日陰の百日紅(サルスベリ)
商店街の洒落たカフェの店頭は全く日の当たらない日陰であった。その店頭に置かれることになった陽当たりを好む百日紅の花が織りなすほのぼのとした情景の物語です。
…「うちの店はさ、玄関が北向きだし直ぐ隣は高いマンションが建ってるだろ。それに前の通りは道幅が狭いときてる。なので店頭には全く陽が当たらないのはしょうが無いのさ」と、店長は私に言った。
ここ、渋谷区にある私鉄駅へと抜ける商店街の気取ったカフェで働く瑞恵は、(確かにそうね)と想いながら「フウー」と、大きな溜め息をついた。そして足元にある萎れた鉢植えを片付けながら、道の向かいにある陽当たりの良い美容室の店頭を羨ましげに見詰めていた。
その店は常に陽射しがよく当たり、店頭の窓ガラスは眩しく輝いていて、入口脇に置かれたプランターや窓枠からぶら下がる鉢には一年中花が溢れるように咲いていた。真冬のチューリップに始まり、春にはパンジーやサクラソウが咲き誇り、それが花壇のツツジや藤の花、薔薇に代わり、その後にはサフィニアが溢れ出す。花が無くなるのは秋の一時
だけの事だった。
「でも、うちは日が当たり過ぎてねえ、結構困ってるの。夏にはよしずをかけないと店のエアコンが効かなくて暑くて大変なのよ」
と言いながら、この日も日除けのテントを張り伸ばした。そして、首に巻いたタオルで額の汗を拭きながら店頭でしゃがんでその花の手入れをしている姿は満足そうで、得意気にも見える。私にはその仕草が
「どうだ、羨ましいだろう」と言わん気にも見えてくる。その後、美容室の店主は店の中に戻る時、チラリと私の方を見たが、私はその視線を逸らした。私の心はその花達の元気な姿を観ていると段々と卑屈になってしまいそうで、そんな自分自身がとても嫌だった。
その美容室の並びにある八百屋の奧さんがそんな私を見て私を慰めようとしてるのか店頭の葦簀を拡げながら愚痴を溢してきた。
「夏場は八百屋にとっては辛いわ。日当たりが良過ぎて商品が直ぐに駄目になっちゃう。かといって葦簀を拡げると間口が狭くて商品見えないしねえ。本当、何とかならないかしら。お宅とうちの店が逆だったら丁度良いのにね」と、返って逆効果にしかならない言葉をかけてきた。それでも
(確かにそうだわ)と思いながらその時の想像をしたものの、
(なんて儚い空事かしらん)と直ぐに頭の中からかき消した。
常連のお客様からは
「ウッド造りの素敵なカフェなのだから観葉植物ばかりじゃなくて、もう少し彩りがあった方が良いんじゃない?」と幾度も言われ、過去にも色々な植物を頂いて試しに置いてみたものの、パンジーの花振りは、置いて二週間もすると茎は痩せ始め葉は細く伸びてしまりが無くなってしまったし、サフィニアに至っては全く花が咲かないままで終わってしまった。比較的日陰でも育つと言われるインパチェンスを置いてみたものの、余りにも地味過ぎて、店の雰囲気にも合わなかった。薔薇や椿は、直ぐに元気が無くなり、陽当たりの良い裏口の外に場所を移すと、そこの居場所が良いらしく、たちまち元気を回復し大きく育っている。しかし、その場所は店のスタッフしか花を観られないのである。
それでも1年の内、夏至の頃だけは店頭にも奇跡的に陽射しが注ぐ。頭上近くまで昇った太陽は僅か一時間ほどだけ、まるで私達を慰めるかの様に陽射しを注いでくれる。しかし、植物はその時間だけでは喜んではくれない。本当に「しょうが無い」という言葉がピッタリだと諦めモードで自分に言い聞かせて過ごしていた。
そんな店に、近所に住むお客様が「これならどうかしら?」と持ってきたのが百日紅の苗木だった。そのお客様の庭には薄紫色の花を咲かせる大木の百日紅があって近所でも噂の家だった。
「うちの木から枝分けした物だけれど、花振りは元気だし3か月位ずっと咲いてるのよ。だからこそ「百日紅」って言うんだけれどもね。本当は陽当たりの良い場所を好むんだけれど丈夫な品種だし、駄目元で置いてみてよ」
その言葉は嬉しかったけれども、枯らした時のことを考えると何か申し訳なくも思い戸惑いながらも、その枝には既に花芽も伸びていたので束の間だけでもと微かな希望を持ち、私は裏口から大きめの小洒落た植木鉢を運んできて、店長と2人で一緒に土入れと元肥を施した。
その百日紅は、入口脇のデッキに置かれた。目立つ場所で存在感も有り、店頭の雰囲気ともバランスも良かったのだが、何しろ日陰であった。私は心の中で
