天国から
一
「どうした? うかない顔してるぞ」
「おれは、頭がへんてこりんになったようだ」
「へっ、今に、・・いや、まじめな話のようだな」
「おれは考え過ぎたのかなあ、へんてこなことを考えてしまったんだ。・・いや違う、頭の中にふっと思いついたんだ」
「何を?」
「天国だ、・・笑うなよ。おれは天国はあると思っている、前におまえに話したが、おれはずっとそう思っている。でも確信はなかった、それでもよかったんだが、つまり、確信ができたんだ」
「ああ、天国の話を聞いたのは覚えているよ。天国があると思っている人はたくさんいるから、それは驚かない。でもその確信ていうのは、聞いたことがないな」
「順を追って話すよ、聞いてくれ。――何も考えていないのに、ふっと頭の中に答えが出てくることがある。もちろんそのことについて考えたことがあった、考えてもわからなかったことだ」
「自問自答か?」
「いや、答えるのは自分じゃないと思う。思いつきって、自分で考え出したことじゃないようなんだ。よくこんなことを思いついたもんだと感心してしまうからな」
「自分じゃなかったら、他人か?」
「心だ」
「心は、自分だろう」
「おれは、心がいつもは自分の中にないと思ったんだ」
「どこにあるんだ?」
「天国だ」
「へぇー、それはそれは」
「バカにしてもいい、おれも頭が変になったのかと思っているよ」
「バカにはしないよ、おまえの顔を見ればまともだとわかるよ」
「すまん、おまえには話してみたいと思ったんだ」
「ああ、話してくれ」
「心は心臓にはないと思うんだ、脳にもな。脳では、考えることをすると思うんだ」
「どこにあるんだ?」
「からだ中かな。天国からやって来るんだ、それが“ふっと思いつく”ということになるんだよ。――天国とつながっている、心が天国へ行ったり、天国から来たりしているんだ」
「そうなるか」
‥
「おまえ、心の中で誰かと話したことはないか?」
「ないなあ
「おれは、心の中に誰かがいると思っていた。・・心の中で、いつでも話せるし、声も聞けるし、姿も見える」
「おまえのおふくろのことか?」
「それもある、でも他の誰かもあるんだ。誰かはわからなくても、誰かと話している。・・それが変わった、心が天国で誰かと話していると思ったんだ」
「おまえの心が、天国にいるんだな」
「ああ」
「そして、そこで誰かと話しているのか?」
「そうだ」
「天国にはおまえのおふくろがいる、・・だったら話ができるな」
‥
「怒りがだんだん納まるのは、自分だけでしたことか? 誰かがそうしてくれたとは思えないか?」
「それも、ありか」
「まあ不確かでいい、誰かと話してみるんだ、会話だ」
「会話か、どこの誰だかわからない奴と話すのか、・・おまえは何を話しているんだ?」
「いろんなことを聞いている、おれが疑問に思っていることだな」
「答えてくれるのか?」
「黙って聞いていることが多い、ほとんどだな」
‥
「自分に嘘はつけない、だから心の中で誰かと話すのも、嘘はつけない。・・おれは誰かと話をしながら、自分を見ていた、――おれはどんな人間か? とな」
「うん」
「心は天国につながっている。――天国で誰かと話をしている、そしてときどき自分のからだの中にやって来る」
「心が、天国から舞い降りて来るってか?」
「まあ、行き来しているでいいよ」
「あいよ」
‥
「思うってのは、もちろん自分だけで思っているんだが、その答えが出てくるのは、果たして自分からか? 誰かが答えてくれたというのは、まるっきし間違いか?」
「頭の中のからくりはむずかしいからな、すぐにこんがらがってくる。だから、そうなったら考えるのをあきらめなければいけないな」
「わかってる、根を詰めることはしないよ」
「うん」
‥
「どうして、いい人間と悪い人間がいるのか? どうしてそんなにも違うのか? ・・考えたことないか?」
「あるよ」
「もちろん、どうしてかわからない。それでも考えてしまう、訳を知りたいと想う。・・心だったんだ、心があるのとないのとの違いだったんだ」
「心は誰にでもあるだろう」
「おれはそれを打ち破った、まあカッコつけてしまったが、つまり心をおれ流に解釈してみたんだ」
「まあ何でもしていいけど、ひとりよがりにならないようにな」
