夢魔
さて、丞相殿は一度私が追い出した弟を再び舞い戻らそうとした故に死んだのです。
丞相殿の一族と同時に、その弟にも死の使いを送らせました。
今思えば、弟の子等も根絶やしにしてやれば、江南はもっと豊かになっていたのでしょうね。
将軍と呼ばれた男が新しく丞相と呼ばれるようになり、彼はこの国の全てを得ました。
後宮の女達は丸ごと彼の手中に帰し、毎晩のように彼女たちを侍妾の様に扱いました。
それでもなお、結局は最期まで彼は私の掌中にあった事を気付かぬままでした。
兄の遺児が彼を殺そうとしたので、死を遣わせました。
これもまた兄に似た面立ちで、死に際にかの首の男の様な呪詛を吐きかけました。
蜀からの使節を迎える席で、彼を討とうとする者共がいたので、全てを屠り、また最早別の家のものとなった唯一の妹も刃に下しました。
しかし、彼は滑稽なまでに首の男の影を追いかけていました。
江に沿って城を築き、その向こう側で乱がおきれば積極的に介入しようとしましたがその何れもが失敗に終わりました。
結局、私は首の男より優れた男には未だに出会えていないのです。
***
一人の男の首で全てを手に入れた男は、しかし首の男に殺されました。
魏から降って来た男の薦めによって青州・徐州へ向かおうとしたのですが、其処で怪事が起こったのです。
石頭で出征軍のための宴席を張り、いつものように男装した私を含む百人の従者と共に驃騎将軍の陣屋に入った折り、驃騎将軍の陣があまりに完成度が高かったので彼は恐ろしくなり、胸が痛むと称して自らの陣屋に引っ込みました。
寝室に入るなり私を呼びつけ、伽を命じ
―――この頃になると、私と彼の関係は、彼の従者達も周知のものとなっており、誰も咎める者はおりませんでした―――褥に入りました。
ですが、彼は二度と私を抱けぬまま死にました。
褥に入るなり、一瞬の内に意識を失い、やがて鼾をかき始めました。
つまらぬと思いつつ、寝所の外へ出て朝を待とうとしたのですが。
寝所から、呻き声がします。
紛れもない、昏睡した筈の彼の声でした。
扉に耳を澄ませますと―――
このっ、死にぞこないがぁっ!!
俺が貴様の一族を滅ぼしたことを怨んでいるのか?そうなのか?
……違うとでもいうのか?!
廃太子か、それとも宣太子の係累か?
なあ、何が不満だ?
人を欺き、丸め込んできたその紅い舌で述べてみろっ!!
黙するなら、俺が先に述べるぞ。
あの女の瞳は後にも先にも、貴様にしか向いていないのだ。
考えてみれば、可笑しい事ではないか。
女が余程の感情を持たぬなら、わざわざ男の首なんぞ所望するか?
ああ、殺した後になって、貴様が憎いよ!
あの女についぞ魅了される事の無かった貴様こそが、よりによって、な。
お、おい…?そんな物振り回せる腕力が、お前にあったのか?
何をする気だっ!!亡者が生者を殺せるとでも思うのか!!
やめろっ…やめてくれ…
ぎゃああああああああああ―――――――っ!!
人の頭が何か硬い物で割られる音がして、それきり音は止みました。
静かになったのを見計らい、寝所に飛び込むと。
其処には、かなり重いはずの槌が転がっており、血塗れの頭を抱えた男が寝台で呻いていました。
血の間から、眼をギョロリと動かし、私を視界に捉えた男は。
「おう……たった今、あの男、が、ここへ、来ていたぞ……最も、今、となっては、何処、ぞ、に失せてしまったがな
……悔しか、ろう?さぞ、か、し顔を…見たかった男、に逢えぬ、と、は…それと、も、知っていて、俺、を見捨てたのか?」
あの男、が誰を意味するかは私にも想像つきました。
しかし、その様な事はあり得ません。
「……自分、の年、が、幾、つ、か忘…れたか?俺も、今年、で三十八になる。それより、も、年、上なんだ……最早お前には、男、達を、易々と従えられる程の美貌は無い……お前に魅了された男は……俺で………最後だ…・・・・ ・ ・ ・ ・ ・」
それきり、男の瞳は虚空を見つめ、動かなくなりました。
孫魯班と孫峻が密通したと史書にはっきり書かれるようになるのは、諸葛恪が死んでからの段階。
もしかしたら、彼女は自分の貞操を賭けて諸葛恪を殺させたのか。