(御免ね、こんな場所に置くことになって)と、
申し訳ない気持ちに支配されたが、それでも百日紅は、数日後には最初の花を咲かせ、その後、花は次々と開花し、7月の下旬になる頃には樹の全体に小さくとも可憐な花びらを付けて満開のようになった。
店の前を行き交う人々が「綺麗ねえ」と漏らす声がテラス越しに店内まで時折聞こえてくるようになった。私は嬉しい気分となりそれからも毎日その百日紅に囁きかけるようになっていった。すると、百日紅は、その気持ちに呼応するかのように一気に花を溢れさせるようになっていった。すると、近所の商店の人達も毎日のように代わる代わる花振りの様子を眺めに来て、褒めてくれるようになると、心なしか百日紅は、得意気なポーズをとっているかの様に立ち振る舞い、時折風が吹きぬけると枝を揺らして応えて居るようにも見えた。それは、私の贔屓目からくる大きな勘違いだったのかも知れないけれど、私には確かに感情を宿しているかのように映って見えていた。
向かいの美容室の店頭では、充分すぎる陽を浴びたひまわりや、朝顔が、煌々と花を咲かせていたが、その毎年見慣れた花景色よりも、目の前を行き交う人達は百日紅の方に気が取られるようで、その事を心なしか不機嫌そうに視線を送る美容室のオーナーでは有ったが、植物同士はむしろ仲良く会話をするかのようにお互いの美しさを讃え合い競演するかのように咲き誇っていた。
百日紅はその後、9月の彼岸が過ぎる頃まで花を咲かせてくれた。しかし、秋の色合いが強くなってきた頃最後の花を咲き終えた。落葉樹である百日紅の葉は、やがて赤茶色に紅葉し、間もなく総てを落として秋の深まりとともに樹は丸裸のようになってしまった。
その後、頂いたお客様から冬場の手入れ方法と枝の剪定のしかたを教わり、年が明けた1月に入って伸びた新枝の根元から2-3の節を残して総ての枝を切り落とすと、百日紅は枯れ木の様に一層見窄らしくなってしまった。
店長は思わず「来年はもう、咲かないかも知れないなあ」と、口に漏らした。私はムキになって、「いえ、そんなことは有りません。私が絶対、咲かせて見せます」と、強い語気で言い放ちながら、その百日紅の鉢を少しでも日に当ててあげようと裏口へと運んだ。
自分の言ったことに決して自信が有ったわけでは無かった。淋しい気分にも襲われたのだが、その百日紅に向かって
(私には判るの。あなたは強い樹だわ。きっと元気に冬を越せるはず)そう心の中で話し掛けていた。
そして、私は毎日「頑張るのよ」と、声を掛けながら、その誰も観てくれない百日紅に、水遣りを欠かさない日々を続けた。
季節は巡り、春が訪れても百日紅には、全く変化が見られなかった。
「やっぱり、駄目なのかなあ」と、不安な気持ちに包まれたまま時は過ぎてゆく。
すると、季節が初夏を迎える頃になり、樹の枝には急に変化の兆しが現れた。節目の部分が膨らみ始めたのである。それから間もなくして緑の芽が同時に幾つも吹き出したのだ。気が付いたとき、私は上擦った声で店長を呼んだ。店長は何事か?と、思って駆けつけ、その後2人で手を合わせて喜んだ。その日から2人で毎日百日紅を観るのが愉しみな日課となった。そして、その気持ちに応えるかの様に芽の成長は驚くほど速く、その後、蕾も沢山付けてくれた。そして…
7月上旬のよく晴れた日、百日紅は最初の花を咲かせた。私は店長と一緒に優しくその鉢を持ち上げて店頭へと運んだ。「日陰で御免な」と、店長は百日紅に声を掛けた。その時の店長の顔が何処か滑稽に見えて、私は思わず「クスッ」と笑ってしまった。
「不遇の身の百日紅」は、今年もちゃんと咲いてくれた。去年よりもずっと逞しく、更に大きくなって立派な花を沢山たくさん咲かせてくれた。その数は夏の盛と伴に段々と増えていく。
「あらあ!今年も立派に咲いたわねえ」と、道を行き交う人々が声を掛けてゆく。私も店長も、そして勿論の事、百日紅自身も嬉しそうである。
日陰の百日紅ガンバレ!来年も再来年もずっと咲き続けてねと、私は心の中で願い続けていた。
この百日紅は、不遇な環境でたくましく生きる人々を表しています。素晴らしい研究をしているのに日の目をみない化学者や、好きな音楽活動を何年も続けているミュージシャンなど!私自身も含め、社会で輝けないでいる人を応援する気持ちで書きました。ご愛読ありがとうございました。