奇跡拳破れたり
そこから少し時間は進んで、全員が最低一回ずつ戦えたのは第十二回のじゃんけん大会を終えてのことでした。戦闘時間が各一分に合間のじゃんけんを平均三分として1ターンが約四分。それが十二回に多少の誤差を考慮して、ここまで大体五十分弱といったところです。
ちなみにここまでの最多戦闘回数はヒナの三回で、最少はこの十二回目でようやく勝ち抜けたライムの一回。ネムとアイを除いた五迷宮にシモンとライムを足した七人体制で回していることを考慮すれば、特に不自然なところのない自然なバラけ方ではないでしょうか。
「やっと私の番」
一時間近くも不本意な休憩を強いられたライムは、ここまで溜まりに溜まったフラストレーションを解消すべく、最初から全力で百腕巨神の間合いへと飛び込みました。
当然、迎撃の拳が雨あられと襲ってきますが、ここまで他の皆が戦っているのをじっくり観察していたのです。動かす腕の選択に関わる思考の偏り、動作に入る前の気配の起こり、そういったモノを見切るには十分な時間がありました。
「ん。単調」
腕の数がこれだけ多ければ仕方のない面もあるにせよ、巨神のパンチは腰の入っていない手打ちが大半。それでも素の腕力の凄まじさゆえのパワーとスピードは相当のものがありますが、武の極みに限りなく近付いたライムがあれだけの観察の時間を与えられたら、もはや打つ前からどこを狙うか親切に教えてくれているテレフォンパンチも同然です。
ライム自身の速度は最初に遭遇した時点から変化していません。
いえ、魔力や体力の節約を意識してか多少遅くなってすらいます。
にも関わらず、当たらない。
当の巨神からすれば、まるで意味が分からないはずです。
敵が動こうと思った時点ですでに動き始めているからこその神業。
その見切りの極致は攻撃に対しても存分に発揮されていました。
「隙あり」
上半身の百腕に対して下半身は二本足のみ。百腕巨神の重心は通常の人型と比較しても、上側に大きく偏った歪なものとなっています。それが何を意味するのか。
「……ふっ」
『馬鹿ナ、馬鹿ナ、何故ダァァ!?』
迫ってくるパンチの一つにライムが手のひらを添え、すい、と横向きの力を軽く加える。
すると異様な高重心ゆえに転倒しやすい巨神は、自らのパンチの威力によってコロリと地面に転がされてしまいました。合気道などに見られる対手の力を攻撃に転用する柔の技法、それを恐ろしく高いレベルで実行した形です。
もちろん不死身の肉体を何度転がそうが致命打にはなりません。
しかし、肉体は無事でも精神については無傷とはいかないでしょう。
単純なパワーやスピードや手数では大きく勝っているはずが、何故か軽々とあしらわれてしまう。このライムに限らず、シモンや迷宮達に関しても、最初のうちは攻撃を躱すのが精一杯だったはずが、交代を繰り返すほどに別人あるいは別神かと錯覚するほどに手強く成長を遂げてくる。
それも僅かここ一時間以内でという異常な伸び方。
このまま相手を続けていたら、次の一時間ではどうなってしまうのか。半日後、一日後にはどれほどの差を付けられてしまうのか。時間を長くかければかけるほど巨神との差は縮まり、そして圧倒的なスピードで追い抜いていくのではないか。そんなあり得ざる未来への恐れが巨神の内側で次第に増しつつありました。
あまねく三千大千世界の全てを破壊し尽くし、未来永劫、恐怖と絶望によって支配する。誕生した瞬間にそれこそを自らの存在意義と悟った百腕巨神からすれば、野望の第一歩とすら言えない現状でこの有り様。
もう出し惜しみをしている場合ではありません。
一刻も早く、リスクを承知で賭けに出ねば勝機はますます減るばかり。
『ガアァァァァッ!』
最新にして最悪の巨神が、全身の全ての口で大きく吼えました。
◆◆◆
「む、これまでと少し違うな。また『奇跡』でも使う気か?」
百腕巨神がライムの『自由』やシモンの流星剣、ヒナの液体化など、本来であれば通じないであろう技や能力を無視するかのように痛手を与える方法については、ヒナが一回目に戦った時点でもうその仕組みを看破していました。
『要するに、神力を代償に「攻撃を通す」って願いを「奇跡」で叶えてるわけね。ちょっと効率悪すぎるし、使えば使うほど弱くなっていくから、全部の攻撃にじゃなくて何百か何千発に一回くらいの割合で普通のパンチに混ぜてる感じね』
ヒナがそれに気付いたのは、同じ神としての性質を有するがゆえ。単に肉体を構成し、体内を循環しているのとは異なる、明らかに高密度の神力が込められた拳が稀に混ざっているのを感じ取ったのです。
『奇跡』の内容が「問答無用で自身を勝利させる」とか、「必中した上で相手を即死させる」などでないのは、実現にかかるコストの重さを危惧してのものでしょう。なにしろ結果が空振りに終わったとしても、願いを叶えるのに使った神力は消えてなくなってしまうのです。
故に対策も難しくはありません。
