忘れられがちな
更に一日経って、三代目勇者のお披露目まであと一日。
他にも新たな神々だとか地球との行き来ができるようになるとかのネタもありますが、どれか一つだけでも世界を揺るがすであろう大ニュースがまとめて三つ。
明日は間違いなく、後世の歴史書において少なからぬページ数を割かれる一日となることでしょう。暗記する量が増える未来の受験生も大変です。
「そうか、ユーシャ君もとうとう勇者デビューかい! これは今のうちにサインの十枚や二十枚くらい貰っておいたほうがいいかもね。後で換金するから」
「おいこら、レンこの野郎。まあでも、ユーシャ本人が望んでそうするっていうなら俺も応援するよ」
「おや、ルー君や。何をそんな呑気なことを言っているのかね? キミ達は何しろ勇者の両親だからね。主役の勇者に比べたらほんのオマケの端役みたいなものだろうけど、それでも相応の注目を浴びることになるんじゃないの?」
「そ、それは困る……かも」
ユーシャ本人は緊張感の欠片もなく堂々としたものですが、勇者の両親たるルグとルカは随分とそわそわしている様子。入学式や卒業式、あるいは何かの発表会で娘の晴れ姿を前にした保護者のような気持ちでしょうか。
現状、勇者本人はともかく縁者の紹介までする予定はありませんが、ユーシャの性格上、あらかじめ念入りに口止めしておかなければ何かの拍子にポロっとルグ達との関係を漏らしてしまうかもしれません。
「まっ、それはつまり前もって言い含めておけば大丈夫ってことなワケだし。私としては面白そうな場面が見れなくてちょっと残念なんだけどさ。ユーシャ君や、ルー君達はあんまり目立ちなくないらしいから、人前ではお父さんお母さん呼びは控えてあげたまえ」
「うん、分かったぞ!」
ちなみに現在、レンリとルグとルカのいつもの三人とユーシャがいるのは、レンリの居候先であるマールス邸。急遽決定した勇者のお披露目について報せるべく、ユーシャが訪ねてきた形です。
「新しい勇者として世間に認知されたからといって、別にどこかに倒すべき巨悪がいるとかじゃないしね。むしろ、そんなのがいたらライムさんやウル君達との間で、誰が真っ先に戦いに行くかの取り合いが起こりそうだ」
「それは……すごく、ありそう、だね」
戦力的な意味で今更新しい勇者が要るのかというと、それはレンリも言うように大いに疑問。かつて世界を滅ぼしかけた破壊神程度なら、今では危機のうちにも入りません。それを片手で軽く片付けられるような連中の心当たりが、今や二桁に達しそうな数いるのです。しかも、それらが日々修行や試合を繰り返して更にどんどん実力を増しているわけで。
「でも医者とか騎士団とかと同じで、勇者がヒマなのは基本的に良いことだろうしね。ただの平和とか正義のシンボルとしてでもいる意味はあるし、退屈なようなら余所の荒れ気味の異世界まで足を延ばすのもアリかもだし。ウル君が言ってたけど、実際もうそういう出張サービスみたいのもやってるんでしょ?」
だから、レンリとしても勇者の存在意義についてはそこまで気にしているわけではないのです。あっけらかんとした性格のユーシャが、自身のアイデンティティについて悩む想像というのもしにくいものがあります。
心配すべき部分があるとすれば、それはむしろユーシャが勇者活動をしていない日常の場面に関してでしょう。
「経営者が魔王さんな時点で今更かもだけど、ユーシャ君が勇者として有名になったら、今みたいにお店で働いたり気軽に外出しにくくなることはあるかもね。これを機に今の職場は退職して勇者に専念するってワケではないんだろう?」
「うん、レストランの仕事は楽しいからな! 続けられなくなるのは困るぞ!」
成り行きで始めた仕事ではありますが、ユーシャは迷宮都市の魔王のレストランで働くのを気に入っているようです。それが彼女が有名になりすぎたせいで、食事目的ではない巡礼者なり興味本位の冷やかしなりが殺到して、営業に支障をきたすのは彼女としても望むところではありません。
