大海を知らない蛙、空の青さも知らず ①
6月29日 午後19時13分更新
6月30日 午後13時27分更新
7月1日 午後12時30分更新
〜午後17時 ビガルダの毒沼 キャンプ場〜
霧の裂け目を抜けキャンプ場へ戻ると、丸太小屋に大多数が詰め寄り暴動寸前だった。
「……まだ救助は来ないの?」
「このままじゃジリ貧だぜ…」
「落ち着け」
「落ち着けないわよ!指定危殆種のモンスターが陣取ってるのよ!?」
苛々してるのか女性の冒険者が叫ぶ。
「救難要請はしたんだ。今は待つしかない」
マルタさんが宥めているも焼け石に水だ。
「待つっていつまでだよ!さっき討伐に行った連中も戻って来ねぇし…」
不安で皆、情緒不安定なのだろう。
「……確か鉄騎隊の隊員がいたわよね。彼等に頼んで『荊の剣聖』に来て貰うのはどう?」
「そ、そうだ!『荊の剣聖』ならヴォージャンだって簡単に」
「その三人が討伐に向かったんだ」
遮るようにマルタさんは告げた。
………何だと?
その一言を聞いて眉間に皺が寄る。
これは悠長に構えてる場合じゃないぞ!…場所はあっちか?
表示した未開拓のマップの先に赤マークが爛々と点滅し三つの白マークと衝突し合っている。
俺は湿原を繋がる入り口へ急ぎ向かった。
〜同時刻〜
「それじゃどーすんだよ!?救難信号を送って三日経つのに音沙汰もないし八方塞がりじゃねーか!」
「このままじゃ死んじゃうわ!」
泣き言を喚く全員にマルタは内心、辟易していた。
「……お前さん達は此処が何処か分かってねぇな」
パイプを咥え火を点け吹かす。
「どーゆー意味よ!」
「危険区域っつーのは命の保証もねぇ全部、自己責任の場所……其処に望んで来といてよぉ…フゥー……窮地の一つや二つで騒いでみっともねぇと思わねぇのかい?」
「!」
「そ、それは…」
核心を突かれ先陣を切って騒いでいた男女が黙り込む。
彼の言う通り強制され、足を運んだ訳ではない。各々、目的があり自己判断で来たのだ。
……それでも責めるのは酷だろう。死の恐怖を前に冷静でいられる剛の者は滅多に居ない。
「腹ぁ括って黙ってろ。死ぬときゃ一瞬だ」
残酷な真実を無慈悲に突き付ける。
「うぅ…」
「こ、こんな最期かよ…」
悲痛な声が伝染し啜り泣く者が続出した。
「奴さんが居れば……へっ」
マルタは呟き鼻で笑う。
悠が一週間で戻って来るのは、不可能と思い直した。
自分とリョウマでさえビガルダ宮の探索に一ヶ月以上費やしたのだ……諦める他ないと。
しかし、実際は帰還し既にヴォージャンの討伐へ向かっていた。
図ったようなタイミングの良さである。……それは彼等にとって幸運でヴォージャンには不運でしかない。
〜午後17時4分 ケンドル湿原 沼地の崖道〜
数十mの岩壁が切り立つ殺風景な狭い道……無惨に食い荒らされた遺体が数体、転がっていた。
ーーヴォアアァッ!!
「唸れ風よ!ストー!?がはぁ…!」
ヴォージャンの咆哮の衝撃波で、魔法を遮られたメンデンは壁際まで吹き飛び他二人も攻撃を中断する。
「さ、流石は指定危殆種だ…」
「ペッ!…攻撃が半端ないな」
「……ハァ…ハァ…泣き言を言ってる暇はないわよ」
流血、骨折、打撲……満身創痍の姿で武器を構える。凄惨な連撃は、三人の心と神経を擦り減らしていた。
『暴獣必撃』と『狂打』のスキルを最大限発揮し、ヴォージャンは獲物を蹂躙し貪る。
暴獣必撃は全攻撃にクリティカルダメージを発生させ、凶打は貫通の特殊効果を常時エンチャントするのだ。
更には、自己強化スキルまで保有する。
凶暴且つ無作為に襲う性質で、指定危殆種に分類される攻撃的な魔物……視界に入る全てが敵なのだ。同種間でさえ共食いし交尾は雄が雌を瀕死にして強姦する生態……『魔猿』、『無慈悲の拳』、『害悪なる者』の異名に相応しいモンスターだ。
ーーギャアアアアアアアァッ!
ヴォージャンは岩壁を砕き巨大な塊を徐に投擲した。
「……嘘、だろ!?」
「き、緊急回避っ」
三人は直撃寸前で回避するも、岩石で道が塞がり退路を断たれる。
「痛っ!?」
サイトが着地に失敗し足を挫き転ぶ。
……格上の強敵を相手に一瞬の隙も許さない緊張で疲労とダメージは予想以上に蓄積していた。キャンプに居る他の冒険者・傭兵では、ここまで奮闘すること自体無理だろう。
「……くそぉ!」
当然の如く魔物は追撃に転じる。
「サイトォ!!」
「た、体勢を立て直せ!?」
ーーギャアアアアアアアァアアァッ!!
雄叫びと共にヴォージャンは物凄いスピードで距離を詰め右拳を振り上げる。
「あ…」
その時、サイトの目には全てがスローに映った。
岩の破片、叫ぶ仲間、ヴォージャンの瞳、迫る巨拳……そして過去の記憶が次々と脳内を駆け巡る。
死の直前に見る走馬灯だ。
……俺はここで死ぬ、と彼は悟った。仲間と両親…そして恋人への感謝と謝罪の念で一筋の涙が伝う。
ーー……アギャッ!!?
次の瞬間、風切り音が響き大きな拳がヴォージャンに直撃した。ヴォージャンが投擲した岩を粉砕し遥か後方へ吹き飛ばす。
「え?……あ、あぁ…!」
漆黒の拳は見覚えのある蛇の塊だ。コートを翻し颯爽と悠は現れる。
「ク、ゔぇぇ…ああ゛……ガ…ざぁ……ん…!」
嗚咽と共に流れた涙と鼻水で顔がぐしゃぐしゃだ。
彼も戦闘従事者である以上、死を覚悟しているものの生きる喜びは何物にも勝る。
「もう大丈夫だぞ」
メンデンもセバスチャンも恐怖と緊張から解放され、心底安堵した。
「あとは俺に任せろ」
「!」
セバスチャンは前にベアトリクスと交わした会話を思い出した。
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『優れた指揮官はかくも背中で語るものですわ』
『背中ですか?』
『真正面に敵を据え、仲間の冀望を背に受けるからよ』
『はぁ…』
『言葉では分かり辛い感覚ですが、経験すれば何時の日か分かるでしょう』
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正に今、自分は冀望の眼差しを背に向けている。
「……マスターが言ってたのはこういうことか」
お前達を守る……語らずとも逞しい背中は、雄弁に物語っていた。




