跳躍
二組の少年少女たちが正体不明の集団から逃げ回っている頃。
学都全域でほぼ同時に発生した暴動騒ぎにより、事件の黒幕の思惑通りに騎士団は忙殺され、機能不全状態にありました。
治安維持組織の宿命として事件が起こったなら対応しないわけにもいきません。
「西区で傷害事件発生。東区でも商店への襲撃発生の報告が!?」
「またか! くそっ、空いている者は他にいないか?」
「非番中、訓練中の者まで既に出払っております……!」
「冒険者ギルドに緊急依頼を出して人手を借りる。誰か向かわせろ!」
「団長、これ以上非殺傷で場を収めるのは困難かと。武器の使用許可を出しては……」
「ならぬ! 相手は操られているだけの市民だ。どうにか拘束のみで対処せよ!」
執務室で指揮を執っていたシモンの下にも、ひっきりなしに報告が舞い込み、まるで戦場の如き有様でした。傷病人以外の兵は殆ど総がかりで各事件の対応に当たっていましたが、相手が操られているだけの犠牲者とあって安易に切り捨てるわけにもいきません。
事件を起こす側が「いつ」「どこで」起こすか自由に選択できるのに対し、完全に後手に回らざるを得ませんでした。
「一冊だけでこれか……」
現在は相手の持っている本が一冊のみだから、まだこの程度の被害で済んでいるのでしょう。術式自体が人から人へ感染するという『歪心の書』本来の機能が発揮されれば、被害は学都内に留まらず国中、大陸中に拡散しても不思議はありません。
「だが、奴は何故こんな真似をする? 狙いはなんだ?」
都市の治安維持機能が麻痺すれば動きやすくなりますし、行方をくらますのも容易。
しかし、一冊しか本がない状態で下手に街が混乱すれば、騒動に紛れてもう一冊の所在が分からなくなってしまう危険性もあるはずです。
そこから導かれる状況とは……。
「まだ入手してはいないが、すでに本の所在をほぼ掴んでいる。混乱に乗じて現在の所有者から奪い、そのまま街を離れる……か」
その推測はほぼ正確に相手の思惑を言い当てていました。
そしてシモンはそこから更に思考を重ねます。
「……おい、誰かこの街の地図を持て!」
「はっ、ここに!」
「現在、ここ数時間の報告にあった場所に印を付けよ」
本の場所が分かっていながらも、まだ入手できていない。
つまり、現在の所有者が本を持ったまま逃走しているのでは?
もしそうならば、術者はその人物の捕獲に最大の人手を割く可能性が高い。
更には、万が一にも先に騎士団に身柄を押さえられぬよう、予想される逃走経路上以外で事件を起こし、兵に保護される危険を避ける……はず。
あくまで状況から予想される推論の一つであり、確証があったわけではありません。
ですが、地図上の、この数時間で事件が発生した場所にインクで×印を付けて潰していくと、違和感が視覚的に浮かび上がってきたのです。
「やはり人が集まる場所を中心に事件が起こっていますが……」
「待て! それなら、どうして街の中心、聖杖前で事件が起こっていない?」
効率的に混乱を引き起こさせるためでしょう。
事件の報告があったのは鉄道駅や商業区、東街の市場など、普段から人通りの多い場所に集中していましたが、不自然なことに学都では常に最も多くのヒトが集まる迷宮の入口。聖杖前広場からは事件の報告が上がってきていないのです。
勿論、この混乱した状況下で報告が遅れているとか、単なる偶然の可能性もありますが。
「たとえば、本の所有者が逃げ出して見失ったとする。これだけ悪辣な者であれば、ただ闇雲に探すとは思えん。もし自分がそれを追う立場だったならどう考える?」
「どこか、狙った場所に追い込む……獣狩りの手法ですな?」
白い髭を生やした初老の副団長がシモンの問いに答えました。
狩人が猟犬を使って獲物を追いたて、狙った場所に誘導するのは狩りの常套です。
「そうだ。この街に住む者であれば、迷宮に逃げ込むことを思いつくのは難しくない。あとは不自然に思われない程度に広場に向かう道の包囲を緩め、逃げやすくしてやれば、勝手に相手のほうから罠に飛び込んでくるというわけだ」
「無論、その過程で捕まえることができればよし。そうでなくとも、走り回らせ体力を消耗させた状態で罠にかけることができる、と」
そう、レンリ達とルカ達がそれぞれ思い付いた迷宮に逃げ込む案は、そう考えるよう黒幕に思考誘導されたものだったのです。
迷宮内での犯罪行為が禁止だというのは、この街に住む者ならば大抵知っていますし、必死で逃げている最中に聖杖を見たら、迷宮について連想する可能性は低くありません。
無論、迷宮ではなくこの騎士団本部を目指す可能性もありましたが、そちらに通じる道の包囲を厚くすれば突破される危険性は低いですし、よほど方向感覚に優れていないと追い回される過程で道を見失ってしまうでしょう。
「至急、広場に兵を向かわせましょう」
「いや、それでは遅い」
副団長の提案を受けたシモンは執務室の窓を大きく開け放ちました。
「副団長、この後の指揮を頼む。俺は先に広場へ向かう」
「御意。どうか、ご武運を」
そうして、シモンは窓枠に足をかけると、凄まじいスピードで宙へと飛び出しました。
◆◆◆
十年以上もの鍛錬を経て身体を鍛え抜き、数々の武技を修めてきたシモンですが、そんな彼が「これぞ己の奥義である」とする特別な技が三種あります。
シモンには攻撃魔法の素養がありません。
正確には、術の発動まではできても、実戦において動き回る敵を狙って当てることが極端に苦手でした。止まった的にしか当てられない術など普通に考えれば意味がありません。
ですが、発想次第では使い道のない魔法も意味を生みます。
狙う必要のない、常に確実に当てられる相手。すなわち自分自身に対して重力魔法を使用し、日々の肉体鍛錬に役立てているのもその一環。
通常は広範囲に対し使用する術の範囲を極限にまで絞っているので、魔力の消耗も微々たるものです。
しかし、それはあくまで応用。
この奥義の真価は、別の部分にありました。
「もっと、速く……!」
通常は下向きに作用する重力を上向きにする重力反転術。
重力の縛りを抜けることで、擬似的な飛行とも言える超加速・大跳躍が可能になるのです。
素の肉体のみでも十倍、魔力による筋力強化を併用すれば最大五十倍もの重力下で活動できる肉体性能を、十全以上に発揮する為の技術。まだ改良の余地の残る、発展途上の奥義ではありましたが、
「間に合った! 無事か!」
それにより、直線距離で3km以上はあった広場まで、常識では考えられない程の短時間で到達することが出来たのです。
前回の後書きで「次回、反撃開始」と言ったな?
あれはウソだ。……筆が乗ってごめんなさい。
「重力を自在に操り光速の異名を取らない高貴なる男騎士」と化したシモン。今回は移動にだけ使っていますが、考えてある奥義はどれもかなり反則気味の性能をしています。次々回あたりで実戦使用するところをお見せ……できたらいいなぁ(希望)。




