Act.5 ジャングルジムと針金
「当たってしまった」
英士はエドニーガーデンのペアチケットをまじまじと見つめた。三千円以上の買い物をしたところ、福引券をもらった。いざ、挑戦したところ特賞が英士の元に転がり込んできた。英士自身、未だに信じられない。だがせっかく引き当てたからにはこの幸運を活かしたい。
楓先輩を誘おう。出来ることなら。
公園に差し掛かったとき、英士は爆発音を聞いた。
ビニール袋が手に食い込むことも省みず、音がする方に駆け寄る。そこで英士は高速で回転するベンチを操作するトバイアスとナイフを構える痣野の戦いを目の当たりにした。
何が原因で勃発したものなのか英士にはわからない。ただ、二人から目を離せなくなった。
痣野がナイフを構えて間合いを詰める。ベンチを目の前に配置し、盾とするトバイアス。直後ベンチに付着していた痣野の血が起爆する。
駆け寄って来たのは攻撃ではなく起爆の射程圏内に入るためか。トバイアスは下唇を噛んだ。トバイアスがベンチでガードすることを見込んでの策だった。
木片が飛び散り、折れた椅子の脚がトバイアスの肩を打つ。怯むことなくトバイアスは釘を乱れ撃ちにした。
痣野はことごとく手首からの出血を散らして迎撃。しかし爆炎で一瞬トバイアスを見失う。ふたたびトバイアスの姿を目で捉えたとき、間合いにズレが生じていた。
歩幅が合わない!
痣野はナイフではなく、左手でトバイアスの顔面を殴り付ける。それでも吸血鬼の膂力で繰り出された一撃は軽くない。吹き飛ばされたトバイアスはジャングルジムに体を打ち付けられた。
トバイアスはジャングルジムに釘を突き立てる。
ジャングルジムが軋み、金属同士が擦れ合う音がした。歪みと共に摩擦音は次第に大きくなっていく。錆と劣化した塗料がジャングルジムから剥がれ落ちる。
痣野は目を見開く。
「何をしているの?」
「見ての通りだよ吸血鬼。私のタンブルキャタピラーは釘で刺したものを強制的に回転させる。しっかり固定されていたら捻れ切れるまで変形する。それだけだ」
涼しい顔で鉄の棒を針金みたいに曲げやがって。
冷や汗が痣野の頬を伝う
遊具のカラフルな色合いも痣野には今となっては毒々しいものに感じられた。螺旋状にネジ曲がったジャングルジムは歪な槍と化す。
接地していた鉄の棒が全て引き千切れた。楔を解かれ、原形を失ったジャングルジムが回転する。色彩豊かな竜巻のようだ。
あんなの食らったら一たまりもない。
「存在するだけで罪深い生物よ。地に伏せて許しを乞え」
トバイアスの言葉は痣野に火を着けた。痣野には死ねない理由がある。
「生きることが罪だと言うのなら背負って立つだけよ」
とは言え、真正面から受けるのは得策ではない。痣野が回避を試みたとき、視界の端に入ったのが英士だった。その不運に痣野は奥歯を噛みしめる。それでも彼女は覚悟を決めた。
痣野の手首には横一文字に傷が走っている。さらに加えて、血管に沿って縦に裂いた。ボタボタと垂れた血が地面に染み込む。
「ならば痛みにのたうち回ると良い。タンブルキャタピラーッ!」
変形したジャングルジムの槍が痣野に向けて放たれる。迎え撃つべく痣野はおびただしい量の流血に干渉し、球体状に操作・圧縮した。
目が合ったと感じたのは英士も同じだった。痣野がそれを期に回避を止めたこともわかった。
俺の所為だ。
英士はレジ袋も鞄もその場に投げ出した。トバイアスと痣野、どちらに非がある戦いなのかはわからない。けれど英士は深層心理鉱脈を起動し、今まさに自分の盾となろうとしている痣野のそばに駆け寄る。
迫りくる槍の勢いは一向に衰えない。
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猫の鳴き声が止まないことに楓は気付いた。なぜだか無性に気になり、様子を見に表に出る。
交差点の付近に猫が横たわっている。自動車の影はない。楓は慌てて猫に駆け寄った。怪我をしているものかと思っていた。しかし楓が目の当たりにしたのは針金で四肢を封じられている姿だった。彼女は猫を抱えて歩道に戻る。
ひどいと思った。巻き付けられた針金が肉に食い込んでいる。猫は嫌がり、もがいたのだろう。食い込んだ針金と擦れて肉が裂けている。
猫の痛ましい姿に一切の情けもかけず、犯人はこれを強行した。何かしらの途方もない意思を持ち、路上に放置したのだ。今はその怖さより、憤りが勝っている。
楓は懸命になって針金を外そうとした。しかし執拗なまでに固く締められていてほどけそうにない。父が生前使っていた工具のことを思い出し、猫を連れて家に入る。
ごめんね、ごめんね。そう謝罪を重ねてペンチでネジを緩めるように締め付けを解く。前肢が自由になると猫は途端に暴れて楓に爪を立てた。それでも彼女は猫を押さえつけ、何度も詫びの言葉を口にする。今だけだから我慢して。そう心を締め付けられながら、後ろ足の針金もようやく外した。
興奮する猫を抱き、最後に能力を起動する。
アルターポーテンス、痛み分けの聖者
彼女の能力は他者の傷を引き取る。猫の四肢の擦り傷は楓の手足に転写された。
これで良し。
安堵したのもつかの間、猫は足掻き、楓の腕をすり抜けて姿を隠した。
傷を治せても、心に負ったものを請け負うことは出来ない。楓の能力の限界だった。
家の中に他に人はいないし、外に出すとまだ犯人がうろついているかもしれない。これで良かったんだと楓は思い、自らの手当てをするために救護箱に手を伸ばした。