更に付け加えるならば、これは同僚たるウルやゴゴやヒナに関しても同様。
当初は学都と迷宮都市との連絡役として居候を始めた彼女達ですが、今ではその役割のほうがオマケになり、お店で働いたり子供達の面倒を見る生活を楽しんでいる様子です。神様として有名になってしまったら、そうした普通の暮らしを続けるのが難しくなってしまうのではないか。レンリの懸念も無理はないでしょう。
「実は、ちょっと前にリサさんとも似たような話をしたんだけどね。あっちは日本政府の人達の協力で、普通にネットとかで調べても戸籍やら住所やらの情報が出てこないような工作をしたって話だったけど、こっちの世界だとまたちょっと事情が変わってくるだろう?」
「そうなのか?」
「そうなんだよ。多分ね」
この世界と日本との事情の違いは色々ありますが、特に大きな差異となるのが通信関係。現在はまだこの世界に電話やインターネットなどの仕組みは存在しませんが、両世界の交流が開始されたら遠からず導入しようという話も出てくるでしょう。
電話線をあちこちに引いたり、既存の建物にアンテナを設置したり。
もしかすると、こちらの世界で通信用の人工衛星を打ち上げようということにもなるかもしれません。その利便性を知ったら、積極的に必要な施設の誘致や技術者の招聘を進めようとする国も出てくるはずです。
そうした通信技術というのは大変に便利なものですが、情報のやり取りの多くを手紙や口頭での会話に頼っているこの世界にとっては凄まじい劇薬。
ほんの数人が隠れてこっそり使うのと、社会全体で大っぴらに導入するのとではまるで事情が違ってきます。どんな化学反応が引き起こされるかは流石のレンリにも全く読めません。予知能力を使える女神でさえも、恐らくは分からないのではないでしょうか。
状況の変化に対応する法整備が追いつくのにどれだけかかるか。
個々のユーザーの情報リテラシーやコンプライアンス意識がどうなるか。
そもそも、現代地球のそれを模範とするのが本当に正しいのか。
そのあたりは完全に行き当たりばったり。
実際に社会が変化してから、逐一地道に対応していくしかないでしょう。
「だいぶ話が逸れたけど、そういう情報っていうのは一度拡散されたら完全になかったことにするのはまず不可能だからね。不特定多数の中の誰か一人でも『勇者の正体はあのお店で働く店員なんじゃないか?』なんてネットに書き込んだら、それが彼女達の平穏な暮らしに対する致命的なリスクになりかねない。分かったかい、諸君?」
「ええと……いや、すまん。正直まったく」
「うん……ご、ごめん、ね?」
「はっはっは。安心してくれ、お父さん、お母さん! わたしも全然分からないからな!」
なんとも説明のし甲斐がありません。
レンリとしても、一人であれこれ先回りして心配しているのが何だか馬鹿らしくなってきました。事実、何ひとつ対策を打たずとも様々な心配が単なる杞憂で終わる可能性だって全くないわけではないのです。同じくらいに不味い方向に転がる可能性だってあるわけですが。
『どうか、ご安心を。そのあたりは我がキチンと手を打ってありますので』
ですが、大丈夫。
姿は見えないながらも話を聞いていたのでしょう。
ユーシャの手元が光ったと思ったら、すぐ目の前の空間からゴゴが生えてきました。最近あまり活かされる機会のない設定ですが、勇者と聖剣は魂が融合している一心同体。ユーシャが見聞きしていることは、彼女が意図的に隠そうとでも思わなければゴゴにもそのまま伝わっているのです。
「やあ、ゴゴ君いらっしゃい。それで手を打ってあるとは具体的に?」