「ああ、わかってる、それでずいぶん考えたよ。無理のないように、わかりやすく説明できるようにかみ砕いたんだ」
「それで、悪い人間には心がないとしたのか?」
「ああ、二つ目の思いつきだよ」
‥
「おまえ、自分の心の中がわかるか? 見えるかでもいいが」
「おれの心は、おれはわかっているよ」
「本当にわかっているか? おれはわかっていないと思う、わからない部分があると思う、それが成長なのかもしれない。他人から教えてもらったり、自分で学んで知ることは知識だ、成長と違う、増えているだけだ」
「へんてこだ」
「心ってのはやさしさだ、やさしい心なんだ。だから、いい人にしかないんだよ」
「悪い人には、やさしさがないって言うのか?」
「そうだ、おれもとんでもねえ、おったまげた話だと重々思っているよ。だが、心ってのはやさしい心だとすればそうなるんだ」
「やさしくない心は、何だ、どうなるんだ?」
「それは心じゃなくて、考えだよ。――いい考えと悪い考えがある、それだよ」
「つかみどころがないな、むずがゆいか、歯がゆいよ」
二
おれは母ちゃんと話をしていただけではない、大好きな人とも、理想の人とも、そして貧しい人たちとも話をしていた。――その人たちと、心が天国でいっしょだったんだ、話をしていたんだ。
「おれの心は天国にある、そしてそこで誰かと話をしている。――だとしたら、おれが母ちゃんと話すこともあたり前になる。まあできすぎだ、無謀でむちゃくちゃだ。・・自分でもあきれているよ」
「そう言えるだけ、まともだよ」
‥
「まちがっている人の心は、どこにあるんだろう? ――天国にはない、だったらどこだ? もしかしたら、心はないのか? 心ってのはやさしさとしたら、やさしさがない人がいる、まちがっている人は心はない、頭の中にある考えだけだ」
「そんなとっぴなことを考えるかあ? おったまげるぞう」
「思いつきだが、この前提で心をあれこれ考えてみたんだ」
「それが、納得できる結論に至ったのか?」
「おれの心は天国にあって、ときどきおれのからだの中にやって来るんだ。心は天国でゆっくりとうかんでいる、そう、母親に抱かれる幼子のようにだな」
「まあ、見えねえものだから、ご自由にあしらってもいいんだろうがな。――心が天国にあるとは、天地創造ものだぞ」
‥
「おまえの夢は何だ? 生きがいでも、モチベーションでもいい」
「幸せになることだな」
「幸せになれなかったらどうする?」
「あきらめるさ」
「あきらめきれるのならいい、できるか?」
「そうする他、どうしようもないだろう」
「おれはあきらめきれない、だから死んだら心が天国へ行くと思いたかった、・・それが現実味を帯びてきたんだ」
「よござんした」
「ああ、まさしく、天にも昇る気持ちだよ」
「うまいねえ」
‥
「頭の中にあるものを、ずっと“心”と“考え”の二つに分けていたんだ」
「まあ待て、言いたいことはわかる、だがそれを話すと頭がこんがらがってくるぞ」
「誰もきれいに説明できないことだ、むずかしいことはわかっている。でもおれは悪い奴らのことを考えると、ここに突き当たるんだ」
「悪い奴らのことは、わからないでいいんだよ」
「おれは、わからないではすますことはできない」
「おまえは、正義感が強いんだよ」
「“悪い心”ってないだろう、心っていいものだろう。愛とか、慈悲とかに言い換えてもいい。おれはわかりやすい言葉で、“やさしさ”としたんだ。――心は、やさしさなんだとな」
「悪い奴は、どうしてやさしさがないんだ?」
「境遇かな? 環境かもしれない、そいつだけの責任じゃないんだろう」
「皆無か?」
「“少しはある”としたらややこしくなるから、“ない”として考えたんだ」
「ふーっ、・・ため息が出るよ」
‥
「赤ん坊や幼い子どもの心が考えやすいよ。みんな心があって、天国で話を聞いている」
「うーん、なるほどなあ」
「みんな純粋でひたむきだ、あの笑顔は文句なしにかわいい、愛らしいよ」
「その心がどうなって、悪い奴らはなくなるのか?」
「入って来るのを、考えが押しのけてしまうのかなあ、お金とかの欲だよ」
「欲は何だ?」
「考えと感情を足したものか?」
「まあどうでもいい、心じゃないものだな」
‥
「おれは何度も経験するんだ、どうしてあの人はあんなにやさしいんだろうって思うこと」