各人それぞれに工夫を凝らしていましたが、一例としてヒナの場合は自身に似せて成形した水の塊、その水の密度を調節して光の屈折を操作。色合いなど自分そっくりに調節した水人形を戦域に無数に浮かべることで、それらの囮に対して『奇跡』拳の無駄打ちを誘発。迂闊に使えないような駆け引きを用いました。
女神も普段からよく神力コストをせこせこ地道にやり繰りしていますが、『奇跡』による願望実現というのはその願いが高度で複雑なものであるほど飛躍的にコストが高まります。
自身が保持する神力の全てを費やしても叶わないであろう高コストの『奇跡』を発動させたりしたら、運が良くても神力だけ消費して何も叶わないノーリターン。最悪の場合は神性を失って存在が消滅してしまうことすらも考えられます。
また裏技的な運用ではありますが、同じ神であれば何らかの『奇跡』を込めた攻撃を、「その願いを無効化する」という『奇跡』で相殺することも可能。
本来であれば戦闘の最中に一時の優位を得るために『奇跡』を用いるなど、はっきり論外と断言できるほど燃費が悪い選択なのです。
「一分。ただいま」
「うむ、お帰り。早速また次のじゃんけんと行きたいところだが、アレ、なんだか様子が妙ではないか?」
『きっと第二形態なの! でも、アレがもうすでに変身後の姿なんだっけ? じゃあ、次で第三形態なのね』
『いえ、姉さん。強化変身とは限りませんよ。注意すべきは逃亡や自爆、それからレンリさん達を人質に取られるとかでしょうかね?』
ライムの戦いの途中、大きく吼えた巨神はそれきりピタリと動きを止めてしまいました。それまで休みなく続けていた拳の連撃も止めて全ての腕をだらりと下ろし、ライムに殴られたり蹴られたりして頭部をいくつか吹き飛ばされても一切反撃しなかったほどです。
これだけを見れば戦意喪失による戦闘放棄にも思えます。
しかし同じ神であるウル達には、咆哮を上げた直後から巨神の体内でかつてない量の神力が激しく渦を巻いているのがハッキリと感じ取れました。まだこれほどの力を残していたのかと、皆が目を見張るほどに膨大なエネルギー量。なにしろ誰が言い出すともなく自然とじゃんけん大会を中止させるほどです。
仮にこの規模のエネルギーを、ゴゴが危惧したように自爆のために用いたのなら、この『悪神666同盟』世界は跡形もなく消し飛んでしまうでしょう。その場合、ここにいる皆や上空にいる非戦闘員の別世界への避難が間に合うかはギリギリ。相討ち狙いなら悪くない選択肢かもしれません。
『一応提案しておくのですけど、こういうのって今のうちに総攻撃して何かする前に倒すのがベストなんじゃないのです?』
『邪道。懸念。変身バンクの途中で邪魔をするのは伝統的に禁じ手だからね。世界を滅ぼす悪の組織でも、これだけは絶対やらないくらいだもの。まあ、それは半分冗談としても、下手に突いたことで藪の中から蛇を出すことにもなりかねないし。それを言ったら、刺激しなかったせいで藪蛇が出るってパターンも同じくらいあるわけだけど』
とは、それぞれモモとヨミの言。
双方それなりの説得力はあるものの、決定打にできるだけの材料はありません。
「そうだ、閃いたぞ。実現可能な神力がどの程度なのか俺には分からぬので、あくまで提案という形に留めるが、ウル達の誰かが『奴の狙いを見破る』という願いを叶えるのはどうだろう?」
『うーん、コスト的には多分大丈夫なの。さっき戦ってる途中で小腹が空いて齧った感じからすると、アレの腕を二本か三本食べれば補充できるくらい?』
ちなみに先程ウルは大量に増やした自分を百腕巨神の各所にある口や鼻から体内に潜り込ませ、一斉に肉体内部を食い荒らすといういう恐るべき戦法を取っていました。せっかくの強敵が弱って歯ごたえがなくなるからという理由で、戦闘中に巨神を食べて減らすのは以後禁止という追加ルールができましたが。
『じゃあ、さっき食べた分もあるし我がチャチャっと見てみるの……むむっ!』
戦闘中のフライングで味見をしたことの負い目を誤魔化すためか、ここは姉妹を代表してウルが『奇跡』を発動。シモンが提案した通りに、百腕巨神の狙いを看破したまでは良かったのですが……。
『た、大変、大変なの!? アレ、中身カラッポのハリボテなのよ! 「大量の神力がそこにあるかのように錯覚させる」奇跡で我や皆をここに釘付けにして、本物は我達の世界に向かってるっぽいの!』
なんと答えは忍法・空蝉の術。
『奇跡』を『奇跡』で相殺可能な理屈からすれば、迷宮達がこの『悪神666同盟』世界を覆うように展開している脱出感知の結界を、相応のコストを支払うことでまったく反応させずにすり抜けるのも不可能ではないはずです。
どんな忍者やマジシャンでも、こんなトリックを使おうとは夢にも思わないでしょう。神の『奇跡』で皮膚一枚から下のみを異世界に移動させるという、前代未聞のグロテスクすぎるイリュージョンが真相でした。