『いえいえ、そう大した話でもありませんよ。ほら、これも最近忘れられがちな設定でしたけど、実は我とユーシャが一緒にいるとシモンさんみたいな概念斬りができるんですよ。うん、今更ですけど勇者でもなければ聖剣もないのに素手とか念じるだけで同じことができるって、あの人いったい何なんですかね?』
「ああ、そういえばあったね、そんな地味設定。あとシモン君はさ、ほら、何しろシモン君だからね」
『納得しました。人間の可能性って本当にすごいですよねぇ』
色々とおかしな部分は多々ありますが、シモンと同系統の技が使えることさえ思い出せば、あとはレンリにも分かります。勇者目当ての厄介ファンが押しかけてこようが、その『視線』を斬って姿が見えないようにしたり、『目的』を斬って自分が何のために来たのかド忘れさせたり。いくらでもやりようはあるはずです。
「なんだ、それさえ思い出せば簡単な話だったね。それならお店で一緒にいる分にはウル君やヒナ君に対する認識もカバーできるだろうし、あの子達だけでも神力でそのあたり誤魔化すのは簡単だろうし」
『コスト面を考えると無駄が多いですけど、それについては神力を用いない通常の変身で印象を変えるとか、あとは能力とか関係なく髪型やお化粧で誤魔化すのは大して苦労しないんじゃないですかね。姉さんについては言わずもがなですし、ヒナも水の操作で光の屈折率を変化させて髪だけ色変えとかできますし』
「何より、まさか神様や勇者がそこらの料理屋で普通に働いてるはずがないって先入観もあるだろうしね。なんなら、モモ君に頼んであの店の付近ではそういった先入観が『強化』されるようにしてもらうとかもできるだろうし……なんだ、本当に心配するだけ無駄だったみたいだね。私の気の回し過ぎだったか」
こうして色々と挙げていくと、仲間達も出会った当初と比べて随分と多芸になったものです。この調子ならば、レンリが言っていたような心配事が深刻な問題に発展するような事態にはまずならないでしょう。
さて、それを聞いていたユーシャ達の反応はというと。
「うん、分かったぞレンリ!」
「それなら良かった。ユーシャ君はこれからも安心して労働に励んでくれたま――」
「レンリがすごい優しい奴だってことが分かったぞ!」
「は、はぁ!? いや、今の何がどうなってそんな話になるっていうのさ!?」
と、そんな具合。
能力や研究成果を褒められるのは大好きですが、人格面を褒められるのは大の苦手という弱点を突かれたレンリは、顔を真っ赤にしながらブンブンと首を横に振っています。
「いや、レン。今ので優しくないは流石に無理があると思うぞ?」
「うん……レンリちゃん、優しい、から……好き」
『最近忘れられがちな設定といえば、そういえばコレもでしたね。ええ、我もレンリさんのそういうところは好ましく思っていますよ』
「うぅぅ……こ、こらぁっ」
ですが、今回は多勢に無勢。
ルグ、ルカ、ゴゴまでユーシャ側に加勢して褒めてくるものだから、孤立無援となったレンリは許容量を大幅に超えた恥ずかしさで、すっかり力が抜けてフニャフニャになってしまいました。いつもはよく回る口も思うように動かず、ロクに言い返すこともできません。
対する他の面々はいつになく雄弁に「そういえばあの時はこんなことが」や「あの時はこんな風に」と、レンリを持ち上げるようなエピソードを口々に開陳していきます。
「おっと、少しからかい過ぎたか?」
「えへへ……ご、ごめんね? でも、ウソじゃ……ない、よ」
『ふふ、失敬。この遊びは中毒性があっていけませんね』
「うん? ゴゴ、今のは何かの遊びだったのか?」
最終的にレンリが涙目になってきたあたりで中止となりましたが、忘れられがちな弱点を突いて反応を楽しむ遊びは、今後もその時々で参加者を変えつつ不定期に催されることになったとかならないとか。
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≪おまけ・ライム(ジャージ&ポニテのすがた)≫




