青へ還る
久しぶりに書きました。どうかお楽しみください。
寂れた時代の寂れた国、その中の寂れた地域にある寂れた工場で寂れた僕は寂れた歯車を回す。視界に映るものの全てが灰色なのは、僕の目自体にフィルターが装着されてしまっているからだろうと思う。クルクルというよりガコガコと回る歯車が回ることでどこの人がどんな恩恵を受けるかなんて知る由もない。
必死に稼いだ微々たる金の殆どは、その金を稼ぐのに必要な肉体を維持する為だけに使われた。街のマーケットに買い物に行けば、僕のように目にフィルターをつけたゴミどもがたかが数円分の値切りの為に声を張っている。そこの店主が折れたのを確認すると、そのことを盾に僕も店主に声を張り上げる。
大抵が灰色のこの世界でたった一つ色彩を持つものがある。空だ。
空は青かった。
一枚の板のようにも、または海のように無限の幅を持つようにも思えるその青さ。あそこにきっと神様がいるのだろう。
しかし空が青いことに意味があるとは思えなかった。なぜなら絶対に触れることができないからだ。少なくとも僕のような人間には触れられないものに割く心の余裕などない。
人間は皆下に向かって帰る。還る。汚い空気が溜まる下へ下へ。そんなところに帰りたいなんて、還りたいなんてどうかしている。どこからどう見てもそこは灰色にしか見えない。それならこの街の真ん中で野宿をしたって、の垂れたって一緒ではないか。
今日は上へ帰ろう。還ろう。青い世界へ。澄んだ空気を吸いながら僕の歯車の行先を見てみたい。
僕はできるだけ高い建物を探す。登る。そして上へ。青へ。飛ぶ。神様。どうか。神様。
重力を感じた瞬間、僕はやはり灰色の世界に還った。
お読みいただきありがとうございました。感想お待ちしています。
宇宙葬を除く多くの埋葬方法では結局の終着点は地な気がしています。神様は上にいるとされているのに。
だから燃やして煙だけでもと言った考え方や宇宙葬には共感できる部分があるような。