恋は盲目
ペドロのイメージは醤油系イケメンです。
舞台設定的にはスペインあたりのイメージです。
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マリアが小麦を刈る小麦畑のすぐ近くの畦道を、馬に乗った青年が数人のお供を連れてフランティート家の邸宅に向かって駆けていった。
真っ直ぐ前を見て走っていく青年を、マリアは額の汗を拭いながら眩しく見つめた。
「ねえ、テレサ。あの人誰なの?」
「ああ、あれはペドロ様って言って、この領地のお坊ちゃんだそうだよ。かなりイケメンだよね。でもああ見えて、もう三十路のおじさんなんだってマリーさんが言ってたなぁ。マリアの好み?」
「そ、そんなんじゃないよ。ただ見ない顔だなぁって思っただけで。」
「焦っちゃって、可愛い〜。」
「お姉さんを揶揄うんじゃありません。」
無駄口を叩きながら楽しく作業に戻ったけれど、マリアは一瞬だけ見たあの青年が頭から離れなかった。
そうなると、もう、どこかにあのペドロという青年がいないか目で追ってしまう。
確か貴族年鑑に南東の辺境伯令息でペドロという人が居たはずだ。自分としては、遠方に送られるだろうと思っていたから父親の方ばかり気にしていたが今になると家に帰ってもっと読みたくなるのだから不思議なものだ。
当たり前だが、季節労働者のマリアがペドロに会える機会なんてそうそうない。
しかしマリアは妖精にお願いをして、彼がどこにいるのか教えてもらった。
―――マリア!ペドロ、ハゲと話してる
―――マリア!ペドロ、ごはん食べてる もうすぐ部屋に帰りそう
―――マリア!ペドロ、起きた 中庭で運動してる
気になって気になって、移動するときや朝の中庭での稽古もこっそり覗くのがすっかり日課になっていた。
初めての一目惚れだった。
姿を見かけるだけで胸がドキドキする。
さりげなく移動中にすれ違うように、使う必要のない廊下を使ってみたり。
いつもより身嗜みを整えてみたり。
でも、この先どうしていいか分からない。
話しかけるきっかけも、身分が余りにも違いすぎてない。こんな季節労働者の自分が気安く話しかけられる人物では無かった。
捨てた伯爵令嬢の人生ならば或いはと思いもしたが、マリアを愛してくれる家族はいない。自分が希望したことは却って阻止されるだろうと思って八方塞がりになって、ままならない恋心を抱えてその夜はこっそり枕を濡らした。
◇◇◇
ペドロは南東の辺境領と呼ばれるバルシア領主の嫡子として生を受けた。
現在のバルシア領主は56歳で、妻との間に、32歳になるペドロの他に、30歳のギヨーム、26歳のドゥルセ、22歳のマファルダの4子を設けている。
ペドロ以外はそれそれに結婚して子供も生まれているのだが、ペドロは不幸なことに婚約者を立て続けに亡くしてしまっている。
ペドロの許婚だったジャンヌは幼少時代をともに過ごしたが、ペドロが14歳の時に落馬によって呆気なく命を落としてしまった。
激しく落ち込むペドロのためにとあてがわれた娘は遠方の親戚の娘で、穏やかにジャンヌを亡くしたペドロに寄り添ってくれた。遠方にいるので時々の訪問だったが、ゆっくりと距離を縮めて行って、ペドロが20歳になりようやく婚姻の準備が調った。結婚式のために向かう道中で鉄砲水に巻き込まれて亡くなった。
ここまでくると流石のペドロももう正式に妻を娶らなくてもいいのではないか、自分が妻に望むと皆死んでしまう、と嘆いて酒に浸り、女遊びも激しい時期を何年も過ごした。
ペドロがそんな様子なので、家族も彼の結婚を強く勧めなくなった。
ペドロ自身女性が嫌いというわけでも、恋愛に臆病なわけでもなく、婚約者たちを失ったあとでも恋人はたくさんいた。それでも、一歩踏み込んだ真剣な恋に落ちることはどうしても無意識に躊躇していたことを家族は知っていたし、傷ついた彼を労しく思っていた。
その間に、弟のギヨーム、妹のドゥルセ、マファルダは結婚しそれぞれ子供を設けた。
