臨時休業
学都の迷宮で頭のおかしい戦闘狂どもがド突き合いを始めたちょうどその頃、遠く離れた迷宮都市のとある料理屋でこんな出来事がありました。
「臨時休業?」
『ですか?』
声を発したのは、この店の従業員として働くユーシャとゴゴ。
そんな彼女達に、すっかりお腹を大きくしたアリスが説明をしています。ちなみに、同じく従業員であるウルとヒナはお遣いに出ているので現在は外出中。
「ええ、もういつ産まれるか分からない状況ですし。リサ共々、そろそろ日本の病院に移ろうかと。あちらならお義父さんやお義母さんの手もお借りしやすいですし」
流石に二人目の出産とあってか、アリスも落ち着いたもの。
レストランの仕事は少し前から休んでいましたが、その間にも着々と予定を立てていたようです。以前から妊娠中の経過観察のため通っていた日本の総合病院にそろそろ移り、万全の体勢で出産日を迎えるつもりなのだとか。初産の時にお世話になった産科医や看護師もいるので、心理的な安心感も大きいでしょう。
アリスも言ったように日本でならリサの両親から様々なサポートを受けられますし、普段からちょくちょく泊まっているので、上の子供達を預けるにも幼稚園に通わせるにも何かと便利。なかなか合理的な判断と言えました。
『あの、アリス様ちょっと質問を。正直なんとなく予想は付くんですけど、妊娠中のお二人はともかく魔王様がいるならわざわざ何日もお店を閉める必要まではないのでは? 人手不足に関しては、コスモスさんや弟妹の皆さんがピンチヒッターで入ることもできるでしょうし』
ゴゴの疑問ももっともです。
とはいえ、彼女自身だって薄々は察してはいるのでしょう。
学都で開催予定の式典に信頼する四天王を自身の名代として送り込んだことといい、魔王が現在どのような状態かは推して知るべし。ましてやゴゴ達は、従業員として毎日のように彼と顔を合わせているのです。
「うーん、大丈夫かな。心配だなぁ……でも、きっとすっごく可愛いんだろうなぁ……そうだ、赤ちゃん達の名前の候補をもっと考えておいたほうが……それから万全の状態で写真に収めるために、あっちの電気屋さんでもっと良いカメラも買っておかないと……それからそれから」
今も厨房のほうからブツブツと独り言が聞こえてきましたが、ここ最近の魔王は四六時中ずっとこんな具合。当然ながら仕事に集中できるはずもなく、料理の鍋を焦がしたり注文を間違えたりと散々です。ゴゴもユーシャも他の皆も、幾度となく彼の失敗のフォローをさせられる羽目になりました。
とはいえ、使い物にならないのが魔王だけなら、まだ店を長く閉めるほどではないのです。普段なら臨時の助っ人を入れてお店を回すところではあるのですが……。
「ふふふ、ご安心ください魔王さま! 最新機材を備えたプロカメラマンの手配が既に完了しております、百人ほど」
「流石、コスモス! 頼りになるね!」
「いえいえ、この程度はほんの序の口で。他にも、こんなこともあろうかと日本で起業しておいたベビー用品の会社が先日上場を果たしまして。役員や従業員として送り込んでおいた弟妹達の働きにより最高のオムツやベビーベッドやおしゃぶりやガラガラ、その他諸々をご用意しております。いずれもネットのショッピングサイトで高評価を獲得している自信作ばかりですとも」
「わあ、それは頼もしいね!」
普段ならピンチヒッターとして活躍するはずのコスモス以下ホムンクルスの集団も、一人残らずこの調子。彼ら彼女らも戸籍上は魔王の子供ということになっていますし、新たな弟か妹の誕生に際して出来る限りのことをしたいと考えているようです。規模と内容が狂っていますが、それについては今更でしょう。
もちろん、準備だけしてハイ終わりなんてつもりもありません。
出産予定日にはホムンクルス全員で日本まで押しかけて、それはそれは盛大なお祝いを数日がかりでする予定なのだとか。流石に人数が多すぎて迷惑になるので病院内にまで全員で押しかけるのは自重するようですが、すでに病院近隣の老舗ホテルの一番大きな宴会場を何日分も貸し切ってお祝いの準備を進めているようです。
「羽目を外し過ぎて、あまり人に迷惑をかけないようにするんですよ」
「ええ、もちろん心得ておりますとも」
いつものイタズラや悪ふざけならともかく、純粋な善意からお祝いをしたいというのであれば、アリスとしても止める理由はありません。正直に言えば、かなり嬉しくもありました。
リサの親族や学生時代からの友人知人、『洋食の一ツ橋』の従業員を招いてお祝いをするのにも好都合です。流石に出産直後から母子共々に宴会場まで直行とはいかないでしょうが、それでもビデオ通話などで一言二言挨拶をするくらいはできるでしょう。
「ええと、つまりはそういうわけで」
『なるほど。ご説明ありがとうございました』
そうして一時的にとはいえ料理をできる人員が全員いなくなってしまうのならば、料理屋を開けるわけにもいきません。厳密にはユーシャはルカや魔王から教わっていてそれなりに料理もできるのですが、プロとしてお金を取れる域に達しているかというと微妙なところ。そもそも彼女達だって、どうしても働きたくて仕方ないというわけではないのです。
「それで、貴女達はどうします? もし一緒に日本まで来るのなら、リサの実家に泊めてもらえるかお義父さん達に聞いてみますけど」
『うーん、それもなんだか悪い気がしますね。ただでさえ神経を使う状況でしょうし、これ以上負担をかけるというのも。それに、どうせこちらの世界でも魔界の皆さんやレンリさん達を呼んで改めてお祝いはするんでしょうから、我々もその時に一緒にということで』
そんなわけで臨時休業の理由についてはゴゴ達も納得しました。
いきなり降って湧いた長期休暇というわけです。
自分自身をいくらでも増やせるゴゴ達迷宮にとっては、正直そこまでの特別感があるわけではないのですが、一つしか身体のないユーシャにとっては貴重な時間でしょう。一日や二日くらいならダラダラと惰眠を貪るのも悪くないですが、それだけで休みを浪費するというのも芸がない。せっかくの機会に何か行きたい場所ややりたいことはないのかと、ゴゴは相棒に聞いてみたのですが。
「うん、それならお父さんとお母さんに会いたいぞ!」
聞く前から半ば予想できた答えではありますが、ユーシャはルグやルカに会いに行きたいようです。少し前に地球へ旅行に行った際にも会ったばかりですが、なにしろ成人女性に見える彼女の実年齢はまだ一歳になるかどうかといったところ。時間感覚についても見た目通りと考えるべきではないでしょう。ほんの数か月の別れとはいえ、他の皆よりずっと長く感じているのかもしれません。
『ええ、いいんじゃないですか。もう向こうも忙しい時期を乗り越えて、あとは本番を待つばかりといった頃合いのようですし』
もちろんゴゴも快諾。
こうして新米勇者もまた学都へ来ることとなったのです。




