Act.3 通り魔事件と正四角形
普段から英士は楓と一緒に下校する。今日は鳥がやけに多いなと英士は空を見て思った。
ゲームセンターの前を横切ったとき、体を使う筐体の前に妙見院学園の生徒がいるのを見かける。
サイドテールの背の低い女の子が「キリク殿、いざ尋常に勝負!」と威勢良く宣言する。キリクと呼ばれた華奢な男子は「僕を蒼華ちゃんとフィジカル面で競わせるのは酷だと思うんだ……」と及び腰だ。その後、勝負、勝負とせがむ蒼華を眉根を下げて困ったようにキリクが見ている。やがて彼は折れたようで「一回だけだよ」とキリク。
楓がその光景を見て苦笑する。
「仲が良いね、あの子たち」
英士は、そうですねと気のない返事をした。
あの二人の姿が楓の求めている『仲の良さ』だとすると、やはり楓と英士の関係は部活の先輩と後輩でしかないのだろう。内心、英士は肩を落とした。当時は違う部活に所属していたとは言え、これでも二人は中学校からの付き合いだった。
「さっきディープブルーを見ながら何を考えていたの?」
虚を突かれた英士は、えっ? と聞き返す。ビル風が楓の髪を撫でる。乱れさせまいと押さえて、彼女は言った。
「英士君は考え事をするとき、ディープブルーに訊くでしょ。英士君の分身として。何を考えていたのかなって」
夕陽を背に受けて間延びした影を英士は見る。
「通り魔事件の犯人が吸血鬼だっていう噂があるのを知ってますか?」
楓が頷く。
「そしたらクラスメイトが吸血鬼を異物のように扱っているのが、すごくもやもやとして」
少し考えてから楓は「でも私もちょっと怖いかな」と言った。英士は、やっぱり自分が変なのかとうなだれる。
すると楓は、たぶんね、たぶんだけど、と自信のなさから予防線を張る。
「私もその人たちも吸血鬼のことを何も知らないから怖いんじゃないかな」
坂道を上る。徐々に人気が無くなっていく。代わりに護岸工事が行われたコンクリートの上から覆い被さるように枝葉を伸ばす木々が増えてきた。
「昔見たテレビのドキュメンタリーで密林に暮らす原住民を特集していたの。現地の人が掘り出した幼虫や芋虫を食べるのを視て、私もうわぁって思ったけど、彼らからすればそれは貴重なタンパク源なんだって」
話がまだ読めないが、英士は昔飼っていたカブトムシや小学生のとき授業の一環で配られたカイコの幼虫を思い浮かべる。食べろと差し出されても食べられる気がしない。
「でも日本人が生魚や生卵をそのまま食べるのも海外の人からは奇異の目で見られていたでしょ? 戦時中に捕らえられた兵士がゴボウを出されて『木の根を食べされられた』って訴えたり。一歩下がって見ると自分の当たり前は他人の当たり前じゃないんだって気付いたの」
知らないことは、それだけで怖いんだ。英士はそう思った。
「でも今は和食も文化として少しずつ受け入れられてきた。食文化に限らず、理解できないけど受容や許容できることは少なくないと思う。相手も自分も同じ人間だから」
坂道はまだ続く。
「今回のことも吸血鬼だからじゃなく、危害を加える人間が怖いんだよね。生卵を食べる人も、幼虫を食べる人も他者の悪意が怖いのは同じ筈。だけど今回は皆わからないものを怖がるために憶測で物を言いたいんだと思う。憶測で言えることは予測ができる状態に落とし込むための前段階だから」
拓けた場所に出る。平屋の日本家屋が楓の家だ。家屋に明かりは着いていない。両親を事故で喪った彼女はここで一人暮らしをしている。
「英士君は何もわからないまま、ただ吸血鬼ってだけで怖がったり、奇異の目で見ることが嫌なんだよね。英士君は優しいから」
送ってくれてありがとう。楓はそう言って笑い、錆びついた音を立てる門扉をくぐった。道路間際の石畳で彼女は振り返り、次は英士を見送る立場に回る。否応なく音が立つ門扉を閉ざすと閉め出したかのような印象を相手に与えかねない。だから彼女はその場にたたずむ。人の心を完璧に知る術をもたない彼女は、他者に配慮するに越したことはないと考えている。
英士も彼女を外に長居させないため、早々と別れの挨拶を交わす。
ホームセンターに寄ってフライ返しを買って、それから夕食の食材も揃えよう。
坂道を一人で下りながら英士は深層心理鉱脈を起動する。
妙見院学園の生徒と言えば、と英士はふと思い出す。四月に起きたブライアン・ウォードの脱走事件のとき、彼を打倒した一年生がいるという話だ。
噂では襲い来るブライアンを千切っては投げ、千切っては投げの大立ち回りを演じたと聞いている。きっと自分とは違い、偉丈夫で頼りがいのある男に違いない。
かばんには中学生の頃、楓がくれた手製のお守りが下がっている。
自分も楓先輩を守れる力がほしい。
英士の分身は正四角形を形作って揺るぎない。