王都では、辺境伯は滅多に社交の場に来ることはないのだが、結婚した弟妹たちは社交会へ挨拶にいきその際兄がいること、結婚について現在は諸事情あって消極的であるとやんわり伝えたところ、「モテない」と勘違いされて話が広まっていた。
家族は頭を抱えたが、同性主義者だという話もちらほら出たりしていたので、変な噂よりはまだモテない方がマシだと思ってそちらの方向で噂を放置していた。
ペドロ自身はそんな噂は全く預かり知らないし、知っていてもどうでも良いと思う性格だったが、父とは自分の身の振り方についてよくよく話をしてた。
それは、今は結婚を考えられないが、自分は領主の地位を継ぐ意思がありいずれ義務として子供を設けるつもりであるということ、万が一結婚できない場合はギヨームの息子のいずれかを養子として領主として育てたいということで合意していた。
ギヨームとの兄弟仲はすこぶるよく、ギヨーム自身はペドロがいつか心の傷を癒して誰かと幸せに添い遂げられることを心から祈ってくれていることをペドロ自身知っていた。
だから、もしもの時にギヨームの息子を指名することができたのだった。
家族は誰もがペドロを深く愛し、彼の意思を尊重している。
実際にペドロが立派に領主代行としての仕事をこなしていることで、一体となって皆で支え合っていこうという愛に包まれた恵まれた家族だった。
ペドロ自身は栗色の柔らかな髪に真っ青な大きな瞳でキリッとした眉をもつ端正で清潔感ある青年だった。領地の自警団の訓練にも率先して参加していたし、引き締まった体躯が色気を醸し出していた。マリアが目を奪われるのは、当たり前のことだというくらい、とてもカッコ良かった。
一度でもペドロが王都で社交をしていたら、翌月には嫁いでくる令嬢はたくさんいるだろう、というのは領主家に仕える執事の言い分である。
◇◇◇
マリアがペドロに一目惚れをして、話しかけることもままならず気落ちしていることを妖精たちは気にしていた。
ーーーマリア、元気ない 大丈夫?
「うん・・・ありがとう。」
小麦を鎌で刈って、集めて、また刈って、という作業をしているうちにあっという間に日が高くなっていた。ただでさえ暑いこの季節、ぽたぽたと汗が落ちる。目にも汗が入って滲みる。
屈んでいた腰を立ててトントンと叩き、ふうっとため息をついたマリアは、せめて偶然でもいいからお話ししてみたいな、と思わずポツリと呟いた。
妖精たちはぱあっと目を輝かせて、さっとどこかに消えてしまった。
「もうっ・・・人が落ち込んでるっていうのに。薄情なんだから。」
マリアはいつもみたいに自分の周りをパタパタと飛び回って元気を出してと口々に励ましてくれるに違いないと思っていたのにあっという間にどこかに行ってしまった妖精に、ぷくっとなった。
そして午前の作業に戻っていった。
程なくして休憩に入った。
夏の作業は太陽が出ている間は具合が悪くなってしまうので、朝日の出と共に作業をして、10時頃には建物の中で出来る作業に移るのだ。
水を飲んで早朝から働いて疲れた体を皆休めている。
そこにペドロがやってきたのだ。皆ざわめいて、頭を下げる。マリアは自分がこんなヘロヘロの時に会うなんて!(実際には「見る」なんだけど)と心臓をバッコンバッコン言わせていた。
「あ、いや、皆が疲れているところすまない。楽にしてくれ。」
そう言うとペドロは収穫を管理している人のところに行って今期の収穫の傾向や今後の様子を聞いていた。
ーーーか、かっこいいー仕事出来るって感じ・・・
マリアはそれはもう目をハートにしてペドロのことをチラチラと見ていた。
「やっぱりマリアの好みじゃん。わかりやすいんだから。」
とテレサがニヤニヤしながらこちらを見る。
「もうっ・・・!」
と言いながら、もうそんなんじゃないんだから、とは言わなかったマリアだった。
その後、昼餉まで脱穀の作業をしたりしているうちにあっという間にペドロはどこかに行ってしまった。