「あるなあ」
「親とか身近に誰かそんな人がいるのかとも思うが、そうじゃないみたいでな。それが、天国でやさしさを教えてもらっていると考えたら、しっくりいくんだ」
「なるほど」
‥
「遠く離れて会えない家族とも、心は話ができる。まあ、天国で心が話しているってのは、会っているということなんだがな。会っているし、声も聞こえる、顔や姿も見えるんだよ」
「何かいいなあ、何かありえそうだなあ」
「ふふふ、少しずつそんな気になってくるだろう。おれも最初にひらめいた後、整理整頓できるまでずいぶん苦労したよ」
「ほう」
‥
「おれは現実だけを見て生きているのは、つらい面があると思っているんだ。少しは現実離れしてもいいんじゃないかとな、バカみたいな話でも少しぐらいはまじめに考えてもいいんだよ。それも夢だよ、希望であり喜びだよ」
‥
「一人でいるときに心を意識する、ゆっくりとしているときもだ。心がからだに入って来たときが、そういうことなんだろう。ふだん生活している中で、心は意識していないんだろう、つまりからだの中にないんだろうな」
「まあ、あるときとないときがあるってことだな」
「これも中間を考えたらややこしくなる、あるなしで考えているよ」
三
正しい人たちの心は天国にある、天国で誰かといっしょにいる、そして話をしている。ときどき心が天国からからだの中にやって来て、やさしさをもたせてくれる。たまにふっと思いついたこととして、何か頭の中にうかべてくれる。
まちがっている人たちには心はない、生まれたときからずっとあったけれど、あるときなくなってしまった。感情は心と違う、生まれもっている本能というか、反射神経のようなものだ。誰でも同じで、大きい小さいがあるだけだ。
感情の他に考えがある、つまりまちがっている人は考えと感情だけということだ。考えは頭の中にある、感情もそうだろう。
考えや感情に、心が関与することもあるんだろう。気持ちは、この3つが合わさったものかなあ? まあそんなとこでいいだろう、ちょっと簡単に決めすぎかなあ」
‥
「世間では、死んだら天国で会うって言うけれど、今も会っているから、もうそういうことも考えないね」
「死んでも、心は今と同じということか?」
「そうしたら、死も恐くないだろう」
「おれはあきらめるって」
「全てなくなってもいいのか?」
「いいんだよ」
「またそう言う、そんなにあきらめなくてもいいんだって、なっ、天国に行けるんだよ」
「おまえはそうしろ、おれはいい」
「わかった、まだ話は続く、結論はまだ出さないさ」
‥
「“考え”、“感情”、“気持ち”、“心”の中で、心が一番つかみどころがないよ。おまえの言うように、“いいもの”だけかもしれない、いやそうだろう。心ってそういうものなんだろう」
「うん、きれいなもので、清流のように汚れなんかないんだよ」
‥
「何かの判断に迷ったら、“心”に任せてもいいんじゃないか、おれはそうしているよ」
「おまえ、区別がつくのか?」
「だんだんわかってきたよ」
「すげえな」
‥
「心がなくなったら、また心があるようにならないのか?」
「ならない、悪い奴は心は戻らない」
「おまえ、強くなったなあ」
「悪い奴がいるから、貧しい人たちはつらい生活をしているんだ。いなかったら、幸せになれたんだ」
「赦せないんだな」
「赦せない。どうして他人を犠牲にして、自分だけが贅沢な生活をできるのか?」
「わかった、もういい、それでいいよ」
「おれは、準備じゃないけれど、天国へ行きたいとがんばって、その結果が行けなかったとしても、がんばったんだからそれでいいと思っていた。――違っていた、もう心は天国に行っているんだ」
「わかった」
‥
「悪い奴の心は、その人のからだに入れないんだろうな」
「入れないだけで、天国にあるのか?」
「それはどうかな、考えていないよ」
「悪い奴が正しい人間になったら、また入れてやればいいさ」
「悪い奴は変われないんだよ」
「変わったらだよ」
「ああ、いいよ、それでいいよ」
「いいのか、そんなもんで?」
「そんなもんだよ。考えなんて、そんなもんだよ」
‥
「お腹をへらしている子どもがかわいそうだった、おれは写真を見るたびに心が痛んだ、ずっとそうだった。でもな、心が天国にあると思い立って、おれはその子どもたちといっしょになった気がしているんだ」
