大海を知らない蛙、空の青さも知らず ③
7月5日 午後13時34分更新
7月6日 午後12時17分更新
〜同時刻〜
「……◇×〇〇%△」
燼鎚を担ぎ、耳障りな異音を奏でると意思に反しヴォージャンは一歩、二歩とその場を後退していた。
悠が使うアビリティで淵嚼蛇の運用頻度が、一番高いのは明白だ。淵嚼蛇を身体強化に活用する新たな方法が実現したのは、練度が高まった証であり低い状態では発動しなかった。
戦闘に於ける一瞬の閃きは、時に千の稽古に勝るが相手には災難でしかない。
……命を脅かされた経験がない故、目の前の男がどれ程の脅威か理解できないのは致命的な欠陥だ。
ヴォージャンは凶暴で強いが決して最強じゃない。
大海を知らない蛙、空の青さも知らず……蛙と表現するには過小評価が過ぎるか?
…まだ、だ!……渾身の一撃を…俺が殴れば死ぬ、死ぬ筈なんだ!?
哀れにも通じなかった手段に縋り、叫び飛び掛かる。燼鎚の鎚が右拳と直撃し爆音が鳴った。
あっ……あぁ…ああああああああああああぁっ!!
右掌が爆発で四散し橈骨が露出……赤い肉花が咲き、一方的な蹂躙が始まる。燼鎚・鎌鼬鼠による攻撃は、みるみるヴォージャンの肉体を破壊していく。爆発する殴打と炎の斬撃は地獄の業火のようだ。
最早、ヴォージャンに思考の猶予もなく、鎚の先端が瞳に映った最後の光景となり絶命した。
〜午後17時14分 ケンドル湿原 沼地の崖道〜
頭部を失い、重力に従ってヴォージャンの体は倒れる。
最後の全力ラッシュで見る影もない程、惨憺な死骸と化してしまった。焼け焦げ嫌な臭いを漂わせている。
「痛ったぁ…!」
淵嚼蛇を解除した途端、酷い筋肉痛と疲労が襲った。
……こ、これは結構きついぞ?
禍面・蛇憑卸に及ばなくとも反動は大きく、連続発動は難しいだろう。
まぁ新たな発見を素直に喜んでおくか!
「さて…」
怪我を負ってるものの三人は無事だ。話を聞く前に治療を済ませよう。
〜数分後〜
特製エックスポーションを飲ませると三人は、平伏しそうな勢いで頭を下げる。
「本当に何てお礼を言ったらいいか……!!」
「大丈夫、大丈夫」
「……クロナガさんが来なきゃ今頃、俺達はヴォージャンの腹の中でした」
「間に合って良かったよ」
「お、俺…あの時、死ぬんだと思って…」
「うんうん……助かって何よりだ」
穏やかに頷き答える。三人はかなり興奮していた。
命の危機に瀕し精神が昂ぶっているのだろう。
ガルカタ大聖堂攻略の際も、幾度か危機的場面に直面したが俺とベアトリクスが居た。
しかし、今回は違う。
……死を覚悟してても死んでもいいって訳じゃない。指定危殆種が相手なら尚更、怖くて当然だ。
「私の見通しが甘かったんです……討伐は無理でも撃退はいけると思って………犠牲者が出てる以上、見過ごせなかった」
メンデンは俯き喋った。
「二人は反対したのにっ…」
「……メンデン」
「…お前が悪いわけじゃないよ」
自分を責めてしまう気持ちも分からないでもない。
「貴重な経験をしたと思って次に活かせばいいさ……可哀想だが救えない命もある」
「そう、ですね…」
「背負って強くなるしかない…だろ?」
それは自分に対しての言葉でもあった。
「…はい」
「本当に無事で良かったよ」
全員救えれば最良……しかし、現実はそう甘くない。
せめて遺体は弔えれるよう手配しよう。
「……クロナガさんは強過ぎる」
セバスチャンが神妙な顔で俺を見詰めている。
「ん?」
「正直、貴方より強い人やモンスターが想像できない」
「あ、あぁ!十三翼でもトップクラスだよな?」
目元を拭い、サイトが同意する。
「……俺が言ってるのはそーゆー意味じゃなくて」
「どうしたのセバスチャン?」
「もっとこう別の…」
「別のなによ」
「だ、だから」
胸中の感想を上手く言葉で表現できないようだ。
「指定危殆種は他の十三翼も討伐してるだろ?」
「それはまぁ……はい」
「ゴウラさんは余裕で俺より強いしな!ゼノビアさんもヤバいぞ」
「……」
十三翼はギルドに保管されている討伐記録を自由に閲覧できるので、フィオーネに頼み見せて貰った事がある。ゼノビアさんの指定危殆種のモンスター討伐数は群を抜き、ゴウラさんを除いてはナンバーワンだ。
「……っとそろそろ戻ろうか?」
「了解です」
「ヴォージャンの死骸は俺が持ってくよ」
「遺体はどうしますか?」
「無縁仏じゃ可哀想だし埋葬して貰うようにする」
俺達は道を引き返し沼地へ戻った。
〜午後17時33分 ケンドル湿原 沼地の崖道〜
「…ほ、本当ですか!?」
「あぁ。でもその花のモンスターは変わっててーー」
道中、前を歩く悠の隣でサイトは土産話を夢中で聞いている。……窮地を颯爽と救われ、彼は悠に強い尊敬の念を懐き始めていた。
「ふふふ」
メンデンは二人の後ろ姿を見守り微笑む。
「……」
「……どうかした?」
一方、セバスチャンは難しい顔をしている。
「あ、いや…」
「さっきから変よ」
少し間を置き彼は喋り出した。
「……騎士団へ入団した当初、マスターの戦闘を見た時にこれ以上、強い人はいないと思ったよ。でも、上には上がいて……『金獅子』は更に別次元だ」
「?」
メンデンは意図が分からず首を傾げた。
「でもクロナガさんは、それ以上の怪物だと思う」
この一言に彼女は眉を顰め頬を膨らました。
「ちょっと!酷い言い草じゃない」
「勘違いするなよ?…俺も尊敬してるさ。マスター以外で心の底から、信頼できる冒険者は他にいないし」
「うんうん」
「……でも、クロナガさんに勝てる奴が想像できないな」
不自然な言動を繰り返すセバスチャンが心配になった。
「貴方、疲れてるんじゃない?ちょっと変よ」
「…ん…そうだな」
単純な強さではなく根本の違いを彼は感じていた。
それは他の二人と違い、先の戦闘で深淵の一端……祟り神の狂気に僅かながらも充てられた所為である。
……最強とは最たる強さを示す称号だ。
矛盾するが、その称号を持つ、または目指す者が覇を競う。
しかし、悠は別で禍々しく異質な強さ……最凶へ至る深淵の野を歩んでいた。
競う相手も、先を歩む者も、後に続く者もいない。
「ははは!違う違うって」
「えー…」
朗らかに喋る悠の横顔を見てセバスチャンは……メンデンの言う通りくだらないことを考えていた、と思い直す。
思い直す必要のない真実なのに。




