前夜祭⑥
晩餐会の会場で女神と出くわしたレンリ。
これが普通の良識ある人間なら思い切り驚いた上で地に頭を擦りつけるが如くに平身低頭するのでしょうが、ここまでの付き合いを経てなおレンリがそんな真似をするはずがありません。
女神だって、今更そんな風に下手に出られたらかえって困るでしょう。
いつもの小心ぶりを発揮して疑心暗鬼になり、裏にどんな恐るべき思惑が隠されているのか気になって落ち着きをなくしてしまうかもしれません。レンリ的にはそこまで見越した上で、あえて卑屈なまでに丁寧な対応を仕掛けてからかってやるのも面白そうだと思ったりもしたのですけれど、
「やあやあ、ちょうど他の皆が空いてなくてね。ただ飲み食いするだけというのも芸がないし、ちょっと話し相手になってもらえるかい?」
『ええ、構いませんよ。わたくし的にも、あちこちのお偉いさんに傅かれてお決まりのヨイショを受けてても退屈なだけですし。レンリさんと忌憚のないお喋りをしていたほうが楽しそうです』
女神の側もレンリと同じで退屈していたのでしょう。
そもそも彼女の立場を考えれば、いくら砕けた立食パーティー形式とはいえ食べ物を確保するために歩き回るというのもおかしな話。本日の集まりの趣旨を考えれば、神子関連の秘密を知っている者だって大勢いるはず。わざわざ命ずるまでもなく、あれこれ世話を焼いてアゴで使われたがる人間はこの場にいくらでもいるのです。
とはいえ、そうした下にも置かぬ扱いを受けるのも、それはそれで気苦労があるようで。神の威厳という意味では各国の王を幾人も侍らして、自分は一歩も動かずに捧げられる美酒・美食を優雅に楽しんでいるほうが「らしい」のでしょうが、女神の性格上、そんな風では表面上はともかく内心では全然寛げません。同じく好きに飲み食いするのでも、自分の分は自分の足で確保するようにしたほうがよっぽど気楽なのでしょう。
「なるほど。そのあたりは、むしろ神様としては新米のウル君達のほうが性格的に向いてそうだね。人からチヤホヤされるのが苦にならないというかさ。しいて言えば、ヒナ君がちょっと恐縮しそうなくらいかな? あの子達にそういう卑屈さが遺伝しなくて良かったね」
『ええ、まあ、それはそうなんですけど。わたくしとしては複雑な心境ですねぇ……あ、そこにあったローストビーフ美味しかったですよ。もうありませんけど』
「こらこら、人に勧めるなら少しは残しておいてくれたまえ。そういえば話は変わるけど、今日の晩餐には将来的な商材のサンプルとしての意味合いもあるのか、地球産の食材も結構使われてるみたいだね。こないだの旅行でも行った北海道産のウニの前菜とか良かったよ。もう無いけど」
この一人と一柱、早食い・大食いに関しては間違いなく世界の一位と二位。
どちらが一位なのかは未だ不明ですが、彼女達が談笑しながら脇を通ったテーブル上は、ほんの刹那の間であらゆる料理が食べ尽くされています。どちらも常人並みかそれ以下の運動能力しかない上に何かと鈍臭いのですが、こと食事に関してだけは恐るべき俊敏さを発揮します。
先程から事情を知らないパーティーの参加者達は、ほんの一瞬の間に大量の料理が綺麗さっぱり消え去っているという怪現象を目の当たりにして、しきりに首を傾げていました。料理の補充を担当している伯爵家の使用人や厨房の料理人も、予想を大幅に上回る消費ペースに大忙しです。
「やれやれ、こういうお偉いさんが多い集まりだと、つい緊張して食が細くなってしまうよ。味は上々だけど、できれば気兼ねのない仲間内だけの集まりだともっと良かったかな」
『ええ、分かります分かります。それこそ魔王さんのお店みたいな』
「そうだね。いや、あの家の人達もお偉いさんと言えばお偉いさんなんだけど、そういう緊張みたいなの全然感じないで済むから気楽なんだよね。しばらくは赤ちゃんのお世話とかで大変だろうけど、落ち着いた頃に皆でお邪魔して誕生祝いやら今回の打ち上げやらと洒落込むのはどうかな?」
『ふふ……ええ、それは良いですね。とても楽しそうですが、わたくしは……ええと、ほら、行けたら行くというやつで』
「それ結局行かないやつじゃない? まあ、その身体の神子さんだっけ? 貴女はともかくボディのほうは結構忙しいって話だったし、毎度スケジュールを合わせるのも大変だろうからね」