「そうか」
「かわいそうだけじゃなくなった、いっしょにいる、いっしょにいて話をしているんだよ」
「楽になったのか?」
「少しな、ほんの少しだがな」
「よかったな」
「ああ」
‥
「おれは死ぬことにいまいち覚悟ができなかった、できたと思えなかった。・・それができた、やっとだ、間に合った」
「大したもんだ」
‥
「おれはおふくろと話している、そして大好きなゴッホともよく話しているよ」
「おまえは、ゴッホが好きだからな」
「ずっと話していて、絵のメッセージも教えてもらったよ」
「そうか」
「どうした?」
「おれは心があるかどうか、わからないが・・」
「おまえはあるよ」
「そうか、いや、もしおれに心があるとしたら、おれの心は天国にあって、そこでおれの知っている人の心と話ができるってことだな」
「ああ、そうなるな。たぶん、天国では話を拒む心はないだろうな」
「そうか、いいねえ」
「誰だ? おまえの知っている人って?」
「えっ、へへへ、それは、それでいいじゃないか」
「なあんだ、そうか」
「まいったなあ」
四
そうかあ、心は天国にいるのかあ。生まれたときから死ぬまで、ずっと天国にあって生きている、そして天国からその人のからだの中に入っていって、やさしさを与えている。
からだが死んでも、心は天国にある。そしてたくさんの心といっしょにいる、からだが死んだ人の心とも、からだが生きている人の心とも話をしている。・・いつまでも、そういつまでも。
「おれにやさしい心がないときがある、それが多い。でもやさしい心がある方が多い人がいる、すばらしいと思うよ。おれも、そうありたいと思っているよ、切実にな」
「自分ではどうしようもないのか?」
「いや、そう思えばいい、そうなるように努力すればいいんた」
「どうするんだ?」
「そうありたいと思うことだろう。貧しい人たちのことを思う、自分も貧しい人たちに近づこうとがんばることだろうな」
「わかった、後は自分で考えてみるよ」
‥
「やさしい心はいただいているんだ、感謝していただくんだ、人生の恵みであり褒美だよ。がんばった人しかもらえないんだ」
「心っていいなあ」
「ああ、最高だよ、人生の喜びであり、贈り物だよ」
「天国にいるんだよな」
「ああ、すばらしいところだ、やさしさでいっぱいだ」
「幸せなんだろうな」
「おれたちが考えられる幸せ以上だろう」
「そこから、今でもやって来ているんだな」
「自分がやさしい心になっているときがあるだろう、――天国からやって来ているんだ」
「そうだったのか」
「自分でやさしい心になったと思うか? 天国からやって来たと思う方が納得がいかないか? やさしい心になって誰かを助けてあげたら、それはすばらしいことだよ」
‥
「神はちょっとな、でも天国は想像ができる。つまり、たくさんのやさしい心がいて、話をしている。――天国とつながりを感じることができる、心がわかるんだ」
「そんなことを思いつくのは、前代未聞、世界中でおまえ一人だけだぞ。まあすげえなあ、昔の人だって誰も言ってないよ」
「そうかなあ」
「へっ、驚き、桃の木、山椒の木だ。木がどれだけあっても言い足りねえ」
「おれが思いついたんじゃなくて、天国で誰かがおれに話したんだ、つまり誰かの心がおれの心にな。・・おれがそんな大それたことを思いつくわけないだろう」
「わかってる、だがおまえの頭の中にうかんだのは本当だし、すげえことなんだよ」
「でも、世間には話せないな、話せるのはおまえだけだ」
「それもわかる、世間に話したらバカにされるだろう、でもおれはバカにしないからな、すげえと思っているよ」
「ああ、よかったよ」
「なあ、何とか世間に話せないかなあ、この話を聞いて喜ぶ人がたくさんいると思うんだがなあ、助けられる人もいるんだがなあ」
「だったらいいな」
「話してやりたいな」
「正しく生きている人は気づいていないだけで、心は天国にあるんだ。そして死んだら、そのまま天国にいるんだ」
「うれしいだろうな、どんなに喜ぶことか」
「そして、同じように正しく生きている人たちの心の話し相手になるんだ、もちろん自分の愛する人たちの心とも話すんだよ」
「見守っているんじゃない、話しているんだな」
「ああ、いつでも会っている、話しているよ」