ーーーあーあ。せっかく見ることができても、話しかけることができないんだもの。
マリアは残念に思ったけれど、お昼ご飯をチャチャっと食べて、近場にある湖に行くことにした。
お昼休憩は長く、昼食と軽い午睡を取った後、3時からまた屋内での作業と夕方から収穫作業がある。
それまでに、朝の汗を流したくて湖に向かったのだ。
水を固く絞った布で体を拭いてさっさと昼寝をする人の方が多い。だって、午後だってどの道汗だくになるのだから。それでも乙女マリアはいつ何時ペドロに遭遇しても「汗くさっ」と思われたくなくて湖に向かったのだった。
小麦畑とその作業場から湖は歩くと少し距離があるので、せっかくの休憩時間をわざわざ削ってまで湖に行こうという酔狂な仲間はほとんどいない。この辺は広大な畑だから、この家の人や労働者が行かない湖はほとんど人に会うことはないのだ。実際、今までに耐えきれなくて妖精に導いてもらい数回湖に行ったが困ったことにはならなかった。
今回も、マリアは急ぎ足で森の中を歩いて行って湖で服を脱いで水を浴びていた。
誰もいない、ということを固く信じすぎていて全裸ですいすい泳いで楽しいひと時を過ごしていた。
水面は太陽の光を受けてキラキラとしていて、マリアの美しい髪にもあたりヴィーナスもかくやというほど美しかった。
その頃、ペドロは今年の収穫の状況を聞いてフランティート家の人たちと昼食をとった後、馬を走らせて湖にきていた。マリアと同じく、火照った体を少し冷やしたいと思ったからだ。
歩けばそれなりの距離だが、馬で駆けてくればあっという間の距離。マリアはそんなことちっとも気がつかなかった。
湖についてすぐ、ペドロは馬に水を飲ませてやった。冷たい水を美味しそうに飲んでいる馬をさすってやる。馬を木に繋ぎ、さっと服を脱いで下着になると湖に飛び込んだ。
冷たい水が気持ちいい。
仰向けに泳ぎながら青い空を流れる雲を見て、ぷかぷかと漂っていた。
そして、マリアはというと。
気持ちよく泳いでいたところに突然バシャン!と大きな音がしたかと思うと、明らかに男性が同じように湖で泳いでいる様子が見えた。
こちらに気がついていないようだけれど、隠れていたところで湖畔に脱ぎ捨てられた服がどうか見つかりませんように、どうかこちらを見ませんようにと、そーっと離れた場所で木陰が落ちているところまで泳いでいく。
いくらなんでも全裸の年頃の娘が、誰も来ない湖にいたらもうそれは、駄目だ、というのはマリアでもわかる。あまりにも無防備にぽいぽいっと服を脱ぎ捨てて隠しもしなかったことを悔やんでも悔やみきれない。
その男性がどこの誰なのかもわからなかったので、マリアはとにかく恐怖の只中にいた。
そっと、妖精を呼ぶ。
ーーー妖精さん、妖精さん、どうか私の服を急いで持ってきてくれないかしら
そう言って妖精に服を運んでもらう。
妖精たちは、マリアの願いを聞き入れると、ぴゅっとひとっ飛びして服を持ってきてくれた。
そう。ペドロの上空を横切って。
ペドロには妖精は見えないので、何かがビュンと自分の目の前を通って行ったように見えた。あまりにも驚いて思わず溺れかけて、バシャバシャと音を立ててしこたま水を飲んでしまった。むせて涙目になりながら服の飛んでいった方を見ると、水の女神かと思うような美しい女性が何も身につけずに湖から上がるところだった。
思わずあまりの美しい光景にぼーっと見惚れてしまう。
妖精たちが、肝心なところはちゃんと見えないように光を曲げてキラキラさせたり、花を飛ばしたりと地味な努力が神聖な雰囲気をさらに演出してくれたのだった。
水の女神はこちらを振り向いてその大きな瞳をさらに丸くしたが、さっと森の奥に行ってしまった。
ペドロは今見た光景が信じられなくて呆然としたが、湖畔で馬が嘶いてくれたのでハッと正気に戻り、慌てて湖から上がった。体をざっと拭いて馬に乗ってもと来た道に戻ったが、どうしても女神の姿が目に焼き付いて離れなくなって、その日は一日何も手につかなくなってしまったのだった。