まだ前夜祭の最中だというのに気が早いですが、話題は明日のお披露目その他諸々が終わった先の話へと。アリスやリサの出産も、聞いていた通り順調に運べば明日あたりになるはず。彼女達が落ち着いて日本の病院を退院するまでは更に数日かかるでしょうが、迷宮都市の店で今も留守番をしているウルやヒナに様子を聞いて問題なさそうなら、今度は赤ん坊の誕生祝いに皆で出向くことになりそうです。
「大仕事を終えたばかりで、またすぐ遠出することになりそうだけど、そんな用事なら大歓迎だとも。そうそう遠出ついでに、また皆で予定を合わせて日本に行くのも面白いかもね。今度からは大っぴらに行けるようになるわけだし。勢い余って、既に地球と交流してる他の異世界まで行っちゃったりもしてさ。そのあたりの渡航手続きって誰に言えばいいのかな?」
『さあ、どうなんでしょう? そういうのは、わたくしよりもお役所に問い合わせたほうが確実かと。まあ、そういう細かいアレコレはさておいても、よくそんなに色々とやりたいことがポンポン出てくるものですねぇ』
「うん、そんなに感心することかな? なにしろ人生は有限だからね、生きてるうちにやりたいことは片っ端からやっておかないと。もしかしたら迷宮の皆とのコネで死んでからもあの手この手で現世に舞い戻ったり、天国を私好みに創り直させたりするかもだけど」
『あの子達が許可したのなら別に構いませんけど……なんというか、人類史上でもレンリさんほど欲張りな方っていうのは珍しいですよ。ここまで来ると一周回って尊敬しちゃいますね。いえ、皮肉とかでなく割と本気で』
「あっはっは、私もとうとう神様に尊敬されるところまで来ちゃったか! いやぁ、流石は私!」
レンリの言葉がどこまで本気かは分かりませんが、大した意味のない雑談としてはお互いそれなりに楽しめている様子。一人と一柱で会場をうろうろ練り歩き、ちょいちょい料理の皿を空にして、大して意味のない雑談に興じる。その目的が達せられているならば、少なくとも現状においては十分以上の合格点です。
「おっと、そろそろ周りはお開きの空気になってきたかな?」
思ったよりお喋りが楽しかったせいでしょうか。
気付けば賑やかだったパーティー会場もお開きムード。
「ここに来てる人達は明日は朝早いだろうからね。途中で抜けて街に繰り出そうかとも思ってたけど、私も今日のところは大人しく帰ろうかな? 流石に遅刻はマズいだろうし」
『ええ、賢明な判断かと。寝不足は美容にも悪いそうですし。今はまだ気にならないかもしれませんけど、若い頃の睡眠負債って十年後二十年後あたりからジワジワ効いてくるそうですよ? いえ、わたくしは常時起きっぱなしみたいなものなんですけど一般論として』
「はいはい、ご忠告ありがたく受け取っておくよ。神様から賜ったありがたい御言葉にしては俗っぽい気がするけどね」
あくまで明日の式典の主役は迷宮達やユーシャであり、恐らくレンリは隅っこの目立たない席でぼんやり眺めているだけでしょうが、流石に歴史的イベントに寝坊で遅刻や欠席というのは洒落になりません。まだまだ街中では様々な出し物や食べ物の屋台なども出ている時間ですが、大事を取って今夜は大人しく引き上げることにしました。
そして、女神との別れ際。
『レンリさん、ありがとうございました』
「うん? 今のって何のお礼だい?」
『ええと……色々、ですかね。迷宮達と仲良くして下さったりだとか、世界を繋げるお手伝いだとか、それから今のお喋りに付き合ってくれたのも。ほら、ちょっと気が早いかもしれませんけど、明日はゆっくりお話できる時間が取れるか分からないですし?』
「ああ、なるほど。こっちは気楽なものだけど、そっちは色々忙しいだろうからね。だとしても水臭いというか唐突というか……でもまあ、お礼をしたいというのなら好きにすればいいさ。できれば言葉だけじゃなくて物理的に存在する名剣とか、そういうのだと更に良かったけどね。ま、今日のところは言葉だけで勘弁してあげよう」
『ふふふ、それはそれは。どうもありがとうございます』
相変わらずどっちが神様なんだか分からない偉そうな受け答えですが、当の女神がそうした会話を楽しんでいるのだから何も問題はありません。
「じゃ、またね」
『ええ、ごきげんよう』
そうして短い挨拶の後、一人と一柱は別々の方向へと歩いていきました。




