落日
彼が死んだ事を他の従者達に伝えた際は第一発見者の私が真っ先に疑われたのですが、私の真の姿を知る多くの従者は『あの方に限ってその様な事があるまい』とこの惨事を隠蔽し、あくまで『悪夢を見て急病を発した』と軍に報せました。
さて、その後が少々大変でした。
彼にも彼なりの野心はあったらしく、遺言には自らの大権を従弟に当たる単なる偏将軍に譲るとあったのです。
従者達の顔を一人一人検分していったその従弟は、私の前まで来ると、暫く見つめていましたが、やがて、顔を背けるように離れていきました。
後になって、私は故人の今わの際の言葉を脳裏に甦らせることになるとは気づきもしませんでした。
その従弟はこれ以上の遠征は不可能、と言いますか自分にこれだけの軍を動かすことは不可能、と判断したのでしょう、全軍に撤退の命を出しました。
其れに反感を抱いたのは、驃騎将軍でした。
驃騎将軍は諸将と語らい、戦功もない二十代の単なる皇族よりも都の衛将軍こそが丞相に相応しいと、上奏したのです。
衛将軍は兄が亡くなってからの十数年に及ぶ混乱の中で、政争にも我関せずの態度を貫きつつ、ただ、政務に邁進しておられた方です。
そういう物静かな男が今回に限っては、驃騎将軍の話に乗ったのです。
ですが、一度そのような上奏をした人間を放って置くほど後任者も馬鹿ではありませんでした。
というか、あの男は政事も軍事も昏かったのですが、政争に特化したような人間でした。
速やかに驃騎将軍の迎撃を勅として送り、その軍の大半を帰順させました。
衛将軍は元々文官であったので、形ばかりの大司馬として武昌に向かうよう厳命致しました。
普段は物言わぬ者程、一度肚を決めると怖ろしいものです。
衛将軍はあの男からの使者を捕え、邸に兵を集めました。
そして、あの男には『貴様の意思に従う義などない』と言い放つ返書を送りました。
あの男が兵を送ると、先程の使者に偽りの詔を書かせようとしましたが、それを拒んだので手ずから殺しました。
恐らく、驃騎将軍の手勢の合流を待って宮に攻め入る心算だったのでしょう。
しかし、既に驃騎将軍たちはあの男の手勢と交戦状態にあり、合流など出来る状態ではありません。
衛将軍が驃騎将軍を待っていた丁度同じ頃、驃騎将軍も衛将軍が都を制圧するのを願っていたのでしょう。
その間一つも不安を見せず、いつもの様に部下と談笑していたというから大した男です。
最終的には衛将軍自身も敵の矢に斃れ、族滅の憂き目にあったのですが、彼の麾下は誰一人として降ろうとはせずに主に先んじて死んでいきました。
その後、驃騎将軍を全軍で攻撃しましたが、捕えられたのは服毒済の驃騎将軍の骸でした。
何とまあ、愚かな男達でしょう。
黙っておれば、一族もろとも生き永らえたでしょうに。
***
首の男に殴り殺された前任者は幾ばくかの武芸と指揮能力は持ち合わせておりました。
しかし、今回の男は何もありません。
あるとすれば、宮廷を歩く力のみです。
魏でまたしても乱が起こったと聞いて援軍を派遣してみたものの、終わってみれば城は落ちず、無為に軍の大半をただで敵に売り渡したようなものでしたから。
それでも、亡き夫の一族が殆ど消えてくれたのは私にとっても幸いでしたが。
***
さて、丁度幼帝と呼んでいた末の弟も元服を迎えると、怖れていた通りに賢く育っていました。
直属の衛士を選出し、軍事的な影響力を魏から逃げ帰った男に見せつけたのです。
ある日、私は密かに末弟に呼び出されました。
『諸葛恪をここで殺した夜、姉上は亡き子遠殿と二人で残ってどういう宴を催したのだ?』
最早、自分は何も解らぬ子供ではないぞとでも言いたげな瞳で。
『もう一人の姉上を殺したがっていたのは、誰ぞ?』
私は妹の子を身代わりに差出し、罪を被るのをやっと逃れました。
『姉上らしい解答だ。然れば、この話乗ってくれぬか?』
それは、自我を持った若い皇帝が、宮の外へ一歩踏み出そうとする詔。
あの兄と同じ貌の男が、天下を治めんとする勅。
***
しかし、それは果たされる事はありませんでした。
弟に付けた皇后の父が、その妻に計画を打ち明けました。
その妻は――標的の従姉だったのです。
もう、何が起こってしまったかお判りでしょう。
夜が明けた時には、勝敗は決していました。
あの末弟は唯一人馬上で弓を番え、
『朕は大皇帝の嫡子であり、玉座に登って六年にもなる。朕に逆らわんとする者が何処にいるのか!!』と悲痛に叫んだそうです。
最早、私は自分が助かる道だけを模索するより外ありませんでした。
末弟を玉座より引きずりおろし、今自ら其処を占めようとする男を迎える為に化粧を施し、美服を着飾りました。
ついこの間まで栄華を誇っていた全一族の邸に兵が押し寄せて参りました。
皇后の兄は自害し、その父は単なる愚物と判断したのか捨て置き、事実上の頭領である私の邸に将と兵が押し寄せました。
『全公主、やはり貴女だったか』
今まで見て来たどの男よりも才に乏しき男でした。
『ねえ、ご理解いただけるでしょう?私もあの弟の被害者なのよ。脅して甥を殺させるなんて…』
私は今までの様に、肌を少しずつ見せ、笑いかけました。
私は、確かに自らの年齢を忘れていたのです。
その様子を見た男が嘲るように笑い始めました。
『ぶ、はははははははっ!!その齢で俺を誘惑するか!!滑稽だ、物凄く滑稽だ!!ヤキの回ったババアの考えそうなこった!!鏡を見てみろよ、其処に居るのは五十近いお年寄りだぜ!!!現実見ろよ、男共を弄びまくったお前の時代はもうおしまいだ!!!』
男が何を口走ったのか、一瞬解りませんでした。
『いいさ、流石に大帝陛下の公主様には手を下せぬ。その代わり都を出て行って、寡婦らしく静かな土地で晩年を過ごして貰おうか』
男の周りの兵が、私を取り囲み、瞬く間に縛り上げられました。
***
やっと正気に還った時は、既に都を遠く離れ、江を遡った何処かへ運ばれてゆく最中でした。
辛うじて、この馬車が何処へ向かっているかを聞き出し、また絶望致しました。
其処は、全くの蛮地ではありませんでしたが、妖異が根を下ろし、様々な怪事が起こっていると伝えられる地でした。
人間には恐れをなさぬ私も、兄の事があるからか、妖異はどうにも恐ろしい物でした。
『族滅から只一人辛うじて逃れた諸葛恪の娘(父親譲りの頭脳持ち)が、男装して『(父の元部下)李衡の末子』を名乗って孫亮編成の近衛軍に入り、諸葛誕の乱や孫亮廃位などのイベントを経て、最終的に孫綝誅殺を契機として女の子に戻って(同じく父の元部下設定の)張悌と結婚する話(タイトル未定)』を昔妄想していました。
『諸葛恪譲りの頭脳』が描写できずに断念しましたが。
なろう向きのストーリーの気がするからもしかしたらそのうち書くかもしれません。
三国志に嵌って最初のころは、孫魯班が最終的に流罪→行方不明なんて事になっていたのを知らなかったので、其れを知った瞬間は、孫綝に思わずGJしてしまった。
彼が行った唯一の善行という説在り。
でも三か月後には彼も死んでいるというね。