA氏は、ぶらぶらと繁華街を歩いておりました。独身で一人暮らしですから、家へ帰ったところで何かが用意されているわけでもありません。かと言って、遅くに自炊と言うのも面倒ですし、温めるだけの弁当を、コンビニで買うのもいささかわびしい。

 そんなわけで、A氏が向かったのは居酒屋でした。全国区ではありませんが、地元ではまずまず大手のチェーン店。ところが、店の入り口の前に、例の見知った背中がある。

 灰色の背広に、白髪混じりの頭。すぐに、ぴんと来ました。ああ、あの人だ、と。

 同じ通勤バスに乗るのですから、きっと勤め先も近いのでしょう。そうとなれば、仕事帰りに足を運ぶ店が、同じになってもおかしくはない。それでも、なんとなく(えにし)のようなものを感じながら、背中を追ってのれんをくぐると、

「おめでとうございます!」

 女性店員が、満面の笑みでA氏を出迎える。

「お客様は、当店を訪れた一万人目のお客様となります。日頃のご愛顧に感謝し、お客様には当店メニューを、これより二時間、全品半額にて提供させていただきます。どうぞ、ごゆっくりお楽しみください!」

 店員も、客も、みんなが拍手をする。何やら気恥ずかしく思いながら、A氏はカウンター席につきました。なんとなく、この幸運を分け合いたいと思い、店内を見回して、あの背中を探しますが、どうにも見当たりません。彼は一体、どこへ消えたのでしょう。

 翌朝。

 例の背中はいつもどおり、A氏の目の前にありました。昨晩の出来事について話そうかとも思いましたが、みながおし黙る通勤バスの中で、ぺちゃくちゃ喋るのは少々はばかられるので、結局、声をかけるのはやめておきました。

 ところが、奇妙なこともあるもので、A氏はその日の仕事帰りにも、あの背中を目にします。図らずも、それを追いかける格好になったA氏は、昨日のような幸運にあずかれるのではと少しばかり期待しました。

 灰色の背広は、宝くじ売り場の前で、ふと足を止めます。しかし、売り場の中を覗くでもなく、ほんのひと呼吸かふた呼吸立ち止まっただけで、再び歩き出しました。

 はて、今のはなんだったのだろう?

 A氏は宝くじ売り場の前に立ち止まり、去って行く灰色の背中を見送ります。ふと宝くじ売り場に目を向け、スクラッチくじのロゴが目に入る。そうして目を戻すと、もう、あの背中は雑踏にまぎれ、どこかへ消えていました。

 A氏は財布から千円札を二枚取り出し、窓口に差し出してスクラッチくじを十枚買いました。もんじゃ焼きのヘラを渡され、それで銀を剥がすと、アタリが二枚。

「おめでとうございます。五等が一枚と、こちらは三等ですね」

 しめて、一万飛んで二百円。今までも、何度か宝くじを買ったことはありましたが、これほどの大当たりは初めてでした。

 立て続けに二度の幸運。しかも、あの背中を追いかけている最中にです。

 二度あることは三度ある、と言いますから、また例の背中を追えば、同じような幸運に巡り会えるかもしれません。

 そんなわけで、翌日の仕事帰り。A氏は馴染みの背中を見つけるなり、その後を追いかけました。次の幸運を逃さないためにも、はぐれるわけにはいけません。

 しばらく歩くと、灰色の紳士は近くの駅へと入り、券売機で切符を買って、改札へ向かいました。さすがに行き先まではわかりませんから、ひとまずA氏は入場券を買って、後を追います。

 ところが、追跡は思うようにいきません。灰色の紳士は、人混みの間をつるつる抜けて行くのに、後を追うA氏は行き交う人たちとぶつかりそうになって、何度も足を止めなければいけないのです。

 それでも「ああ、これはもう見失うな」と思うたび、雑踏の中にふと立ち尽くす、灰色の背中がありました。まるでA氏が追いつくのを待っているような……いやいや、とA氏は首を振ります。通勤バスで乗り合わせる以外、あの紳士とA氏には、なんの関わりもありません。彼に、そんなことをする理由などありはしないのです。

 A氏は、もうはぐれないようにと足を早めました。すると、不意に人混みが途切れ、目の前は、紳士の背中だけになりました。距離を詰めるなら、今しかありません。今だとばかりに、A氏は大きく足を踏み出します。

 ところが、すぐに強く肩を捕まれ、A氏はたたらを踏みます。何事かと振り返れば、にっこりと微笑む年配の男性がいます。灰色の、地味ですが趣味の良いスーツを着ています。

「危ないですよ」

 と、男性は言いました。

 一拍遅れて、ごうと騒音が鳴り響く。何事かと目を戻せば、銀色の列車が猛スピードで鼻先を通り過ぎて行きました。

 あの背中は、もう見えません。それどころか、さっきまであったホームの床さえ消え失せています。見えるのは一段落ちたところにある線路と、対面のホームのみ。

 それが示す意味に気付いて、A氏はぞっとします。もし闇雲に、あの背中を置い続けていれば、A氏は線路に転落し、先ほどの通過列車に轢かれていたに違いありません。

 A氏は、危ういところを救ってくれた紳士に礼を述べました。紳士は「気を付けてね」と言って、人混みの中へ消えて行きます。

 それにしても、あの背中はなんだったのでしょう。あれは、A氏に幸運をもたらす背中ではなかったのでしょうか。よもや、身投げして死ぬことが、A氏にとって幸せだとでも?

 いずれにしても、考えなしに誰かの後ろをついて歩くのは、あまりすすめられたものではありません。A氏は命拾いしましたが、自分がどこへ向かっているか、ちゃんと知っておかないと、きっと恐ろしい目に遭いますよ。

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